イエティが有名になった3つの理由!

世界中には様々なUMAが存在しています。小さな池や川から広い海洋、砂漠から熱帯雨林、極寒の地。未開の土地から多くの人間が住む大都市の近郊にまで、いたるところにUMAが生息しています。

そんな数知れず多くのUMAの中で、世界3大UMAと呼ばれる存在がいます。
ネッシー、イエティ、ビッグフットです。彼らはUMAに関心のない人々でもその名前や姿かたちを知っています。それはなぜでしょう?

その理由をこれからUMAごとに説明していこうと思います。まず第一弾として”イエティ”から説明していきましょう。

イエティが世界的に有名になったのは次の3つの理由です。
1.発見者がイギリス人だったこと
2.西洋人のサルの仲間に対する嫌悪感
3.その名前自体のインパクト
この3つの理由がイエティを世界初のワールドワイドに有名なUMAにした理由です。この3つのうちどれが欠けてもいけませんが、特に最後の名前については、あまりに良いタイミングで、とある人物のヤラカシがこの良好な結果を招いています。

では、これらの理由について話していこうと思いますが、その前にイエティについて、簡単なおさらいをしましょう。

1.イエティとは
イエティ(Yeti)は中央アジアの山岳地帯、ヒマラヤに生息している類人猿型のUMA。身長は1.2~3m、全身は赤褐色・灰色・黒等の長い毛で覆われ直立二足歩行をする。大型・中型・小型の数種が存在する。食性は雑食と考えられ、植物やコケ、昆虫や爬虫類、小型の哺乳類を食べていると考えられている。ネパールやチベットの人々には古くから精霊の一つとして信じられており、その姿を見たり口外すると不幸な目に合うと言われている。ネパールの寺院やチベットの民家にはイエティの頭皮、手、毛皮と称されるものが存在する。その正体について類人猿説、ヒグマ説、見間違い説など様々ある。

大雑把にまとめるとこんなところでしょうか。イエティについての詳細な考察は機会を見て行いたいと思います。

さて、本題に戻ってイエティが世界的に有名になった3つの理由についてお話していきます。

2.イエティが有名になった理由
(1) 発見者がイギリス人だったこと
イエティという存在については、地元の人々は古くからの言い伝えや説話等で十分に知られていました。ここでいう発見者とは西洋人にとって、あるいは現代科学においてという意味です。

イエティについての報告が最初にヨーロッパにもたらされたのは19世紀の1832年だと言われています。ネパールに赴任していたイギリス人の大臣ブライアン・ホッジス(Brian Hodges)によって、このヒマラヤの未確認動物が初めて報告されました。その後、ヒマラヤの登山に出掛けた軍人たちによる足跡の発見が報告されたりしていました。ただそれらは漠然としたものだったようで、多くの人々の関心をひくものではなかったようです。

人々の関心を引くこととなる決定的な事件は1921年9月22日に起こりました。英国陸軍の部隊が直接ヒマラヤ山脈でイエティとその足跡を発見しました。この事件がインドを経由しイギリスの新聞に掲載されると、一気にイエティは世界中に伝えられたのです。

1921年という年は、第一次世界大戦が終結した1918年から3年後です。世界はイギリス中心に回っていたのです。第二次世界大戦が終結し、冷戦といわれる米ソを基軸とする東西の陣営がにらみ合う1945年頃まで、イギリスは世界一の大国であり、経済・軍事・娯楽の中心だったのです。ゆえにイギリスの関心事はそのまま世界の関心事となっていました。

イエティの発見はイギリスの関心事だったので、イエティの存在は世界に広まっていったというわけです。これが第一の理由です。

(2) 西洋人のサルの仲間に対する嫌悪感
ヨーロッパにはサルの仲間は生息していません。サルが普通に生息しているアジアやアフリカ、南米の人々と違って、西洋人はサルに対する親近感がもともとありません。

それはキリスト教的な概念なのかもしれません。キリスト教的世界観では人間は神の姿に似せて最後に作られた存在です。人間とは一線を引く存在である動物のサルが、神の子である人間に似たしぐさをすることは許しがたいことなのかもしれません。

また、西洋人にとって人間の背丈を超えるようなサルの仲間が極寒の雪山に生息しているということは、おぞましいことであると同時に、怖いもの見たさの境地に引き込む魅力があったのかもしれません。一方で怪物たちの住む世界は自分たちの住む世界とは遠く離れ、彼らが襲ってくることはないという安心みたいなものもあったことでしょう。それゆえに市井の人々も気楽にイエティ談議に花を咲かせることができたのではないでしょうか。

つまり西洋人のサルの仲間に対する嫌悪感がイエティに対する興味を増す結果になったということです。現代人がホラー映画や怪談話に興味を持つような感覚が当時の彼らにもあったということです。

(3) その名前自体のインパクト
ここまで私はあえて"イエティ"とこのUMAの名前を表記してきました。それはこの最後の理由まで衝撃を取っておきたかったからです。

発見当時、新聞を賑わせたイエティの呼び名は「アボミナブル・スノーマン(Abominable Snowman)」。これが世界を震撼させたイエティの名前でした。日本では発見場所と最後のスノーマンを訳して「ヒマラヤの雪男」とも言われます。個人的にはイエティより雪男の方が怪獣っぽくてインパクトは強いんじゃないかと思っていますが、英語圏の雪男はそんなものじゃないようです。

「Abominable」を手持ちの英和辞典で引いたところ「忌まわしい」「言語道断な」「まったく不愉快な」などと出てきました。「Abominable Snowman」とは英語では非常に不愉快で嫌われ者の存在であることがわかります。

どうしてこんな酷い名前が付けられたのでしょう。いくら西洋人がサルを嫌っていても、ヒマラヤの雪原に存在するだけの彼らをそこまで悪しざまに呼ばなくてもいいんじゃないかと思います。

実はここに、とある人物のヤラカシが多いにかかわってきます。その人物は
当時、カルカッタ・ステーツマン紙(Calcutta Statesman)のコラムニストだったヘンリー・ニューマン(Henry Newman)という人です。彼が1921年の英国陸軍連隊の C.K. ハワード=バリー(C.K. Howard-Bury)中佐とその部隊による目撃談を記事にしたことが発端です。

ハワード=バリー部隊はチベット(Tibet)の標高1700フィート(約5200m)のラプカ・ラ(Lhapka-La)峠で、彼らの約2000フィート(約600m)頭上の雪原で黒い移動するものを発見し、双眼鏡を通して観察しました。これが初めて西洋にもたらされた、この地域に棲むといわれる、不思議な毛深い直立歩行する生き物についての信憑性のある目撃でした。さらに彼らはその黒い連中が移動したと思われる場所で、常人の3倍もある足跡をさらに発見しました。

ハワード=バリーの報告では、これは「メトー=カングミ(metoh-kangumi)」の足跡であるとシェルパたちが言う、との報告でした。現地の言葉で「カングミ(kangumi)」は、大雑把に「雪原に住む生き物」という意味、「メトー(metoh)」の部分は「メト=テー(met-teh)」と表記すべきもので、「人間と同じくらいの大きさの野生動物」という意味です。「メトー=カングミ」とは直訳すると、雪原に生息する人間くらいの大きさの野生動物」という意味になります。

ハワード=バリーはカルカッタに電報でこの報告を送りました。ここから"雪男"の不思議な運命が始まります。この電報を受けた技師が怪物の名前をメテク・カングミ(metch kangmi)と打ち間違えました。そして先のヘンリー・ニューマン氏の登場です。彼は最大にヤラカし、それがイエティの存在を世界中に知らしめる貢献をしたのです。

彼はいかにも知ったかぶって、「メテク(metch)」とはネパール語で「恐怖(horrible)」とか「忌まわしい(abominable)」という意味であると新聞に掲載しました。こうして「忌まわしい雪男(Abominable Snowman)」という世界初のワールドワイドに有名なUMAが誕生しました。この悪名は瞬く間に世界中に伝えられ、華々しく新聞の見出しに登場したのでした。

これがイエティ、いえ「忌まわしい雪男」が世界中で有名になった最大の理由です。最初の2つの理由は、あくまでイエティを有名にする可能性を秘めた、いわば燃料であって直接の要因ではありません。最後の「トンデモ誤訳」が無かったら、この燃料は爆発しなかったでしょう。

しかし重要な役割を果たしたことは確かです。なぜなら、ネパールやチベットでは古くから知られ、信仰あるいは恐怖の対象であったにも関わらず、イギリス軍人と西洋のメディアに流れるまで、イエティはローカルな存在であったのですから。これはイエティの他に「ネッシー」「ビッグフット」以外のUMAが世界的に有名になれないのか、というりゆうにもなりますが。

3.話のまとめ
ということで、「イエティが有名になった3つの理由!」をまとめです。
1.発見者がイギリス人だったこと。当時、世界の中心だったイギリス人が
  発見したことにより、その存在が世界中に発信されたため。
2.西洋人のサルの仲間に対する嫌悪感。その負の感情がイエティの存在を
  嫌い、潜在的に不快感やおぞましさを感じていた。これが最後の名前に
  よるインパクトを増大させたため。
3.その名前自体のインパクト。これは偶然とはいえ、一人のヤラカシによ
  り「忌まわしい雪男(Abominable Snowman)」と命名されたがために、
  先の2つの理由を燃料に大炎上させてしまったこと。

結果、イエティは「忌まわしい雪男(Abominable Snowman)」として世界で
初めて、老若男女、UMAに関心がある人もない人も、誰もが知ってる超有名UMAになったのでした。
















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