華原朋美『nine cubes』 [1998]

 以下の文章は今年の4月に自分のdiscordのサーバーに載せたものを転載の上、加筆や修正を加えたものです。


 1998年発表の3rdアルバム。小室哲哉プロデュース。
 初めて買う華原のアルバムがこれというのは我ながら非常に性格が悪いというか、非道な行いだという自覚はあるのだけれども、ずっと探していた折に110円コーナーで見つけてしまったので…。

 当時、華原と小室の恋愛関係は公然のものとなっており、前作『storytelling』ではジャケット写真にプロデューサーである小室が何故か写り込むところまで公私混同していた(一部では「ラブジャケ」と言われていたとか)。
 しかし今作『nine cubes』を98年11月に発表した直後―同年の12月、二人の関係は破局を迎えたとされている。さらに翌年1999年の1月には華原が「ガス中毒」で緊急搬送される事態にまで発展した。この後の二人の運命を見ると、華原だけではなく、小室にとっても人生の歯車が少しずつズレ始めた時期だったと言えるかもしれない。

 つまり今作はふたりの関係が冷め切っていた時期に製作されたことになる。
 何故こんなにも演者のプライベートを書き連ねる必要があるのか。それは今作がとにかく異常な作品だからだ。

 よく「曲が手抜き」と言われているが、まあアレンジが少々雑な部分もあるかな、とは思うが、正直言われるほど手抜きの作品ではない。むしろ「小室哲哉ってこんな曲も書くんだ~」というトラックも散見される興味深い内容になっていて、シティポップとして鑑賞可能な楽曲もある。また、小室の「節」が端々に溢れる曲を、生演奏を中心としたアレンジで聴けるのはなかなか斬新で面白い。

 しかし、それらのトラックの全てはどれも華原がまともに歌えない部分にキーが設定されていたり、そもそも誰もまともに歌えそうもない歌メロが強引に乗せられているのだ。
 おかげで華原のボーカルは本来長所であるはずの「不安定な揺らぎ」が徹底的に短所として響く結果になり、全編通して壊滅的なまでにグチャグチャ。はっきり言って市場へと流通させるにはギリギリでアウト、と表現して差し支えないレベルである。とてもじゃないがこれが三作目とは思えない。
 冒頭の「daily news」からいきなり全編通して録音に失敗したかのようなグニャグニャのボーカルが鳴り響く(よく考えたらこれに平然と自身のコーラスを入れてる小室哲哉、怖すぎる…)。

 例えばインディー系のミュージシャンがこのボーカルパフォーマンスでも私は何も思わないだろう(むしろ面白がり評価として加点するまである)が、時代の寵児と呼ばれたプロデューサーと彼の手によってミリオンを達成した歌手による作品となると話は別である。しかも二人は恋愛関係にあり、互いの得意・不得意をも知り尽くした関係であるはずだ。実際、ほかのアルバムでは今作で欠点として表出している要素をうまくコントロールして魅力的なボーカルとして聴かせているわけで。
 にもかかわらず今作に於いてボーカルがここまでの崩壊を呈してしまい、更にその上でリリースに対してのGOサインが出たということを考えると、そこからは洒落にならないほどグロテスクな様相が見えてしまう(だってあれだけのプロデューサーがこのボーカルテイクのヤバさに気付かないわけないじゃない)。

 更に歌詞の中にも嫌なものが見え隠れしていて、かなり強烈な緊迫感がある。
 特に「needs somebody's love」はサビの

私もこのまま何もわからないまま
あなたをずーっとずーっと必要としてゆくね

華原朋美「needs somebody's love」作詞:小室哲哉

を筆頭として、二人の当時の関係からするとあまりにもヤバい歌詞になっていて本当に怖い。特に唐突に出てくる「ビルの屋上の角」のフレーズがヤバすぎる。
 他だと「さがしもの」のパートナーを失った女性を散々な描写で表現する歌詞はその後の予言のような内容になっていて全く笑えないし、「winding road」も負のフィーリングが充満している上に言葉の繋がりがバラバラ過ぎてキツい。
 というか、本人作詞の「storytalling」(※前作のブックレットに載っていたポエムにトラックを付けた曲らしい)を除けば、どの曲にも必ず一つ何かしらキツめのフレーズが含まれていてとにかく異様。
 それらのフレーズが今作の特徴であるヘロッヘロのボーカルで疲れ果てた病人の喘ぎのように歌われるのだから、もう…どうしようもない。

 音楽という表現は持ち方を変えるといかに個人を追い詰める武器に成り得るか、ということが示される作品だが、それがミリオン生産メーカーであった小室哲哉によって行われたというのがあまりにもだし、もっと言えば「小室がそうした手段を取った」が故に今作は世に出て一定数流通し、私が中古で入手するまでに至ったと考えると、とにかくどこを取っても異常な作品としか言いようがない。

 先述したように「あなたについて」や「Waiting For Your Smile」などシティポップとして鑑賞可能な曲もあるのだが、壊滅的なボーカルによって本来シティポップが目指すべき方向からは真逆の、巨大な空虚感と強烈な緊迫感の位置に辿り着いてしまっているので、そういう勧め方をできるわけもなく。
 様々な意味でJ-POPのダークサイドを象徴する狂気に満ちた作品の一つだと思うので、覚悟が出来ているのであれば一聴してみるのも良いと思う。ファンの中でも今作を評価する人は少ないながらもいるみたいだし、個人的にも狂気含めけっこう好きなアルバムではある。
 まあ絶対に人には勧められないが。特に何かしらの事情でメンタルがやられているような人には本当にお勧めできない。

 ちなみに華原のアルバムの大半はサブスクで配信されているが、今作とその関連シングルは配信ラインナップから除外されている。当たり前。


 …とまあ、4月に上げた文章はこんな内容だったんですが、私がこの文章をアップロードした半年後の2023年10月、なんと今作がサブスク解禁されてしまいました。ワーナー正気か!?
 令和の世では華原さんのファンとJ-POPオタクと特価品ディガーだけが耳にしていたこの狂気、気になる人はこの機会に一聴してみるのも手ではないだろうか。
 ただ本文中でも書いたけど本当にヤバい作品なので注意してください。素人のカラオケみたいな曲が大量に入っているCDを聴いて来た私でもこのアルバムのボーカルはメンタルに来る。本来上手く歌えるはずの人が追い詰められてこんなグチャグチャなことになっている、ってのが歌の節々からありありと分かるからだろうか。