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『フェイクドキュメンタリーQ』全作レビュー7・「Q7:或るブログ」

Q7:或るブログ - Obscure
動画タイトル:オレンジロビンソンの奇妙なブログ

 個人的には最も怖い回。フェイクドキュメンタリーという形式がホラーに与えた最高の結実。
 例によって好きな回なので無駄に文章が長くなる。容赦して欲しい。

 2009年の5月に開設されて2011年の11月で更新を停止した、”オレンジロビンソン”なる人物のブログ。そこにはオレンジロビンソンがバイト先のCG会社でこなしている業務についての雑感や、日常の所感などが綴られている。
 記事を追っていくと、バイト先にXさん(オレンジロビンソンによる通称)という人物から、”顔の崩れた女性の写真”と家族写真を合成した写真を作成して欲しい、という謎めいた依頼が来た…という内容の記事が登場する。
 それ以降、ブログの記事にはXさんが”顔の崩れた女性の写真”の方はそのままに、家族写真の内容を変えながら何度も何度も同じ依頼を繰り返す様子が綴られていく。やがてバイト先に異変が起きて…。

 Q2「深夜の留守番電話」に続く「映像が一切登場しない」回となっている。
 しかしQ2と明確に違うのは、メインとなるものがブログの記事と記事内にアップロードされている画像の二つであるという点。使える動きはせいぜい上下のスクロール程度。この時点で、ホラー作品としては「音」も「動き」も使えない、という相当チャレンジブルな縛りを設けている。
 この一瞬失敗するだけで全体が崩れてしまいそうな構成の回が、今作でも屈指の恐怖度を誇る回になっているのだから脱帽するしかない。公平性を期すために記すと、この回の中にはスクロール速度やSEを使った”恐怖感を煽る演出”もあるにはある。
 …あるのだが、そんなものはこの回の本質ではない。正直それらの演出があろうがなかろうが、この回は本当に怖い。

 子供の頃、世界中の”怖い童話”を集めた児童向けの書籍をどこかで借りて読んだ。
 その中に「こわいものしらずのジョバンニ」というイタリアの昔話が掲載されていた。

 昔、あるところにジョバンニという青年がいた。彼は自他ともに認める怖いもの知らずである。ある田舎町を訪れたジョバンニは、諸々の巡り合わせで誰も生きて帰って来たものがないという宮殿で一晩を過ごすこととなる。
 ジョバンニは持ち前の恐怖感の鈍さで、宮殿の中で自らの体をバラしながら脅しをかけてくる大男の姿をしたおぞましい怪物に打ち勝ち、宮殿の中に隠されていた財宝、そして宮殿そのものを見事に手に入れ、幸せな暮らしを手に入れる。
 しかしある日、ジョバンニはふと振り返った瞬間に目に入った、背後に広がる「自らの影」に驚きそのまま死んでしまったのであった。

 人間を一番「怖い」気持ちにさせるものは自らの想像力かもしれない、と思う時がある。私は強迫気質があり余計その性質が強い自覚がある(なのにホラーが好きとはずいぶんと難儀なことではあるが)ため、恐らく人よりもその思想をひときわ強く持っている。

 この回はその恐怖の根源の一つである視聴者の「想像力」を、残酷なまでにドライブさせてくる。
 思えばQ1の「フェイクドキュメンタリー」で示された「果たして本当にフェイクなのか?」という、今作の核を成す問いそのものが既に人間の想像力を憎いぐらいに弄んでいるし(もちろんこれは褒め言葉だ)、ここまでの回も「遺品」といい「祓」といい「鏡の家」といいどれも「嫌な想像力」を効果的な形で掻き立てる秀作揃いだったわけだけれども、この回における視聴者の「嫌な想像力」を掻き回すパワーはもはや暴力的ですらある。

 この回が想起させる「嫌な想像力」は、例えば「遺品」のそれに近い映像の中にある少し不自然な要素(例えばオレンジロビンソンのプロフに設定された謎めいた置物の写真)、守秘義務に対する意識の緩さや震災を受けて書いた記事の文面などから匂い立つあまりに生々しい”2000年代後半~2010年代前半のブログ”感、そして何より今回のメインとなる「顔の崩れた女性の写真」の恐ろしさといった、作品を構成する要素による力も大きい。
 特に「顔の崩れた女性の写真」の恐怖感は特筆に値するだろう。この回の思い切った構成を成功に導いた一因がこの写真のインパクトであることは間違いない。

 しかし今回一番怖いのは、明らかに「何か」が進行しているが、しかしその正体が一切明かされないまま、最後に「何か」が達成されたことだけが示される構成から来る、異常な性質の不安感だろう。

 Xさんの目的は終ぞ明かされない。我々がオレンジロビンソンのブログを通して確認することができるのは、先述した通り目的が果たされる過程と達成の瞬間だけだ。故に、視聴者はこの目的のための手段の全貌がどのようなものなのかが分からないままこの映像を見ることになる。
 もしもXさんの取っている行動が「呪術」だった場合、このブログを通じて…いや、”この映像”を通じて、自らのプロセスやそこに用いた道具―つまり「顔の崩れた女性の写真」が拡散されるところまでが、「手段」に含まれていたら?
 オレンジロビンソンがそれをあらかじめ知った上でこのような投稿を重ねていたら?
 そして、”この映像の作り手”もその「手段」に加担していたとしたら?
 これらの悪い想像を弄ぶかのごとく、映像の作り手はブログに掲載された”先輩”の背中を映した画像に「顔の崩れた女性の写真」を透過でオーバレイしてみせるのだ―まるで、映像内で繰り返し作られる邪悪な合成写真のように(この箇所は、おそらく今回唯一の「映像表現」を使って恐怖を醸し出している個所。こんな単純な映像表現でここまでおぞましい恐怖を作れる手腕!)。
 そして私たちは、Q1からずっと今作全体に通底して響き続けている問いをここで再び反芻することになる。
 もしも、これがフェイクじゃなかったら?

 結果、視聴者は映像を見ている間、ずっとこの考えに囚われることになるのだ。

”これは本当は見てはいけないものなのではないか?”

 今回の中にある圧倒的な怖さは、本来「作り手と視聴者」、もっと言えば「映像と視聴者」の間にあるはずの線引きの存在が限りなく曖昧に感じられ、映像の中に収められているはずの邪悪な何かが「こちらに滲み出してきている」感覚が終始拭えず、そこから様々な想像が膨らんでいくところにある。
 そして私たちはQ1の「見ると死ぬ映像」を見た瞬間からここに至るまで(そしてこの先も)、「視聴者の想像力が生み出す恐怖」にずっと囚われていることを今更思い知らされるのだ。

 映像の冒頭に登場するブログ最後の記事。初見時では理解しづらいこの記事の文章と「空の写真」の意味合いは、この回を最後まで見ると分かる。
 はたして、オレンジロビンソンのこの「空」に対する恐怖、そして私たちがこの動画に対して抱く恐怖、これらは単に背後に広がっている自分の影に怯えているだけなのだろうか、それとも。

 ちなみに。今回の動画で私が一番気になっているのは、最初の家族写真に写っているデカすぎるろうそく。
 これ、確かコメント欄かツイートで指摘があって気付いたんだけど、何度見てもマジでデカすぎて笑ってしまう。もしかして、これも伏線…?(※ジョークです)