見出し画像

Pavement 『Slanted & Enchanted』

 1992年にリリースされた1stアルバム。
 録音時期は1990年末~1991年初頭とリリースのちょっと前(7インチシングル『Summer Babe』は1991年リリース)。英語版wikiの記述によると1991年には既に業界内の一部で音源が流通していたらしいけど詳細不明。
 2022年5月追記:2022年、今作の発表30周年を記念して”業界内の一部で流通していた音源”であるデモカセット『Courting Shutdown Offers』が復刻されて再発されることになった。完成版の『Slanted & Enchanted』とは曲順や曲名が一部違うほか、「My First Mine」「Baptist Blacktick」が収録されているなど内容にも若干の相違がある。

 2002年には2枚組のデラックス盤『Slanted & Enchanted: Luxe & Reduxe』がリリースされている。個人的には今から聴く人は最初からこれ買った方が良いと思う(上の埋め込みプレイヤーもこっちを入れた)。私もそうした。詳細は後述。

 他のレビューで散々言われているような文言を、ここでも繰り返さなければいけない。
 デビューアルバムにして有名音楽誌の「偉大なアルバムランキング」では上位の常連、批評家からは絶賛の嵐というものすごい作品…なのだけれど、その前評判だけで飛びつくとまず混乱必至。

 私が所持しているのはデラックス盤のほうなのでリマスターされていて多少マシになっているとは思うけれども、そのリマスター効果をもってしてもぐっちゃぐちゃのよく分かんねえ音作り、全パートへろっへろで頼りない演奏、そしてフリーダムが過ぎるボーカルパフォーマンス。録音そのものも全然良くなくて、そこら辺の音楽スタジオで録ったような音質(普通に音がヨレたり割れたりしてる)。クセが強い、というかクセしかない。
 しかもそれらの状態の裏には「技術力や予算等の状況でこうなっちゃいました」という諦めや妥協とは一線を架した、人を食ったような挑発の態度が明らかに存在していて、全く一筋縄ではいかない。
 このやる気があるんだか無いんだか分からない感じ、そして一見では無造作に聴こえる音作りは「ローファイ」というムーヴメントを興すに至り、今日までの音楽、特にインディーズの領域にとても重い影響を与え続けている。

 その一方で今作を繰り返し聴いていると分かってくるのが、先述のようなあまりにも強烈な「装飾」の奥に”楽曲そのものの秀逸さ”が作品の本質を成す要素として強く存在していること、そしてその要素が明らかに豊富な知識によって裏打ちされていることだ。

 グチャっとしたミックスと全編通して統一された音作りによって隠れがち、というかわかりづらいのだけれど、今作の収録曲のアレンジの多彩さは凄まじい。
 このアレンジ力は音が整理された次作『Crooked Rain, Crooked Rain』とそれ以降でより本格的に表出することになるのだけれども、今作収録曲のアレンジも負けず劣らず野心的。
 そもそも冒頭3曲(正確には4曲)「Summer Babe (Winter Version)」「Trigger Cut / Wounded-Kite At : 17」「No Life Singed Her」の時点で、ポップなミディアムテンポ、カントリーっぽいメロディのギターロック(実験的なセッションのインタルード付き)、サーフロックの要素を取り入れたパンク風、と全部曲調が違う。
 そこからシリアスな稀代の名曲「In The Mouth A Desert」、ブチギレ系ハイテンション「Conduit For Sale!」、メロディの美しさが前面に出た「Zurich Is Stained」と続くその多彩さは改めて聴くと凄まじい。
 その多彩さが14曲、最後までネタ切れせずに続くのでちょっとどうかしている(「Fame Throwa」みたいな若干やりすぎた曲もあるけど、まあそこはご愛敬)。

 先述した「Summer Babe (Winter Version)」「Trigger Cut」「In The Mouth A Desert」「Zurich Is Stained」といった曲群や「Loretta's Scars」「Here」「Perfume-V」などで聴ける、特異さと繊細さを兼ね備える変則チューニングを用いたメロディワークも素晴らしい。
 この要素もまた次作以降でさらに磨きがかけられていくのだけれど、この1stの時点で既に十分すぎるほど美しいメロディを連発している。
 総じてこのアルバム、クセまみれの表層に対して聴き込むと抜け出せなくなる要素があまりにも多すぎる。

 個人的には今作は勿論ローファイな趣を持った作品ではあるけれども、一方であまりこれ以降のローファイに結び付けすぎるのも、当時はともかく今となってはどうなんだ?という気持ちはある。
 ここまで散々書いて来たとおりメンバーの演奏力は確かにめちゃくちゃ頼りない状態ではあるのだけれど、一方で試そうとしているアレンジを一定の完成まで持って行くことには成功していて、つまり(「やれる範囲でやっている」部分もあるであろうとはいえ)アイデアにちゃんと着いて行けてはいるし、技術力こそないもののセンスは感じられるので、ただ下手なだけなのかというと少し違うのも事実。
 先ほども書いたようにマルクマスは変則チューニングを多用しているので、知識が無くてこうなったわけでもない(むしろ知識は山のようにあることが楽曲のバラエティの豊かさから垣間見える、ってこれもさっき似たような事書いたな…)。

 特に「Here」は美しいメロディのおかげもあると思うのだけれど、正直あまりローファイの趣を感じない。
 確かにギターの弾き方とか最後の方の急な加速とかけっこう怪しいけど、それでも意図的にかなり抑圧したアレンジをちゃんとモノにしていて、ただひたすらギターをかき鳴らしているようなバンドの楽曲とは一線を架している。
 この曲のボツになった別ミックスがデラックス盤に収録されているのだけれど、そちらでは全編通して歪んだギターが鳴っていて、結構趣を異としている(ちょっとシューゲイザーっぽい)のだけれど、つまり彼らはこの時点で既に「この曲ではノイズギターを切る」という選択を出来るセンスがあった、ということでもあり。

 なので極めて個人的な意見を記すと、「ローファイ」とはあくまでこのアルバムや同時期の他のバンドの作品に”影響を受けて生まれた”ムーヴメントであることに留意すべきで、このアルバム、ひいてはPavementそのものがローファイであるかどうかは、それだけが彼らの本質ではないという意味で検討が必要な別の問題だと考える。
 これは最近だとシティポップというジャンルにも同じことが言えると思うけど。

 詞表現はかなり難解。
 一応翻訳サイト等を用いて自分なりに訳したりもしているのだけれど、言葉の間の繋がりが詩的が過ぎて解釈が難しいし、英和辞書を使っても出て来ない意味不明な言い回しもよく使われていて複雑の一言。
 このバンドの詞表現は英語圏の人にとってもかなり謎らしく、「(曲名) Pavement」でgoogle検索すると結構な確率でサジェストに「meaning」と出てくるし、「Here」の歌詞の一節「a run-on piece of mountain travels」の意味がどうしても分からなかったので調べてみたら、海外の質問サイトで英語圏の人が「これってどういう意味なんですか?」という質問をしているページにぶち当たって正確な訳を諦めたこともある。
 社会批判的な要素が何となく感じられる寓話が語られる「Conduit For Sale!」や、作詞したスコットによる「カリフォルニアについての曲」という種明かしを知ったうえで聴くと若干言っている意味が分かる「Two States」のような曲もあるにはあるけど。

 初聴で面食らっても、何回か聴けばその評価の高さは伊達じゃないと実感できる作品。
 ただ、いきなりこれから入るのはちょっと大変かもしれない。音が整理されたこれ以降の作品を聴いて、ある程度Pavementのことを理解してから聴いた方が受け入れやすいと思う。逆にいきなりこれ聴いて気に入ったらもうどれ聴いても大丈夫。
 そしてもうひとつ留意すべき点は、Pavementの作品に於いて、真にローファイと呼べる音作りはこの作品以前の音源を集めた編集盤『Westing (by musket and sextant)』と今作を以って終わっている、ということ。
 なのでPavementにローファイの趣を求める人はこの2作を聴く必要がある、とも言える。

 最後にデラックス盤である『Slanted & Enchanted: Luxe & Reduxe』について。ボーナスディスクを加えた2枚組になっていて、その内容は

  • アルバムと同じセッションで録音された音源―3曲入りEP『Summer Babe』から全曲とコンピレーション盤に提供した「My First Mine」(この4曲については編集盤『Westing (by musket and sextant)』でCD化済)、未発表テイク「Here (Alternate Mix)」未発表曲「Nothing Ever Happens」(「Wounded-Kite At : 17」のフルバージョン)

  • アルバム発表直後の1992年11月にリリースされた4曲入りEP『Watery, Domestic』から全曲、同EPのためのセッションで録音され「Trigger Cut」シングル盤のB面に収録された2曲とコンピレーション盤に提供された「Greenlander」(ここに収録されるまでは『Westing (by musket and sextant)』の日本盤にしか再録されていなかった)

  • John Peel Sessions出演時の音源×2回分(8曲)

  • 1992年末にロンドンのブリクストンアカデミーで行われたライヴの音源(12曲)

 これさえ買えばささやかながら重要な存在である『Watery, Domestic』も同時に入手できる(特に「Shoot The Singer (1 Sick Verse)」はメランコリックなメロディがとても美しい名曲で必携)のでまずそこが単純にお得。
 また、John Peel Sessionsの音源は「Here」以外の全曲が音源化されなかった未発表曲という代物。特に「Circa 1762」はシューゲイザー風のアプローチに初期Pavementの良いところが集約されたような名曲で必聴。
 ライブ音源もアレンジがスタジオ音源と結構違っている曲も多いし、何より観客の盛り上がりっぷりがすごくて面白い。
 いまから入手するなら間違いなくこちらを買った方が良い。
 
肝心の未発表曲「Nothing Ever Happens」が割とどうしようもない曲(追記:今更気付いたんですけど、これ「Trigger Cut」の後にインタルードとして入ってる「Wounded-Kite At : 17」のフルバージョンなんですね、なんで気付かなかったんだろ…)な辺りも、「らしい」というか。