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花散る夜を惜しむよに…

 気付けば福岡・清川の艶宿(あでやど)に荷物を置いて、中洲・清川の夜を流れ始めてからもうひと月が経とうとしている。二週間に一度くらいは“恋の街”に戻って、医者と産業医に会って、また“流れ”る…

こんなにしばれる星空だから…


 先週、ようやく勤務地である“ハバナ”に雪の中を馴れない雪道運転で戻り、あいさつ回りを済ませて、部屋の様子も見てきた。埒が明かない、先が見えない、おれはこんなにも仕事も街も愛しているし、愛されているのに……泪
 すすきので“アテンド業”をして、歌って歩いて、恋に墜ちたりしなかったりして、成田行のチケットを取った。
 この二ヶ月の間にもう何度目の新千歳だろうか。少し早めに着いて、横浜・東京で会う人に渡そうとお土産をいくつか買ってみる。大学の頃や無職の頃は旅に出てもお土産を買う余裕すらなかったから隔世の感。
 ラウンジで何紙か新聞を読み、何本か煙草を吸ってから、保安検査場へ。北の冬に耐えうるコートは本州へ行ってしまうと少しじゃまになる…

 夜の成田空港・第3ターミナルはどこか虚ろな気配を感じさせる。わたしは、横浜行のバスに乗車して、しばし、眠った。

 横浜に着いて、石川町の綺麗めのドヤに荷物をおいてからは大学時代から横浜に来ると、よく来ていた中華街外れの食堂に行った。香港の下町を思わせる店内が混んでいたから、歩道のテラス席で某ビール業者の営業のおじさん2人と相席した。流れていること、仕事は楽しいけど、難しさもあること、1時間半ほど話しただろうか、そうしてお店を出て、もう一軒、和訳で“みだらな誘惑”とう名のバーに寄ってから宿へ戻った。

 翌朝は、ドヤをチェックアウトして一軒、日本大通り駅近くの喫茶へ。ここで郊外の宿を取って、旧い友人と待ち合わせて、何軒か喫茶店を訪ねて、そうして、宿に荷物を置いて、夜に備えた。

 この旅の大きな目的のひとつ、伊勢佐木町のスナックで“巡業”すること。去年の11月ごろだろうか。わたしは数年前に訪れた黄金町のスナックで働いていたお姉さんから一通のLINEをもらった。12月に伊勢佐木町にお店を出すと。横浜市内のデパートで働く傍ら、お店に勤めていた彼女が自分の店を持つという。
 まだ、副業で忙しくしていた頃だから、いつ訪ねられるかわからなかったけれど、その日は思ったよりもはやく来た。“えん歌師”の仲間に声をかけて、1月20日、お店を訪ねる運びと相成った。

 宿に荷物を置いて、小腹が減っていて店の入るビルの前のタイ料理屋で軽く夕飯をいただいてから、遅れて店に着いた。店内にはわたしの仲間を始めとして、10人以上のお客と、数人の店の女性が居て、賑わいを見せていた。再開を喜んで、互いの数年間について少し話して、それからデンモクに曲を入れる。


伊勢佐木町はタイのお店が多いみたいだ。
伊勢佐木あたりに灯がともる…


 「ヨコハマしばりの曲でいこう」ということで、一曲目には矢沢永吉の「チャイナ・タウン」を…
 「よこはま・たそがれ」、「恋人も濡れる街角」、「ブルー・ライト・ヨコハマ」、そして何と言っても「伊勢佐木町ブルース」……
 ヨコハマの歌も歌い、ヨコハマしばりで無い歌も歌い…そうして歌っているうちに、セットの2時間が終わりかけたので、チェックを頼むと、「もう一曲づつどうぞ」との有難いひとことが…
 「每天爱你多一些」を歌っていると、他のお客さんに「お兄さん、遊んでるねえ!」などと言われながら、つつがなく、“巡業”を終えた。
 宿への終電に間に合うように福富町の中華料理屋で軽く“反省会”をして、京急に乗って宿へ戻った。


 翌朝、10時40分頃に日ノ出町の駅についた私が、18時近くまで伊勢佐木町界隈をぶらついた話や、東京での話はまたの機会に……………
 この記事で、“湯の町”にたどり着いたところまで書こうとしたが、難しかった。

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