見出し画像

安倍総理退陣にみる超保守主義の敗北

第二次安部政権の政治姿勢の特徴は、挑戦的な政治姿勢である。国民を友・敵に峻別し、友には温情と利益を、敵には徹底した反撃を加えるという姿勢。国会論戦や街頭演説でもよくみられた姿勢である。この友敵論はよく知られているように、戦前ドイツの政治学者カール・シュミットが唱えた政治的主張である。かれは、多元社会化した状況の中で、議論の先送りをして課題から逃げる議会主義を攻撃した。議会主義を克服する方策として、友敵論を唱えた。議会主義では、決して相いれることがない敵を、交渉相手と誤認することで果てしない議論が続くことになる。そうではなくて、敵として徹底して戦闘することを主張した。
敵を作ることで政治的動員を行い、「決める政治」を実現する道を提示した。
多元化した社会を背景にした議会制の課題は確かにただの楽観論では解決できないが、一方で、シュミットが友敵論を展開したのは、内戦のような国家的危機への対処でもあった。
ところが、今回コロナ禍という危機に際しては、安倍政権は結局、敵と設定した一部を含む国民全体の協力を仰ぐしか方策を打てなかった。あれだけ、攻撃し、無視した「一部の国民」にも、結局アタマを下げ、お願いをするしかなかったのである。自分が示した友敵論が破綻した瞬間だった。
結局憲政最長記録の在任を実現した自分の政治姿勢が、今回のような国民的危機に際して墓穴を掘ったということだろう。これを歴史の皮肉とみるべきか?それとも戦後民主主義の健全さと考えるか?あるいは、21世紀のさらに多様化した、例えばLGBTが典型だが、国民厚生体制という課題が、超保守主義の思想では解決できないということなのだろう。
コロナ禍は、超保守主義の限界を明らかにした。


https://digital.asahi.com/articles/ASN8Y7HGGN8YULZU003.html?iref=sp_poltop_feature_list_n

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?