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キューブラッシュのプリンシピア あとがき

2019年11月16日夕刻, 私は秋葉原にいた.
思えばそれが始まりだった・・・.

半年前に初めて「グラIII」1周を達成した私は, 高校時代の旧友にそれを披露すべく再会の約束を取り付けたのだ.
結果, キューブラッシュを突破できずゲームオーバー.

明くる朝, 折しも高輪ゲートウェイ駅の開業に向けて線路の切替えが行われて初めての日でもあったし, 帰りの新幹線までの時間を鉄道趣味の一環で列車の乗り歩きに充てることもできたのだが, 何か引っ掛かる気がしたのか, 私は同じ店の開店に並んでいた.

呆気なく1周.

な・ん・だ・こ・れ・は!!!

かくして私はキューブラッシュの研究を決意した.
かつての動画と並んで, 本書はその集大成だ.

私はいつしか, カマクラを作るのみならず, 全てのキューブを避けるまでになっていた.
しかしその一方で, 次第に別な思いも抱くようになっていた.

私はキューブラッシュに文句を言ったことがないどころか, 「むしろこれ程楽しいものもない」とすら思っているぐらいキューブラッシュが好きで, 「グラIII」全体についてももちろん好きなのだが, 私のような者がいる一方で「グラIII」やキューブラッシュに関する言説の中にはキューブラッシュが不当な評価を受けていると感じるものもあり, それに心を痛めていたのだ.
「キューブラッシュはもっと正当な評価を受けてもいいのに」と.

「不当な評価」というのは例えば, キューブラッシュに対する悪評から始まって, それにとどまらず悪評の対象が「グラIII」全体へ波及してしまうとか, 酷いものになると「高難易度化がジャンルの衰退を招いた」などという形でシューティングゲーム全般へ飛び火するといったもののことだ.

シューティングやアクションといったゲームは, 正しい順序で選択肢を選ぶ即ち攻略となるゲームなどとは異なり, リアルタイムでの入力の正確性が問われるため, これは喩えるならば楽器の演奏のようなもので, 残念ながら練習さえすれば何人(なんぴと)も上手になれるという保証はないゲームジャンルだ.
それでも志したからには何度も失敗を繰り返しながら練習に明け暮れ, 様々な事柄を知り, 覚え, 動きのパターンを構築し, 各々が定めたゴールに達するのだ.
それが難しさであると共に, それこそが面白さではあるまいか.
「正当な評価」というのは, 「それは『グラIII』も『キューブラッシュ』も同じだよ」という意味である.

(ここからは, かつて動画で語った事と重なる)

私が子供の時分, 田舎だったため, 専業で「ゲーセン」の看板を掲げる店こそ近所に無かったが, アーケードゲームは決して珍しい物ではなく, 街中の至る所に建ち並んだ商店の, 例えば本屋さんの店内の傍らに筐体があるなどということもままあった.

そして時は流れ, 技術は進み, ゲームに不自由しない時代になった.
業務用と家庭用とでは性能差を感じなくなったし, スマートフォンにゲームをインストールしようものなら「ゲームを身に着けられる」し,  過去作の実機に忠実な移植も充実するようになった.
そのぐらいゲームが飽和している一方で, ゲームに限らず消えたものも沢山ある.
かつての商店街もまるで店が無くなって街並みが廃れてしまったし, 古いゲームも実機はわざわざ探し求めてプレイする物になってしまった.
忠実な移植は救いだ.

さて, 「グラIII」だが, いつまでプレイできるのだろうか.
実機は有形である以上はプレイできなくなる日がいつかは来るであろう.
移植はどうか. 基板とは異なり無形だが, ハードウェアが代替わりしてもまた移植される保証があるだろうか.
残念ながらゲームは国宝でもないし文化財でもない. 誰も移植の義務を負ってなどいない.

タイトルが残る理由があるとすれば, それは, そのタイトルを愛する者がいるからに他ならない.

自分が好きなゲームである以上は, 同好の士はいくらでも増えてほしいし, 皆がキューブラッシュを含め「グラIII」を知り, 覚え, 深め, そして息の長い作品となることを私は願って止まないのだ.

本書が, 皆さんがキューブラッシュへの見方を変えるきっかけとなったり, 攻略への一助となれば喜ばしい限りである.

読了した皆さんの眼前に, キラキラと輝くクリスタル流れる美しい宇宙がマルゴトヤッテきていることを祈っている.

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