【福丸小糸GRAD】小糸の主人公を小糸にするための物語【シャニマス感想】
遂に実装されました福丸小糸GRAD編。
【おみくじ結びますか】など色んな小糸のコミュについてのネタバレもあるので注意。
感想としては、前々から小糸のソロ曲に対して思っていたことに対して一つの解答を出された、という感覚が大きかった。「わたしの主人公はわたしだから!」とシャニマスの福丸小糸は一見大きく乖離しているように見えて、やっぱり同じ所で交わるんだと思う。自分としては小糸のソロ曲は頑張っていることを前面に押し出した曲ではなく、誰かに重ねた理想じゃなくて自分なりに頑張っていこうという曲だと思うし、GRADも「自分そのものを売り出していく」という事を前向きに捉え始めたという印象だった。
GRADの本筋としては、頑張っていることを見られたくない小糸とそれも良さとして出していこうとするプロデューサーの対比が書かれていた。自分は何もないから下手な練習風景を見せて頑張っている所を見てもらうしかない、というめちゃくちゃ卑屈な発想から見るに、やはり小糸の理想は努力しないでも何でもできるアイドルということになる。そんなアイドル像と裏で頑張っている未完成な練習風景を見られたくないというのも当然だろう。
でも近くで見てるシャニPが、頑張っている姿が小糸の良さと思うのも当然だと思う。GRADというでかいを前に大会にシャニPはやらかしがち。
ただ、ここで重要なのは小糸が頑張っていることをステージ上で出せるほど「強くない」と言ったことだ。未完成なままの自分を見られたくない、自分は出来るという虚勢を張っていないといけないだけで、頑張っているのを押し出すこと自体を否定している訳じゃない。ここで小糸が「努力売りなんてだっせぇよ、プロデューサーがよぉ……」とか言い出してたら泣いちゃってたかもしれない。
個人的には、小糸のシナリオでメインにあるのは「理想からの脱却」なんじゃないかと思っている。自分だけが劣っていて幼馴染含めたみんながすごいという卑屈な理想から脱却して、虚勢を張るのをやめて、自分なりに「みんなの居場所を作れるアイドル」という目標を達成していくのが小糸の物語じゃないだろうか。
W.I.N.G.やプロデュースコミュで、小糸は理想と現実の乖離に悩む場面はあって、その度に小糸は自分に必要なものが何かを見つけてきた。
特に【おみくじ結びますか】では、自分だけじゃなくて誰しもが足りないものを持っていて努力していることに気づくことが出来た。今回のGRADでも、「なんの為でもない」レッスンもいつかは実を結ぶと信じてひたむきに頑張っていたのに対して、それはある意味で現実を見ずになんとなくで理想を追い求めていただけに過ぎないということに気づいた。大事なのは自分で考えることで、その為にGRADを優勝すると言った小糸がめちゃくちゃ頼もしく見えた。
『わたしの主人公はわたしだから!』は、居残り練習とかの歌詞に引っ張られてただ頑張っていることをアピールしてる歌みたいに見えるけど、その本質は「本の主人公みたいな誰かを理想とするんじゃなくて、わたしはわたしとして頑張っていく」という決意の現れだ。
理想は よゆーで 何でもできて
憧れられちゃったりして (パーフェクト)
でもね でもね わかってるよ
わたしはわたしだもん 頑張ろー!(めいいっぱい!)
大好きな本の主人公だったら みんなみたいになれるのに…
大丈夫 大丈夫 言い聞かせて
わたしはわたしだもん 頑張ろー!
残酷な書き方をすると「お前現実見て頑張れよ」みたいな話になってくるので、もっとそこらへんのフォローしてほしいなとは思う。あくまで小糸の意思を尊重するシャニPとしては、こういったことに自分で気づくことが必要だからか、小糸の意思を尊重して理想を追う事はそこまで否定していないのかもしれない。
ノクチルは他のアイドルと比べて子供っぽい面が多く描かれていて、ユニットシナリオのテーマとして「幼馴染というモラトリアムとの向き合い方」という面が強いような気がする。小糸がモラトリアムから脱却するのか、自分とどう向き合っていくのか分からないが、「わたしの主人公はわたしだから!」は一つの成長の表れとして聴いていきたい。
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