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イメージの楽園、あるいは迷宮

我々はイメージの楽園に生きている。あるいは迷宮と呼ぶべきかもしれない。インターネットの世界では、湿潤な密林のように、手を伸ばせば望み通りの、さらに望んだ以上の情報を得ることができる。これはアンドレ・マルロー(1901ー1976)が生涯をかけて構想した「空想博物館」の理想郷に近づいていると考えることができるかもしれない。

マルローの「空想博物館」は、写真などの複製技術の発達によって時と場所の制約を受けず、想像力の赴くままにイメージを結びつけることができる実体なきイメージ(虚像)の博物館である。例えばギリシアの彫像と日本の埴輪の間には、何ら歴史的なつながりがなくとも、その画像を並べて見ることで、これを見る主体の中に関係性が生じる。それらは記憶の枝葉に擬態するように、物語を奏で、新たな想像を惹起する。しかし、結晶化することない濁流のようにイメージが氾濫するこの21世紀初頭という時代は、本当に想像力の楽園たり得るのだろうか。

「ボードレールは《サモトラケのニケ》を見ていない。」

マルローは「空想博物館」の優位性をこう語る。フランスの首都が祝祭の都市と化し、世界中からの情報や文物がもたらされ、やがてベンヤミンによって「19世紀の首都」と称されるパリ。この近代化が進む新興都市を遊歩者として回遊していたシャルル・ボードレール(1821ー1867)でさえ、その知見はパリという活動範囲の中に限られていたのだ。今日、ルーヴル美術館の階段の踊り場に展示され、美の規範ともいうべき堂々とした姿を見せる《サモトラケのニケ》(紀元前200–190年ごろの作とされる)。実は、この像は1864年にギリシアで発掘され、修復の末に1884年にようやく現在の場所に設置されたため、1867年にこの世を去ったボードレールはこの彫像を目にしてはいないのだ。受け継がれてきた伝統的な美の規範に対し、頽廃という逆位相の美意識によって挑んだ詩人に、古代彫刻の見識を求めるわけではない。しかし、近代という時代の礎を築いたボードレールが、我々よりもはるかに少ない情報の中から独自の美意識を形成していたことに驚く。

 美術史に触れたことのある者ならば、みな「美とは相対的なものである」ということを知っているだろう。ただし、それは歴史という姿をしているために、美という価値がどれほど大きな変調にあるかということに具体的に触れることは少ない。歴史とは絶対ではない。時間の軸に沿いながら古代から陳列される博物館・美術館の中では、発掘された過去が新たに追加され、年表が上書きされていく。マルローが目指した「空想博物館」とは、実体という重さや脆さに対する一時的な避難所だったのではないだろうか。アルカディアにも死はあるのだ。我々はむしろ実体なきイメージの森に迷い込んでいるのかもしれない。

 イメージの楽園、あるいは迷宮に誘い込まれた我々の時代。「歴史」の叙述とは異なるマルローの「空想博物館」の概念を紐解きながら、ゴーガンやピカソ、その他幾人かの芸術家の思考を新しい形でたどってみようと思う。

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