ネッシー 超有名になった4つの理由とは?

イエティ、ネッシー、ビッグフット。この3つのUMAは数あるUMAの中で傑出して有名です。世界3大UMAとも呼ばれてもいます。特にネッシーは世界中の湖に「○○シー」という名前の親戚がたくさん存在します。日本でも「イッシー」「クッシー」などが存在します。

そんなネッシーが20世紀のイギリス、スコットランドの湖に登場し、世界中に知られるようになったのはなぜか?

次の4つの理由から解説していこうと思います。

  1. 発祥地がイギリスだった

  2. 自動車が普及してきた

  3. カメラが流行し始めた

  4. 怪獣映画がヒットしていた

最初の3つの理由は、ある程度ネッシーについて知っている人ならば合点がいくことでしょう。しかし4つ目は意外に知られていない理由です。でもネッシーの姿を決定づける大きな意味を持っています。「いやいや、ネッシーの姿を決定づけたのは3つ目の写真でしょ!!」と仰るあなた。実はその前にネッシーのあのフォルムは決まっていたんです。

さて、これらの理由を解説していく前に、今更ですがネッシーについて簡単に説明しましょう。

ネッシーは海外ではロックネス・モンスター(Loch Ness Monster)とも呼ばれるように、イギリス本土のブリテン島北部のスコットランド地方地方にある、この地方最大の淡水湖ネス湖に生息すると言われる水棲の未確認生物です。その姿は中生代の首長竜を彷彿とさせ、長い首にずんぐりとした体、4本のヒレ足を持ち、高速で水中を泳ぎ、ときどき水面にその長い首を突き出し、見た人を驚かせます。全長は3m~20mほどと言われています。

体の色は褐色から黒、灰色、濃い緑などが報告されています。頭には角が生えていたり、首にはタテガミがあったなどという報告もあります。目撃報告で最も多いのが湖面に浮かんだコブで、1つのものもあれば複数の物もあります。またごく少数ですが道路を横切る姿や岸から水中に飛び込む姿など陸上での目撃も存在します。

その正体についても諸説あり、人気のあるプレシオサウルス説からチョウザメ、オオウナギといった魚類説、アザラシやイルカといった水棲哺乳類説、風や波が起こす自然現象説や謎の化石種タリモンストラム説など様々な説があります。

またネス湖の周辺には多くの宿泊施設があり、ネッシー関連の展示物を置いているところや実物大のネッシーの模型も展示されたりしています。湖の上はネッシーを一目見ようとする人たち向けの遊覧船が走ったりもしています。世界中から毎年多くの観光客が訪れ、ネッシーはこの地方の観光業に大いに貢献しています。

また現地に行けない人々向けには、インターネットを通じて湖の数か所に設置されたWebカメラで24時間監視できるサービスも存在します。こちらにも世界中から毎日、多くのアクセスがあるようです。

さて、長年にわたりこのように世界中の注目を集めるネッシーですが、なぜこれほどまでに有名になったのか?
その理由について説明していきましょう。

1.発祥地がイギリスだった:
やはりこの部分は大きいです。ネッシーが最初に新聞記事になったのは1933年5月2日。地元紙インバネス・クーリエ紙(Inverness Courier)の記事でした。内容は記事になる一月ほど前の4月14日に地元に住む女性
アルディー・マッケイ氏(Aldie Mackay)のネス湖畔で見た謎の物体についての記事でした。湖面にコブが浮き上がった程度の小さな記事が、1年後には世界中に知れ渡るUMAとなるのですから。

1933年当時、日本で同じこと、例えばイッシーが池田湖に現れてもここまでにはならなかったでしょう。なぜなら当時の日本は極東の小さな新興国に過ぎませんでした。もしかすると日本国内では評判になったかもしれませんが、世界にとっては極東の国で起きた些細なことに過ぎなかったでしょう。

それに対しイギリスは第一次大戦後に経済的な優位性はアメリカに譲っていきますが、文化や情報の発信地としてはまだまだトップクラスでした。そんな文明国に未知の怪物が現れたのですから世界中に広まらないわけはありません。

ネッシーの名前が世界中に広まった一つの要因がここにあることは間違いないでしょう。

2.自動車が普及してきた:
これはネス湖周辺の国道が拡張され、見晴らしが良くなったことに直接関係しています。なぜ道路が拡張されたのか。それは世界中(当時のヨーロッパやアメリカ)で自家用車が普及し、ドライブによる観光が流行していたからです。ハイランド地方にある満面と水をたたえ、神秘的な雰囲気を醸し出すネス湖はドライブ観光にうってつけだったのです。

国の目論見通り、ネス湖畔への観光客は増加したようです。風光明媚なネス湖畔にできた新しい道路を自家用車で観光旅行をするのは、さぞかいし気持ちよく楽しかったことでしょう。

多くの観光客が訪れると同時に、湖面や周辺に今までに見たこともない生物を目撃する人々の数も急激に上昇していきました。

そんな時に有名な「スパイサー夫妻の遭遇事件」が発生します。アルディー・マッケイ氏の新聞記事が載った約2月半後の1933年7月22日、道路を横切る怪物を見たという彼らの目撃報告が記事になりました。彼らの証言は、「細長い首をした大きな生き物がグニャグニャとした動きで道路を横切っていった。」というものでした。まさに新しい国道に自家用車で観光客がやってきた結果です。

3.カメラが流行し始めた:
この点も発信力と信ぴょう性を高めることに大いに貢献しました。それまでカメラは高級品で、簡単に誰もが扱えるものではありませんでした。それが誰もが手にすることができ、いつでもどこでも写真を撮ることができるようになったのです。先の自動車という移動手段の普及と観光旅行と相まって、カメラは瞬く間に一般大衆に普及しました。それはネス湖にやってくる人々にも同様でした。

様々なネス湖の怪物の写真が撮られるのですが、決定的な写真が1934年4月1日に新聞記事に載ります。そうです。ネッシーと言えば世界中のだれもが思い浮かべるあの写真がイギリスの大手新聞デイリーメール紙(Daily Mail)の
1面に発表されたのです。外科医R.K.ウィルソン(R.K. Wilson)が撮ったと言われる最も有名な通称「外科医の写真」です。写真には湖面から突き出した長い首の先に小さな頭が移っていました。まさにプレシオサウルスの姿を思わせる写真です。

この写真は発表当時から、トリックやカワウソの間違いなど様々な疑惑があったようです。その後、この外科医の写真は1993年11月に、写真を撮った本人の養子である人物の告白により捏造であったことが発覚します。おもちゃの潜水艦にヘビのような頭を付けて湖面に浮かべたものを撮影したものだったそうです。さらに新聞掲載時には、写真をトリミングして怪物に見える部分だけになっていました。

しかし、この1枚の写真がその後のネッシーの姿とその存在を決定付けるものとなりました。またこの写真は、その後に世界中に登場する「湖の怪物」にも多大な影響を与えるものとなります。つまり「湖の怪物」の姿はほとんどが首長竜のような姿をしていると!

4.怪獣映画がヒットしていた:
さてネッシーが世界中で有名になった理由についていろいろお話してきました。当時、世界の文化の中心であったイギリスに怪物が現れ、自家用車や観光ブームにより、その怪物の目撃者が急激に増加し、捏造とは言え、強烈なインパクトのある写真が登場したからネッシーは世界的に有名になった。これがここまでの要旨です。

でも不思議に思いませんか?なぜネッシーは太古に生息し、今はすでに絶滅してしまった首長竜の姿なんでしょう。なぜ多くの人々はそれで納得したのでしょう?その謎を解くのがこの最後の理由「怪獣映画がヒットしていたから」なのです。

理由2の「自動車が普及してきた」でスパイサー夫妻の遭遇事件について述べました。首の長い生き物が道路を横切ったという証言です。この証言の中で彼らは気になることを言っていました。生き物は「映画キングコングに出てきた恐竜ディプロドクスに似ていた」というものです。

ここで映画「キングコング」について触れておきます。
この映画は1933年にロンドンで封切られた映画です。内容は南の島から連行されてきた巨大な類人猿キングコングが現代社会で大暴れするという映画です。その後何度もリメイクされているので、そのいずれかを観た方も多いでしょう。

当時の映画「キングコング」の中に次のようなシーンがありました。霧に包まれた湖の中から、巨大な恐竜ディプロドクスが現れ、湖面に浮いていたボートを転覆させ乗っていた人々を襲うというものです。スパイサー夫妻の証言はこのシーンを示すものだったのです。つまり彼らは湖に面した道路を横切った首の長い生き物をディプロドクス=恐竜に似たものだと感じたのです。おそらく新聞を読んだ人の中で映画「キングコング」を見ていた人々は同じような感覚を共有したのだと思われます。

また8年前の1925年にはコナン・ドイル(Conan Doyle)の小説「失われた世界(The Lost World)」が映画化され、この画面の中でも多くの恐竜が暴れまわりました。これらの映画によって、現代の秘境には恐竜の仲間が生き残って
いるかもしれない、あるいは生き残っていてほしいという想像や願望が膨らみ、ネッシーに投影されたのではないでしょうか。その結果、ネッシーの正体は首長竜の生き残りであるという説が、多くの人々に素直に信じられたのではないかと私は考えています。

ネッシー=首長竜説が長年強く支持されてきたがゆえに、世界中の「湖の怪物」の多くの姿や正体が=首長竜説なのはいたし方ないのかもしれません。
と同時にこの説は、彼らの姿を単一化してしまうという禍根をのこしたことも否めません。

 

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