完璧主義者の憂鬱

いまさ、めちゃ眠いんだけど、あまり有意義に過ごせなかった1日の夜って、まだ眠ってはいけない気持ちになって足掻いちゃうんだよね。

この世に正解なんてないんじゃないかと思うの。矛盾と不条理とそれに対する葛藤でできてて、あちらを立てればこちらは立たない、みんな妥協で生きてるのだーーと言われればそれまでだ。
でもそこで自分なりの完璧を見つけようとするのが人生の意義の1つだったりして…。


尊敬する人は誰ですか?と聞かれて、君は答えることができるだろうか。堅い場面だったらおそらく「両親」が妥当な回答だろうけど、主観極まりないし情もあるし必ずしも正義とは思えない。まあ質問者も絶対的信仰を聞いてるわけではなくて、その人の一部のことでいいんだろうけど、私には「尊敬」の言葉自体が引っかかる。
我が強いもんで自分で納得したことしかしたくないのよね。尊敬も憧れもよくわからない。

あなたは私の太陽だ。ミューズだ。全てだ。
なんて言ってみたいし言われてみたいよ。本当にそんな世界あるのかな。好きという感情だけで自分の命をかけられるだろうか。
ギリシア劇からポップミュージックまで、愛は揺るぎないものとして綺麗にパッケージされてる。実際に辿り着ける人がいたとしたらそれはどんな人だろう。


たとえば他人の文章ってどこかその人の癖が出るもので、読んでいると引っかかる。内容ドンピシャだけどこの言い回しはダサいとか勝手にあら捜ししちゃわない?もちろん大好きなんだけど、1個でも違うと冷めてしまって…。
私の考え好みにぴったり合う人なんていないと分かってても求めちゃうのは何故だろね。私にとっての完璧は私の中にしかないんだなあ。

相談しても答えは決まってるとよく言うが、私はその最たるものだと思う。考え方を否定されたらムカつくし(極力表に出さないよ)、すぐ「でも…」って言っちゃうし(直したい)。
だけど相手の意見から省みて軌道修正したり、寧ろ自信を持てたりするから、どうか君よ相談させてください(懇願)。私もちゃんと聞くから…。

たぶんさ、自分の正義とか自分らしさって自分の中だけじゃ作れないんだよな。



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