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今の笑点について考えてみる

noteでは初投稿。普段ははてなブログにて色々と日々の雑多について書いているが、様々なオピニオンが飛び交う拡散性のありそうな内容のブログはここで書きたいと思う。今回はYahooニュースを見ていた時に偶然気になった記事を見つけたので、自分の意見と一緒に紹介したいと思う。

https://news.yahoo.co.jp/articles/b33fd4470f56f23ce0d4eb06d153bccfd4f465b9

僕は昔から笑点が大好きな子供だった。日曜日に学校がある暗い気持ちを一瞬にして撥ね退けてしまう様な存在で、特に圓楽時代は最高に楽しかった。勿論当時は子供なので知識や学力があった訳では無いが、それでも圓楽の馬ネタや、こん平の山田いじりで大爆笑していた記憶がある。最近では当時の笑点を一部改変した「笑点なつかし版」がBS日テレで放映されており毎週録画をしてまで観ているのだが、回答者では特に切り込み隊長的な存在である歌丸の綺麗でトンチの効いた解答に終始舌を巻いてしまった。当時意味が理解できなかった自分にとって、一流の落語家による回答内容を見て聞いて笑ったり脱帽したりしながらお酒を飲むこのひとときは最高である。コロナ禍で気軽に外へも出歩けられない中、今の時代でも心の底から面白いと思える娯楽番組が見れるのは貴重で、週の楽しみの一つである。

反面、地上波で放送されている笑点はあまり見ていない。原因は2つあり、1つ目としては新大喜利メンバーである二代目林家三平の存在である。海老名家のゴリ押し云々の話は置いといて完全な主観ではあるが、彼を見ていると一生懸命さこそ伝わるものの見るに堪えない完成度となっており、周りが何とかフォローして持ちこたえているのが現状だと思う。彼は司会者を褒めて座布団を稼ぐ「ヨイショネタ」を多用するが、どうしても圓楽時代の歌丸や歌丸時代の昇太と比べると見劣りしてしまう。そしてメディアを考慮して露骨に読売ジャイアンツを持ち上げるネタ(一応圓楽時代でも圓楽が巨人ファンである事から小遊三・好楽も度々使用していた)や、幸せである事をウリにした愛妻家ネタと、何処か守りに徹した解答が多い様に感じる。悪く言えば中途半端なキャラ作りとクオリティの低い回答が際立った存在とも言える。ネガティブな部分を面白おかしくネタにする笑点というフィールドで完全に場違いな行動をしている事もあって、コロナ前での会場では彼に配慮して拍手音が鳴り響いていた所も何処か見苦しかった。「自虐ネタ」を一時期使用していた事もあったが、流石にピンつまとよく掲示板でからかわれる好楽とは雲泥の差であると思う。圓楽時代での正統派キャラと歌丸時代で培われた貧乏キャラを両立させて今日に至るマルチプレイヤー的な存在と比べる事もまた酷な話だろう。基本的にギャグを仕掛けた笑いを取る初代林家三平のスタイルを差し引いても見ちゃいられない様な光景を地上波で晒していると思うと、見ていて辛くなってしまう(いっ平時代の圓楽引退時の師弟一門大喜利では面白かったのに…)。

彼の師匠である林家こん平は僕を笑点が好きになるきっかけを作った存在なのだが、解答の内容自体は案外彼と変わらない気がする(肥溜めネタや世界平和ネタは今でも爆笑しますが)。しかし振り返ってみると挨拶冒頭での「チャラーン!」で周りを明るくしたり、回答者に対して積極的に野次を飛ばして番組を盛り上げる姿勢を見て応援する様になったのかなと考えている。2代目林家三平を応援できない理由はそんな真摯さや謙虚さが画面越しに見受けられないからである。

2つ目の原因は、視聴者を優先させすぎた事である。記事の通り、今ではSNSの発達により気軽に意見を行ったり、疑問を呈したりする機会が増加してきたのは良い事であると思うが、同時に弊害も生み出してしまったのでは無いかと思う。代表的なのが笑点を含めたテレビ番組で、今ではいとも簡単に「〇〇の番組面白いよね~」「〇〇はつまらなかった」という色んな声がSNS上に上がっている。笑点は長寿番組で様式美の多いシーンが多い為他の番組と比べると色々と許される部分は多いが、それでもLGBTQに配慮してかつてのたい平のオネエネタや座布団配り山田くんの突き飛ばし(これは山田くんの力加減の問題もあるが)が封印されてしまった。笑点名物の過度な山田いじりもクレームの対象となり、好きだった文化が次々と無くなっていく。何とも歯痒い気持ちだ。日々の癒しであった番組がコンプライアンスと騒いで良さが次々と失われてしまっている。僕はLGBTQ差別や人種差別、いじめ行為等は普通に反社会的行為だと思っているし到底許される事では無いと思っているが、それを敏感に受け取り過ぎるのは疑問である。確かに受け取り方次第では不快に思う人も居るかもしれないが、深く捉え過ぎてクレームを入れる事で本来の笑点という面白さが少しずつ失われている気がする。

メンバー同士の身長・体重・髪の毛といったルッキズムに関わるいじりは最早笑点の伝統となっているが、いじめの火種になる可能性があるという指摘もされている様だ。人には色んなコンプレックスを抱えているが故に不快に思う人も居るかもしれないが、お互いをリスペクトしているからこそ勃発する罵倒合戦や実は笑点の罵り合いが本当に人を傷付ける様な表現の仕方はしていない事に気付いてほしいというのが一笑点ファンとしての願いである。実は外面的な事は大いにいじるが内面的な事やデリケートな話題に対しては絶対にいじらない。だからこそ笑点メンバーが長らく人間関係を理由に脱退しない一つの理由であると思う。だからと言って罵倒ネタを多く使用すればまたクレームの嵐を受ける事も想像できるが故に、そこの匙加減は笑点スタッフの今後の大きな課題となるのかなと思う。

1つ目はただ単に一メンバーの実力不足、2つ目は現代における意見発信が容易に出来る時代となった上での弊害が笑点の良さを半減させているという事を自分なりに考察してみた。昔から笑点が大好きだった自分にとってはこの時代に順応しながらかつての面白い笑点を見る事が出来れば御の字である。これはあくまで一意見ではあるが、今後司会の春風亭昇太を始めメンバーが長生きしながら1日でも長く後楽園ホールという舞台で笑点という一つのエンターテインメントを続けられる事を祈るばかりである。

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