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Fishmans『King Master George』

 フィッシュマンズが1992年に発表したセカンドアルバム。

 プロデューサーにパール兄弟の窪田晴男を起用した唯一のアルバムで、後期の作品…どころかこれ以前のファースト含めたどの作品とも全く違う作風になっている。何かと「異色作」「最初の1枚には向かない」と書かれがちの一作だが、私はこのアルバムが大好きなので、一曲ずつ独断と偏見で出来た紹介を書いてみることにした。

 ちなみにアルバムのジャケットデザインを手掛けたのは独立してCentral67を立ち上げる前の木村豊。木村はこのあと『Neo Yankees' Holiday』までフィッシュマンズ作品のデザインを担当し、そのうちのどれか(『Neo Yankees' Holiday』のジャケットと言われている)が草野マサムネの目に留まったことがきっかけでスピッツの作品のジャケットデザインを担当することとなる。

1. いい言葉ちょうだい

 ドープなダブ。このアルバムでは数少ない「シリアスな曲」。その貴重な数少ないシリアスな曲のうちの一つをいきなりド頭に置いてしまっているアンバランスさがこのアルバムらしい。
 歌詞も改めて見返すとこのアルバムらしからぬ暗い内容だ。

いい言葉僕にちょうだい
上手く眠れるように
いいことばかりをちょうだい
明日笑えるように
(フィッシュマンズ「いい言葉ちょうだい」 作詞:佐藤伸治)

 …「いい言葉」「いいこと」を望むのは逆説的に言えば今が「良くない」からである。余計なことを考えて眠れなくならないように、二人称すら定まっていない相手に我儘にも取られかねない希望を真っ直ぐに望むさまがじんわりと痛々しい。そんな悲痛さを煽るうら寂しいメロディも素晴らしい。ベスト盤には何をどうしたってセレクトされないような曲だが、隠れた良曲と言えるのではないか。
 おふざけとユーモアのあいだにこうした「隠れた良曲」がよく見るとぎっちり詰まっている、それこそがこの『King Master George』の真骨頂だ。

 ダブ・ミックスはプロデューサーの窪田によるもの。アウトロの爆音のディレイはたぶんダブを茶化したギャグだろう。…いや、これも真面目な表現なのかもしれないけど。

2. 誰かを捜そう

 間違っても『空中キャンプ』には入らない、シンガロング系の曲。もしも世田谷三部作以降のフィッシュマンズしか知らない人がこの曲を聴いたら、このバンドにもライブハウスで見ず知らずの観客と肩を組んで合唱できるような曲があったのだ、という驚きがあるのではないか。メロディもアレンジもいたって良質で、まかり間違えればヒットしそうな雰囲気すらある。最もシングルカットはされなかったのだけれども、ムック『Long Season Revue』等に掲載されている年表によると一応求人番組のタイアップが付いていたらしい(まんますぎる…)。

 歌詞には若者ならではの孤独が描かれており、世間に対して斜に構えた目線なんかも垣間見える。

インチキ野郎が多すぎて
街カドで つまづきそうだよ
だから気の合う場所を見つけた夜は
朝までダラダラしてしまいそうだよ
(フィッシュマンズ「誰かを捜そう」 作詞:佐藤伸治)
偽善者が歩いてるんだよ
ナチュラリストが歩いてるんだよ
(フィッシュマンズ「誰かを捜そう」 作詞:佐藤伸治)

 その視点には僅かに後期に繋がる空気感がある。しかしそうした視点を散々並べた末に、サビでタイトルにもなっている「誰かを捜そう」を連呼する、という無茶苦茶他力本願なぶん投げ方をしている辺りが『King Master George』っぽい。

 ムック『Long Season Revue』等に掲載されている年表には、この曲にスペースシャワーTV製作のビデオクリップが存在する、という記述があるのだが、これ見たことないな…。

3. シーフードレストラン

 HAKASE作のスカ。Fishmans加入以前にはムスタングAKAに在籍していたHAKASEのセンスと演奏陣のプレイアビリティが炸裂しており、トラックそのものは良質。しかしここではダブの要素である「過剰なエフェクト」をギャグとして捉えたハチャメチャなアレンジが成されている(ダブ・ミックスは佐藤によるもの)。
 佐藤も全編通して半笑いで歌っており、そもそもそんなテイクがそのまま使われていること自体おかしい。アウトロのボヤキがカットされずに収録されているところまで一聴すれば、誰も真面目に作る気がなかったことがすぐわかるお遊びの曲である。

 歌詞も人のライブに放火してその火で魚を焼いて食べようとしており、挙句二番ではちょっと贅沢して伊勢海老を食べようとしている。ここには何かを真面目に考察・解釈すべき余地は一切ないだろう。
 しかし、だからこそ貴重。とりわけ「フィッシュマンズ」という何かと神格化されがちなバンドの曲として、これ以上なく、貴重。

4. 影ドロボウ

 堅実なメロディ作りが印象的なレゲエ。作風はフルアルバムとしての次作『Neo Yankees' Holiday』収録曲のそれに近い。転調を用いたサビの盛り上がりが良い。また各所では印象的なエフェクト使いが成されており、ダブの要素をかなりうまく使っている(ダブ・ミックスは佐藤によるもの)。
 歌詞は落ち込んでいる「君」を励ますような言葉が並べられており、多少不自然なぐらいに素直な内容になっている。

君はなんとかやれるよ
君はなんとかやれるよ
ちょっぴり曲がった君は
とってもね 素敵だよ
(フィッシュマンズ「影ドロボウ」 作詞:佐藤伸治)
だれもが素直さを愛する
だれもがやさしさを信じる
わけじゃない
(フィッシュマンズ「影ドロボウ」 作詞:佐藤伸治)

 全体的に直情的なのだけれど、その中にも「ちょっぴり曲がった君」などハッとするようなフレーズが挟み込まれている辺りに「いかれたBaby」等に通じる要素を感じる。

 …と思いきや、後半一分ちょっとでメロディも演奏もアレンジもボーカルも、曲を構成する全ての要素がふざけた雑なものに変わり、「君は変わりゃしない」「はやくあきらめなよ」と連呼、最後は前曲のような半笑いの歌唱で曲が終わる。
 つまりは前半の不自然な素直さは単なる伏線で、長い前振りを用いて最後に落とすおふざけ曲なわけだが、前半が曲も詞も素敵なだけに後味が悪すぎる。その後味の悪さ、もっと言えば佐藤の性格の悪さを楽しむ曲だろう。個人的にかなり好き。

5. ダイビング

 僅か1分10秒の小品なのだが、実はそれなりに重要な曲であると私は考えている。というのもこの曲は全編打ち込みの(現代で言うところの)エレクトロなのだ。
 これ以前にもシングル「100ミリちょっとの」のカップリングで「あの娘が眠ってる」にハウス調のアレンジを施す試み(「あの娘が眠ってる(P.W.M.Ver)」)が成されていたが、この曲の雰囲気はそれよりも強く(現代で言うところの)エレクトロに傾いており、多少の勇気を持って言い切ってしまえば、世田谷三部作や、その周辺にあるzAkとのコラボ作のそれに近いものになっているのだ。ただそれだと1992年の時点で世田谷三部作に通じる要素のうちのひとつを既に獲得していたことになってしまうが…。
 そんな私の妄想含みの勇み足を抜きにしても90年代らしからぬアレンジの曲で、バラエティ豊かな今作の中でもひときわ妙な存在感を放っている。

 そんなトラックの上ではだらりとした歌い回しで水泳への憧憬が歌われている。

6. ミネラルウォーター

 「ダイビング」「ミネラルウォーター」という曲名の並び、そして水泳への憧憬を歌った前曲から続くこの曲の歌い出しが「冷たいシャワー」なのは狙ったものだろう。

 …正直なんと形容すればいいのかわからない曲。ファンキーなリズムパターンとベースラインを持った曲なので一応ファンクか?しかしグルーヴ感のようなものはあまり感じられない。
 ボイスパーカッションやシンセのリフ、妙なエフェクトや謎めいたSEが雑然と組み合わされたアレンジはひたすらに混沌としている。メロディ運びも謎めいており、ぼそぼそと覇気なく歌う佐藤のボーカルも相俟ってかなり不気味な仕上がり。ぐちゃぐちゃに弾き倒したピアノが現れ不協和音を派手に鳴らして幕となるアウトロからは狂気すら感じる。
 歌詞も誰かに犬を連れて一緒にミネラルウォーターを飲みに行こうとひたすらせがむというもので、正直何を言っているのか全く分からない。なんなんだ。

 ムック『Long Season Revue』等に掲載されている年表によると、この曲をフジテレビの番組で演奏したことがあるらしい。

7. なんてったの

 このアルバムでは数少ないシリアスな曲。作曲は佐藤とHAKASEによるもの。

 通しで聴いていると前曲までの混沌とした流れからいきなり視界が晴れるのでインパクトがすごい。そして何より、この曲は「みんなの好きなフィッシュマンズ」だ。
 HAKASEの鍵盤を軸にした、普段音楽を聴くときにはあまり使われないタイプの感情をくすぐられるようなメロディも、どこか忌野清志郎を思わせる佐藤のボーカル・パフォーマンスも、過度に感傷的にならないからこそむしろ聴き手の気持ちを強く強く掴むアレンジも、その全てがフィッシュマンズのどの作品にも普遍的に流れている空気を、皆がフィッシュマンズを聴くときに無意識に求めているあの空気を、ギュッと凝縮している。窪田によるすこし素気の無い感じのミックスも素晴らしい。

 夏の終わりの「君」と「僕」のあいだの風景を描いた歌詞は全編どこを抜粋しても名フレーズがある勢いなのだけれど、とりわけ一番のサビはとても印象的。

ふりかえったらさ 君は見てたよ
ずっと昔の顔で
甘い気持ちも 風も残して
僕を見つめてる
そんなまなざしが 時を止めてくれる
(フィッシュマンズ「なんてったの」 作詞:佐藤伸治)

 かなりの名曲だと思うのだけれど、あれだけ出ているベスト盤の中でも『1991-1994~Singles & more』でしか取り上げられていないのが勿体ない(一応『空中』のボーナスディスクには未発表音源だったHAKASE mixが収録されていたが…)。なお、傑作ライブアレンジアルバム『Oh! Mountain』でもこの曲は取り上げられているが、アナログ盤のみに収録のレアトラックとなっている。こちらも何かの機会でCD化して欲しいのだけれど。

8. ハンバーグ

 適当に弾いているような楽器に寝言のような歌を組み合わせた、前曲と次曲の空気を転換するためだけにある僅か30秒のおふざけソングでしかなく、何を言えばいいのかもわからないような曲。
 でも、一番フィッシュマンズの曲を聴いていた時期にこの曲の真似をして地元の洋食店で煮込みハンバーグ定食を食べて、帰りにキットカットを食べながら歩いたことがあるので、私にとっては非常に重要な曲である。
 例えばくるりの「ばらの花」を聴いてジンジャーエールを飲むとか、そういう事をした人はたくさんいると思うんだけれど、どこかで音楽とドライな距離感を持っている私が、歌詞の真似をしてそういうことをやったのはこれ含めて片手で数えるぐらいしかない気がする。

 ところで作詞・作曲は「サトちゃんフクちゃん」とクレジットされているのだけれど…フクちゃんって誰?

9. 100ミリちょっとの

 深夜番組黄金時代のフジテレビ「JOCX-TV2」枠で放映された深夜ドラマ、『90日間トテナム・パブ』のオープニングテーマとして製作されたシングル曲。ムック『Long Season Revue』等に掲載されている年表には当時のインタビューが抜粋されており、番組プロデューサーからの様々な依頼に四苦八苦しながら制作した様子が語られている。時間指定もあったため、最終的にはストップウォッチを使ってレコーディングをする羽目になったという。
 そんな”外部からの介入”という一種の制約を設けられたからこそ生まれた、「普段とは違う状況」によるシナジー効果のようなものが瑞々しく収められている名曲。

 この曲はフィッシュマンズには珍しくかなりJ-POP的な要素が強い。メロディ/アレンジは全体的にビートルズっぽい仕上がりになっている。間奏のコーラスを軸にしたアレンジなど、このバンドの他の楽曲ではまず聴けないようなものだ。
 またこの曲にはレゲエ/ダブっぽい要素も殆どない(ミックスは今作でダブの要素が薄い曲を中心にミックスを担当している藪原正史)。今作の前にリリースされたレゲエの要素の無い曲を集めたEP『Corduroy's Mood』の要素を継いでいる、とも言えるかもしれないが、その製作状況故に『Corduroy's Mood』収録曲にはない一種のコマーシャル性を持ち合わせている。そこにフィッシュマンズ独自の少し閉じた空気が注入されることによって、非常に魅力的な楽曲になっている。

 そんな変化球のトラックに思いっ切り普段通りの世界観の歌詞がぶつけられていて、その衝突もこの曲の大きな魅力の一つだ。

100年過ぎたらきっと浮かびあがるだろう
(フィッシュマンズ「100ミリちょっとの」 作詞:佐藤伸治)

 このJ-POP/タイアップソング的な要素とバンド独自の素質の衝突という作風はこれ以降の『Orange』等の諸作では当然見ることのできない表現であり、『King Master George』というアルバムへと向かう道筋でしか生まれ得なかった曲だと思う。今作の目玉の一つになり得る曲。

 なお、今作に収録されているのはアルバムバージョン。シングル版はミックスや一部のアレンジ、ボーカルのテイクが異なる別バージョンで、アウトロもフェイドアウトする仕様になっている。更に特筆すべきこととして、1番のサビの歌詞がアルバム版とは全く異なるものになっている。youtubeで見ることが出来るドラマの公式動画でオープニング映像を確認すると、この歌詞違いの箇所がド頭で流れているので、この詞はドラマのために用意されたものかもしれない。

10. 頼りない天使

 恐らく今作収録曲で一番有名な曲。バンド史上屈指の呼び声高い名曲として知られている。近年の様々なシンガーを迎え入れて行われている形態のライブでも様々なシンガーに選曲されて歌い継がれており、「いかれたBaby」以前の”初期フィッシュマンズ”の代表曲として扱われている感がある。

 実際のアルバムの流れで聴くと、「なんてったの」「100ミリちょっとの」といった”真面目”な楽曲たちの先にこの曲があるので、一応違和感は抱かない流れになっている(というよりおふざけの「ハンバーグ」含めた中盤の流れは完璧)が、それでもこの曲は圧倒的だ。
 トラックナンバーが変わり、イントロのゆっくりフェイドインしてくる降りてくるようなシンセの柔らかいメロディの中で雑なギロの音が鳴る瞬間、比喩でも何でもなく、本当に空気が変わる。
 ベースの大胆な抜き差しが印象的なアレンジも、佐藤が吹いていると思しきいなたいコルネットの音も、所々で音割れを巻き起こしながら挿入されるディレイ(ダブ・ミックスはHAKASEによるもの)も、曲を構成するすべてが、必然性を持った表現としてそこにある。

 タイトルはパウル・クレーの絵画からの引用だろうか。「頼りない」という言葉の解釈の仕方が美しい。

なんて不思議な話だろう
こんな世界のまん中で
僕が頼りだなんてね
(フィッシュマンズ「頼りない天使」 作詞:佐藤伸治)

 この「頼りない天使」はユーモアと実験精神が軸になった『King Master George』の中に存在する異空間であり、同時にこのアルバムの最高の瞬間でもある、と言えるだろう。

 まだ田舎に住んでいた頃、冬の夜に家族でドライブに連れられて、雪の山道でこの曲をかけながら満天の星空を眺めたことが忘れられない。

 最後に、『Oh!Mountain』に収録された今作のライブテイクが、この曲の持つ「温かさ」を最大限に引き出した素晴らしいものであることを付記しておく。

11. トナカイ

 奇跡のような前曲の余韻をクールダウンするでもなく、引き継ぐでもなく、寸断するでもない謎めいたインスト。アルバムの中で演奏時間が一番長い曲(5分52秒)でもある。またアルバムの中では「なんてったの」から続く”真面目”な曲の流れをいったんリセットする役割も果たしている。

 足音が鳴り、その足音がやがて曲のビートと重なっていき、最後はその足音が乱れて悲鳴が…という曲中通して行われている演出のせいか、かなり映画音楽的な印象を受ける。特に中盤辺りではスパイ映画のサントラ風のジャズが展開されている。佐藤のトランペットもレゲエ的なそれではなく、かなりジャズっぽいプレイスタイル。その合間にダブの文脈を用いたエフェクトによる様々な演出が挟み込まれており、全体的に物語性のある楽曲に仕上がっている。
 フィッシュマンズとしてはかなりの異色作。それを意識してか、ライナーなどではこの楽曲の演奏はThe Bottomsなる謎のグループによって行われている、というテイになっている。
 これ以降見ることのできない表現が頻出する『King Master George』というアルバムの特異性を伝える曲の一つであり、同時にこのアルバムじゃないと見ることが出来ないフィッシュマンズの顔の一つでもある。正直な感想を書こう。かなりカッコいい。ムック『Long Season Revue』等に掲載されている年表によると、この曲はプロデューサーの窪田の指示で完全なる即興で録音されたものだという。曲全体に漲っている緊張感はその手法に由来するものだろう。

 ところでこの曲一番の謎は「トナカイ」という表題だと思うのだが。この曲の何がどうトナカイなんだ。

12. 君だけがダイヤモンド

 10秒未満というナパーム・デスか?と突っ込みたくなるような尺。
 芸人の一言ネタのようなおふざけ曲。「影ドロボウ」でやった仕打ちを極限まで簡略化したようなことを言っている。
 バックではさりげなくフィッシュマンズの他の曲ではあまり聴いたことの無いようなファンキーな音作りがされており、一分尺ぐらいの曲で聴いてみたかった気持ちもちょっとある。
 
 ちなみに「曲目紹介」ではこの曲もThe Bottomsが演奏している、ということになっている。

13. 雨男憎まれる

 まさかのビートパンク。「いなごが飛んでる」等でその片鱗を見せていた作風とはいえ、このタイミングでぶちかまされるとなかなかインパクトがある。2分足らずの尺も”らしい”。終盤ではさり気無くサンバ風のリズムパターンになったり、意外と凝っている。
 この曲と「誰かを捜そう」を聴いていると、なんだかんだでフィッシュマンズも80年代終盤~90年代序盤のライブハウスから生まれたバンドなのだな、という事を実感できる。『King Master George』はそうした要素を実感できる唯一のアルバムかもしれない。2曲ともかなり完成度が高いのでこの路線でアルバムが一枚作られても面白かった気もする。しかし、果たしてそういう作品が作られていたら、このバンドの歴史はどんなものになっていたのだろうか…?
 曲の最後にはテレビからサンプリングされたと思しき天気予報のナレーションが入るが、こうした試みもこれ以降の作品ではあまりみられないものだ。

 歌詞は雨男の悲哀を描いたユーモア系の内容で、考察の余地もない。中盤で羅列されるレジャーが「舟遊び 球遊び 磯遊び 水遊び」と海関係の遊びで占められているところに、佐藤の海好きを改めて確認させられる。

14. 土曜日の夜

 このあとに「曲目紹介」が来るため、この曲を本編の最後の曲、と位置付けてもよいだろう。

 このアルバムでは数少ないシリアスな曲の最終章にして、今作収録曲としては「頼りない天使」に次いで有名な曲。ライブでも様々なアレンジを成されながら後期までずっと演奏され続けた常連曲で、故にライブ音源やライブ映像が多数残されている。「頼りない天使」と同じく、様々なシンガーを迎え入れて行われている形態のライブでも様々なシンガーに選曲されて歌い継がれている。

 アルバムの流れ的にも、そして後の様々な曲群の中にもあまり浮くことなくすんなりと収まっているので言われなければわからないが、実は詞曲共に『Neo Yankees' Holiday』まで在籍していたギタリスト、オジケンこと小嶋謙介による筆である。それを意識して聴いてみると確かにメロディ運びが佐藤のそれとは少し風合いが異なる…かな?
 ドープなレゲエにキャッチーなメロディを絡めたトラックは抜群の出来で、特にサビから間奏に行き、そのまま一番にはあったAメロを敢えて挟まずにBメロからサビへと戻る流れは泣き系のメロディと相俟ってかなり印象に残る。ちなみにライブ音源・映像ではどれも間奏がアレンジされているため、シンセの弾くメロディが独特の空気感を醸し出すこの間奏はスタジオ音源でしか聴けない。

 歌詞も土曜日の夜のわくわくするような気持ちと、それが「何かをしなければならない」という焦燥感にいつのまにか変わってしまうあの感覚を絶妙に切り取った印象的なもの。後期のライブでも積極的に取り上げられたのは、この歌詞の世界観が後期の曲と並べても全く遜色がない、という点もかなり大きかったのではないか。

出口のないような不思議な夜だね
だって今夜は土曜日の夜
(フィッシュマンズ「頼りない天使」 作詞:小嶋謙介)

 なお小嶋による筆の曲はフォーキーな味わいの人気曲「あの娘が眠ってる」(『Corduroy's Mood』収録)や朴訥とした味わいのあるレゲエ「うまく歩けないよ」(『Neo Yankees' Holiday』収録)など、音源としては数曲しか残されていない割にどれも印象的なものばかりなので、もっと録音して残しても良かったのではないかと思う。

15. 曲目紹介

 タイトル通り、プロデューサーの窪田が収録曲の各曲の曲名とクレジットを読み上げるトラック。
 ただアルバムタイトル『King Master George』は一切登場せず、代わりに読み上げられるタイトルは「長編大作『ジゴロ~俺が泣かせた女たち~』」。他にも「ハンバーグ」の作詞作曲を「日本のレノン=マッカートニー、サトちゃんフクちゃん」と読み上げていたり、数曲で先述の「謎のグループThe Bottoms」が登場したり…まあ要するにおふざけのトラックである。最後の方は最終トラックである「教育」の前振りも兼ねている。

 ところでこのトラック内では「土曜日の夜」のミックスは藪原正史と読み上げられているのだけれど、ライナーの同曲の歌詞の下には「DUB MIX:HARUO KUBOTA」と表記されているのが謎。実際に収録された音源を聴くとかなり派手なダブミックスが施されているのでたぶんライナーの方が正しいのではないかと思うのだけれど…。

 ナレーションのバックには「なんてったの」のインストがワンフレーズをループする形で流れている。この時期のバンドにとってはさり気無く重要な位置付けの曲だったのかもしれない。

16. 教育

 我々にとって非常に大事な、一種普遍的な真理を歌い上げる、とてもありがたいショート・ファンク・ナンバー。無駄な言い回しを一切省いた簡潔な表現が潔い。みんなもこの曲を繰り返し聴いてその教えを脳裏に刻み込もう。

(文中敬称略)

それでは聴いてみよう