方舟

人類に地球規模の災厄が迫っており、残された時間はあと1年。どうにか宇宙へと脱出するための巨大宇宙船を建造したものの、搭乗できる人間はほんの一握りー

SF映画でよくある設定だが、今の我が国の状況はこれとあまり変わらないなあ、などと思うことがある。それは例えば、東京臨海部のタワマンが乱立しまくっているエリアなんかを歩いている時だ。そういう場所の公園や広場では、たくさんの親子連れを見かける。それは、とりたてて物珍しくもない、当たり前の光景であるーはずだった。少なくとも、自分が子供の頃くらいまでは。

数字の上でどうなっているのか、正確なところは知らない。あくまでも肌感覚の話だが、地方では、そうした「子供」や「親子連れ」といった存在の密度のようなものが、とても希薄になりつつある。実際、非婚化・少子化と東京一極集中が轟音をあげながらものすごいスピードで進んでいる以上、数字のうえでも裏付けられるのだろうとは思うが、体感としてはそれ以上だ。

「東京」という方舟を残し、その他の地方は全て水の底に沈みつつある。そういう感覚なのだ。はっきりと目に見えて、人間が消えていっている。

福祉にせよ教育にせよ、年金にせよ、あるいは今般のコロナのような災厄への対応にせよ、我が国を成り立たせているシステムには、多くの不備や欠点がある。完璧なシステムなどというものは歴史上存在したことはないのだから、それは当然のことだ。しかし、あるべき理想を思い描きながら、今あるシステムを支え、よりよいものに作り替えていくことはできた。今は、それすらも困難であるように思える。人間が減るということは、資源が減るということだ。生産性の向上や効率化を上回るスピードで、我々は資源を失っている。コロナウイルスの猖獗は、システムのあるべき水準と現実とのギャップを浮き彫りにしたが、そのギャップを埋めるだけの資源を我々はもはや持ち合わせていないのだ。

救われる見込みがないのなら、できることは残された方舟にすがることだけだろう。しかし、多くの人がしがみつけばその船もまた軋み出す。全く違った救いの道を、我々は見つけることができるのだろうか。


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