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『世にも奇妙な物語 ~'23 秋の特別編~』

 良かったので、数年ぶりに感想記事を書きました。ちなみに原作付き作品が2つありますが、ふたつとも原作未読の状態で視聴しました。

「永遠のふたり」

 星護作品!!!!!!!!!!というだけでもう星評価なら6億点ぐらい与えたい作品だが、一方でかなり評価の難しい作品でもあったように思う。

 まあ正直なところを言えば、結構な拍子抜け感があったのは否めない。星監督フレーバーバリバリの作風でテンションが上がっていた一方、ストーリーがあまりにもシンプルでなかなか肩透かしだったというか。
 もちろん演出や画作りの肉付けでかなり楽しめる作品にはなっているのだけれど、それでも「ストーリーがいささかシンプルが過ぎて肩透かし」という感想を覆すまでには至っていなかった印象。
 あと一番の賛否両論ポイントは「ここで終わるの!?」というラストではないだろうか。
 あれは今作が意図的にショートショートを志向した作品だとこの文章を書いている今は理解できている私でも、実際に見たときは相当な肩透かし感を抱いたので絶対に評価分かれるよなあ…。

 ところどころの意図的に大味に仕上げた展開、わざとチープに仕上げたCGや特殊効果、過剰にコミカルな演出、そして投げっぱなしなラストは明らかに星氏自らが「世にも奇妙な物語」を作るうえでの作家性として前面に出してきている。
 この作家性をどう受け入れるかに全てがかかっていた印象。

 ただ、それでも(かつての『世にも』と同じ20分前後の尺なのも相俟って)90年代の「世にも」にあった「あの感じ」を令和の今に改めて味わえただけでもとても大きな意義があった作品だと思っている。これはシティポップを聴くのと同じようなもん。見ている間に「星護作品だあ~!!!!」って大喜びしていた自分のことを否定したくないなー。やはり『世にも奇妙な物語』という作品のひとかどは間違いなく星護氏のことだと思う。

 あと個人的にはスマートフォンを使ったフェイクドキュメンタリー的手法が取り入れられていることにめちゃくちゃテンションが上がった。星氏はまだまだ飽くなき挑戦を続けているのが分かってとても嬉しいし、「世にも」だからこそ出来ている実験だと思う。是非とも今後も「世にも」にコンスタントに参加して欲しいところ。

 あ、蓜島さんの演技、良かったですよ!

「地獄で冤罪」

 今回のブラック枠。全体として「奇妙な味」としか言いようがない不可思議な話で、話の方向性が全く読めないのでかなり面白かった。

 ただ、ちょっと終盤のストーリー展開が微妙にフィットしない部分があったというか…。

 まず、終盤の雑然とした回収パートは見ていて微妙に混乱した。
 
後の展開を見ればその意味が分かるとはいえ、そのネタバラシまでは急に遺族があの場所に来たり、遺族が横に立つ真犯人を放り出して主人公を責めはじめたりする展開がけっこう謎なので、ここら辺はちょっと訳が分からない状態で見ていた。
 そのせいで最後のどんでん返しも「そうだったのか!」という衝撃と納得よりも、「え!?」というシンプルな驚きが勝った状態で終わってしまった感がある。

 あと「主人公の罪は果たしてそこまで重いものなのか?」という部分も気になるところで、個人的にはこの点にちょっとダメな方向の理不尽さを感じてしまった。「何もしないことが罪」というフレーズを明らかに登場人物が「視聴者に目線を向けて」言う演出が非常に素晴らしかったのだけれど、一方で「ダメな方向の理不尽さ」のせいでその演出がちゃんとハマり切ってなかった気がしてしまって惜しい。

 今作、脚本のリライト回数がえらいことになったらしいが、正直なところ「相当苦戦していたのだなあ…」というのは実際の作品を見てもわかってしまう。実際、綺麗にまとめるのかなり大変そうな話だもんな…。

 あと個人的にちょっと許せなかったのが、話のタイトルが出る前にCMを挟んでいたところ。それはダメじゃん。
 
これは作品の欠点ではなく完全に番組側の問題で、流石にCM入れるタイミングをもうちょっと工夫して欲しい。

 ただ、やっぱりこの全体を貫く「奇妙な味」のトーンは貴重だし、作品ロゴが出た後に少し考えると、非常にどよ~んとした気持ちにさせられるラストも素晴らしいのでそこまでダメな作品だとは思わない。

 また演出面が全編通してキレキレで、どのシーンを取っても何かしらが不穏な画作りが良かった。個人的に映像面では「永遠のふたり」の星氏の画作りと同じぐらい「いま『世にも』を見ている」とテンションが上がった作品。
 松木監督の初期作は割とファンの間でも賛否両論だった印象があったが、そこから10年以上経った今、もはや松木監督は『世にも』になくてはならない存在になっていると改めて痛感した作品だった。

 そういえば”ナガヌマ”の首の刺青のネタバレ公式によって成されていたけど、これの意味わかった人いますか?

「走馬灯のセトリは考えておいて」

 結論から言うと、近年の感動枠における一つのマイルストーンになる傑作。

 まずVtuber、人工知能といったトピックを用いて時代性をここまで強く打ち出した作品自体が相当珍しく(「世にも」は”時流に乗った”作品はとても多いが、ここまではっきりと時代性を打ち出した作品はあまりなかったように思う)、また原作付きとはいえ時代性の強い題材にここまで真正面から向き合った作品も今まであまりなかったように思う。
 Vtuberの「ガワ」と「中の人」の微妙な関係性、人工知能を通して見る「魂」という極めて宗教的な概念、「テセウスの船」に通じる自己同一性の問題。これら複雑な要素をエモーションを用いて丁寧に結び付けるストーリーを、作中で取り上げる題材に対する大きなリスペクトを持ってテレビドラマというフォーマットに落とし込んでいた印象が強い。

 そして一番の評価点は、これを長尺枠に持ってきた判断。
 
近年のショートストーリも挟まず、一話の尺をただただ長くしただけの4話構成に対しては全く良い印象がなく、特に前回の「夏の特別編」は長時間構成でテンポを乱された作品ばかりが集っていたため「この構成は百害あって一利なしなんじゃないか」ぐらいの気持ちでいたのだけれど、今作の登場で完全に認識を改めた。

 今作の「ひとつひとつは割とさりげない断片を繊細に積み重ねて大きな感動に繋げる」という、簡潔な起承転結が評価されがちな『世にも』に於いてはかなり実験的な構成は間違いなくこの40分近い尺がないと実現できなかったもので、そしてその構成による結実は本当に見事なものだった。

 そして長尺に大きな意味を持たせたもう一つの要素が、後半のライブパート。
 
あれは決して端折ってはいけない箇所で、何故ならば作品に少しでも感情移入出来た人間が最も感動する箇所だから。なんとなく歌っているシーンがちょっと挟まれるとかではダメで、たとえショートエディットだったとしても、あのタイミングで流れるものははっきりと「黄昏キエラのライブのダイジェスト」と言えるものでなくては駄目だった。今作はそれを見事に成し遂げた。
 
これを長尺枠に持ってきたのは本当に大正解。長尺枠、悪くないじゃん。

 そして「ライブでは顔出しなどをする”パラレルシンガー”として活動中の、癌を克服した過去のあるVtuber」に作中のバーチャルアイドルの役を託したキャスティングに、とても深い意図の存在を感じる。

 個人的には今回の特別編で一番好きな作品は他にあるのだけれど、『世にも』のこれからに強い影響を与える作品は間違いなくこれだと思う。本当に素晴らしかった。
 ホラーやブラック作品が評価されがちな『世にも』だが、いま一番フロンティア精神に満ちているのは実は感動枠かもしれない。

「トランジスタ技術の圧縮」

 さっき言った、「今回の特別編で一番好きな作品」がこれです。

 なんだお前は!!!
 これは何の話なんだよ!!!!!!

 前作の余韻を絶対にぶち壊すという熱い気迫に導かれるまま、ひたすらストーリーの意味不明な展開にツッコんでいたら、気付いたら話が終わってたぜ…。

 これは本当に何?

  • 放映前の公式は何故かあらすじを書くことを完全放棄。

  • 余りにもニッチ過ぎる「トランジスタ技術の圧縮」というネタに対する説明が何もない(から一部の視聴者が混乱。私は視聴前に下調べしていたのである程度理解していた)。

  • 前半は「合間に挟まる試合に至るまでのドラマパートで散々盛り上げておいて、実際の試合シーンに入ったら地味な作業の連続で急激に失速する」というド直球なフリオチの流れを何回か繰り返す(そしてその流れに私は全く耐性が付かず毎回笑う羽目になった)。

  • 原作では結構描写に尺を割いていたらしい「最終奥義」は、CGの龍(しかもこの龍がめっちゃチープ)と共にめちゃくちゃ端折られた状態で登場する(しかも霧の中で一気に5冊の”圧縮”が完了していることに対する説明がゼロ)。

  • 後半にかけて無駄にアツい王道バトルモノ展開が繰り広げられるが、その展開に感情移入しようとするたびに表紙を取った本をめりめりと割く映像が入り正気に戻る。

  • ”動きが早すぎて止まって見える”という古典的なクリシェが、最も意味不明なタイミングで登場する。

  • 最後にはマジでトンチキなヤバいオチが付く。

  • 作品開始前のストーリーテラーパートには半ば無意味にいきものがかりの水野氏がチョイ役で登場する。

 マジで何???

 その全てに徹底的に意味がない。恐ろしい。『世にも奇妙な物語』における「バカ枠」の完全復活を目の当たりにした私は何故か歓喜の涙を流していた(流していません)。
 最後の謎オチも相俟って、タモさんの作品終了後の「いかがでしたか?」の一言に対してマジで「いかがでしたか?って言われても…」という気持ちになった。何年も「世にも」見ててタモさんに対してそんなこと思ったのマジで初めてなんだけど。
 最後の最後でひたすら意味不明な花火をぶち上げたうえに後片付けを全くせずに帰った、ここ数年で一番の怪作。

 ここからは真面目な話。

 ここ数年の『世にも』のコメディ枠には個人的に若干の煮え切らなさを感じていた。

 近年のコメディ枠は不穏なオチが付く傾向がかなり強い。例えば前回の「小林家ワンダーランド」はあれはあれで良かった(個人的に前回の特別編で一番好きだし)けど、一方で前半の一発ネタの乱打が良かっただけに最後までコメディを貫いてほしかった気持ちもとても強く、かなり複雑な心境になった(そして「小林家」も長尺構成の犠牲になった作品でもある)。
 番組構成の上でも徹頭徹尾コメディをやっている作品はまだ5話構成だったころの前後分割枠やおまけ枠に回されてしまうという不遇も多かった(「マスマティックな夕暮れ」「大根侍」「恵美論」がこれに該当)。
 そのため、近年の視聴した回のコメディ枠の作品で手放しで楽しめたのは「燃えない親父」「メロディに乗せて」ぐらいか(「マスマティックな夕暮れ」も少し哀愁のあるラスト込みでかなり好きなんだけど、本編に組み込んでもらえなかったのがなあ…)。

 そこにきての今作、完全なるバカ枠の復活。本当に嬉しかった。
 深夜ドラマですらフォーマルな装いが中心になりつつある今の世の中では、このようなワンアイデアとそこから派生したおふざけだけで突っ走るバカショートドラマを作れるのは現状『世にも奇妙な物語』ぐらいしかない
 そもそも『世にも』には「驚異の降霊術」「ズンドコベロンチョ」「ハイ・ヌーン」「夜汽車の男」「超税金対策殺人事件」「行列のできる刑事」といったワンアイデアだけで突っ走るコメディ作品によって牽引されてきた番組という側面が確かにあるはずだ。『世にも奇妙な物語』にはバカ枠を本当に大事にして欲しい。
 そんなバカ枠を久々に大トリに持ってきてくれたのもアツい。

 ちなみに作中で思いっ切りメリメリ割かれている『トランジスタ技術』を出版しているCQ出版社さんもこのドラマ化に全乗っかりで、Xの公式アカウントは放映に向けて熱の入った宣伝ポストを連投し、挙句の果てにドラマ化記念で「トランジスタ技術の圧縮」Tシャツまで出す始末!ヤバい!!!欲しい!!!!!うっかり買いそう!!!!!誰か助けて!!!!!!

ストーリーテラーパート

 今回のストーリーテラーはシンプルな黒バックで語るパターンながら、作中のアイテムがまんま出てきたり、作品のダイジェスト映像が挟み込まれたり、前述の水野氏や最後のもこう氏といったゲストがほんの少しだけ参加したりと、地味に癖の強い演出だった気が。

 最後の「もしも選択を失敗しても、それがやり直せる失敗なのであればまたやり直せば良いのだ」というメッセージが地味に良かった。近年のストーリーテラーパートは最後に視聴者に向けて希望を託して終わることが多い気がする。まあ前回みたいな「視線」の恐怖を匂わせて終わっちゃう回もありますが。

 あと作品外の小ネタで一番好きだったのは「トランジスタ技術の圧縮」のCM枠で流れた提供バックで、今まで流した三つのエピソードをちゃっかり「圧縮」していたところ。これに気付いた時には笑った。

所感など

 近年の世にもは番組の構成に大きな手が入った結果として一本の作品が長尺化したことで様々な問題が生じている印象があったのだけれど、今回はその問題をギミックではなく純粋な質で打破する「走馬灯のセトリは考えておいて」が登場したのが一番のトピックか。「走馬灯のセトリは考えておいて」には「恋の記憶、止まらないで」に近い停滞を打破するようなパワーも感じたし、そのようなパワーを持った作品が感動枠から登場したのが意外だった。
 でもまあ個人的には「トランジスタ技術の圧縮」に全てを持ってかれてしまった。『世にも』のバカ枠、最高!!!!!!!!!!!!

 この後に近年の『世にも』の一般評価(特に過去作との比較)に関する個人的な所感を書こうかと思ったのですが、この記事は既に圧縮が完了した状態なのでまた別の形で書こうと思います。