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本と人(ホントノヒト)

本当の「孤独」ってなんだろう。
と、高校生くらいの時に、
考え始めた。

ちょうど、キドサンッテ ミジメ ダヨネ
と、何気ない一言に傷ついた時期。
今も、似た声の人に出会うと、怖くなる。

きっかけは、
「孤独」という言葉を知らない国民が、
広い世界を知らずに、
一生を終えていく話を聞いたこと。

「世界」という存在があることに気づけず、
置かれている状況が「苦しい」と
感じることすら、できないそうだ。

その日以来、
「孤独」という言葉を知ってしまった私は、
少なくとも、
寂しくなったら
自分を「孤独」だと表現できてしまうから、

きっとそれはもう
「孤独」ではないんだろうな、
と無感覚になった。


孤独を意識することは
あまりない。

けれど、
「きど(私)は孤独を
大切にしている」と
褒められたことがある。

大切に…か…。


読書を続けてきた。
趣味のナンプレや内省、
オリジナルキャラクター
(リーゼン子ちゃん)作りを抑えて、
おそらく一番時間を費やした。

でも、なかなか
対等に話ができる友人を
見つけれなかった。

「本、読むの?すごいね~」と
褒められているようで、
壁を感じて、

私は口を開くより、
一方的に聞いて相づちを打つ方が
仲間にさせてもらいやすい、と学んだ。


春から大学4年生。

これまで「話したかったけれど、
喉の奥に押し込めていた読後感」を、
最後まで聞いてくださる方に出会えた。

自分の感覚でいいし、
自分の言葉でいい。
これが本当に気持ちいい。
次々話しちゃう。
うようよ出てくる。止まらない。

それもひとりじゃない。
もう何人(なんにん)も。
(←※あえて読み仮名を振るのは、
中学生の時、
ナンニンとナニジンを読み間違えて、
社会のテストで失点した
苦い経験があるから)

やっと、
これまでの長い時間が
回収されてく~~~と。
感謝と喜び。
あと、
少しだけほっとしている。

諦めずに、
粛々と読書を続けて良かった。

先達(せんだつ)に出会ってしまえば、
私の読書冊数なんて
風に飛ばされる
たった1枚の木の葉でしかないことが分かる。

正直悔しい。
でも、嬉しい。
すごいと言われる側じゃなく、

私が「この人、すごぃ…」と
自律的に感動を覚える方が
ずっとずっと素直でいられるから。

今日も明日も、
憧れの人々と話をする日を目指して
本を開くのだ。


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