Twitterで「hymn界隈」が盛り上がっている。おいおいそんな界隈が存在したのか!もっと早く知りたかった!という自分の代弁もみかけるので、何か(おそらく虹北恭介シリーズの復刻)をきっかけに古参の投稿がTLに現れ出し参入者が増えたという動きはタイムリーとみていいだろう。

もっとも、私もかつては界隈に属していた。小学校のクラス内でだ。

親しかった子から夢水清志郎事件ノートシリーズ面白いよと勧められて、どんどん読み進めた。なぜかサクセス塾の回を最初に。最新刊まで追いついたら他シリーズへ。自分も新しい子に布教しグループに引き込んだ。

卒業と共に解散し、自分は本自体を読まなくなってしまったので、読書を通じて誰かとつながることはなかった。それが今、児童期を懐かしむ気持ちごと多くの人と共有できている。いわゆる厨二病とは重なれど別物と私は思う、かつて赤い夢に迷い込んだ人間がこんなに多いとは知らなかった。なんて愉快なんだ。

もう一つの感慨ポイント。自分が小学生の当時は都会のトム&ソーヤの4巻あたりが最新で、他シリーズはもっと前に書かれていたわけだ。物語は全然色褪せなくて本編を読んでいる時は全く気づかないのだが、あとがきを読む中で執筆・出版からのタイムラグを知るのが常。数十年なんて今より一層長く感じられたから作者の先生は随分と遠い存在だった。それがなんと。アカウントを見つけた時は目が飛び出した、先生が自らツイートされるではないか。先生の日常の描写が写真付きでリアルタイムに受け取れる。時代だなぁ、青い鳥は随分爆速で飛ぶようになった。
(とはいえ、先生の日常は私には非日常で驚いた。予想以上に平時からサバイバルじみていいな。何だあのくそでか門松ww東洋の神秘にも程がある)。

他の人のツイートを見てようやくキャラクターや設定を思い出すことや、見ても脳内検索でひっかからない場合もある。作中のサバイバル術を実際に真似した話には感心した。もしこれがアイドルのオタク界隈なら、関連情報は網羅してなくちゃやばい負けた、とか思うんだろうか(オタ活したことないので知らんけど)。しかし、児童書の界隈だとそういう捉え方にはあまりならないのが面白い。人それぞれ、響き残っているところが違って当然じゃないか。別に覚える義務感で読んでいたのではない、ただ物語の世界を楽しんで、それで結果として自分の当時のつながり、今の情操に影響を与えた、思い出になった。それは変わらないので、競争とかではない。もっとも、今猛烈に駆られ読み返したい衝動を煽られている点では同じかもしれない。ちょっぴり張り合って自慢するなら(仮想敵)、左手首を10円玉で抑えるようになって以降乗り物酔いには困っていない。

自分は今大学生で、マイナーな趣味を突き詰めるサークルに2つ入っている。両親には就活に有利に効きそうな有名な団体に入ることを勧められたが全力で断った。その時は無自覚だったが、冷静に考えれば「大学ではニッチなサークルに入る!」という決意が根底にあったように思う。そしてそんな美学、どう考えても『僕と先輩のマジカルライフ』のせいだ。(※あとレイさんの現代アート研究会)図書館で借りて読むばかりだったが唯一お小遣いで買った作品。10年ぶりに本棚を掘り返したらちゃんと見つかった。初めての大人サイズ朱色の文庫本、そうだ扱いが悪くカバーは外してしまったな。

とりあえず手元のこちらから読み返してみるとしよう。春休みになったら久しぶりに市民図書館にいってみるか。児童書コーナーでニヤつかない自信は皆無なのだけど、奥歯に通信機を仕込んだつもりで頬を引き締め、標的を手中に収めたら足早に立ち去らないと。カウンターで手続きを済ませたらなるべく足音を立てずに建物を出る。隣のストライプシャツの店員さんがいるコンビニに入ったら眠眠打破を探そう。

私は今大学やサークルで出会った人たちといて幸せだ。極めることを知った偏愛のおかげで人生が彩り豊かになった。選択は間違っていなかった。キャンパスライフに限らず、人生を楽しむため今持ち合わせる諸々。一応の想像力、まぁまぁの懐古趣味、サバイバル精神というか逆境も楽しめるメンタリティ、それこそ美学。それらが一連の読書経験で培われたと言ったら少し大袈裟だけど嘘ではない。

私に本をおすすめしたクラスメイト(ちな初恋)と、はやみね先生には責任を追及させていただくと共に、精一杯の感謝を伝えたい。


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