ある意味の戦い
世間的にはオリンピックのメダル獲得の情報が溢れていて、アスリートと言われる人はすごいなぁと思います。
前回、毎日がオリンピックと書きましたが、その本質は毎日が戦いだからです。
戦いと言っても、ケンカではありません。
痛んでいる私の身体と相談しながら、働く・学ぶの戦いをしています。
他の人から見れば、アホですし、そこまでしなくて良いのではと思われるかも知れません。
私はアスリートではありませんが、何かの証をずっと探してる気がします。
それは、自分自身を認めると言う証です。
資格、権威、金、地位etcではなく、自分って何者かを自分で見届けたいって感じです。
なぜ、そう思うのかを覚えてる限りの記憶を辿りました。
そして、昨日のご飯を食べた際に、少し泣けました。
表向きはオリンピックの柔道で泣いたように見せましたが、ご飯がすべてでした。
ご飯に目玉焼きが乗るとそれはご馳走でした。
卵がご馳走でした。
小さな借家の庭先で、鶏を飼っていて、朝、卵を食べられるのが最高でした。
ちなみに小学校低学年の頃です。
昭和と言われようと構いませんし、田舎と言われても構いません。それが私の育った環境だったからです。
あの頃が一番楽しかった気がします。
今が楽しくない訳ではありません。
働き過ぎて、身体がダメになって、骨と皮のようになっても働いてた頃に比べれば、相当回復しました。
いろんな証があって、そこには物語のような出来事がたくさんあるはずです。
だから、私の物語を私自身で見届けたいのです。
それは一番になることでもなく、大金持ちになることでもありません。
きっと、自分を認めた時に、私の物語は終わるのだと思います。
まだ、終わらないと言うことは、認められない自分な訳です。
人間の証明と言う映画がありました。
その主題歌がすべてです。
では、素敵な睡眠を。
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