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【没った小説】時雨
「あぁ、やっと学校終わった……」
放課後の学園に響く鳥の声と共に、椅子から立ち上がった。軽く伸びをして、そっと教室を出る。
ボクはターナ。クロノスの幼なじみで、彼が所属する組織の一員として人間界へ調査に来たんだ。
といっても調査というか、って感じなんだけどね。元々ちゃんと調査してたはず……だけど、気がついたらクロノスが楽しそうにしてて、ボクもその色に染まって楽しんでるのかもしれない。
そんな、曖昧な人外をやっているんだ。ボクも。
さぁて。部活は自由参加だから、今日はリフレッシュのためにゆったり散歩してこようかな。
今日はどこを散歩しようか。表参道から原宿の方、と考えたけどイマイチパッとしないや。なんせ、この前の実習でそっちの方行ったし。
行先を考えながら校内を歩いていたら、ゆきひことクロノスがいた。ちょうどいいや。
「おつかれ〜」
ボクの存在にふっと振り向いたふたりを、散歩に誘おうと考えた。
いやひとりでもいいんだけど、さっきまでとは違って今は人恋しいというか寂しいというか……ひとりでいたくない気分だし嫌じゃなければ散歩に付き合ってもらおうかな、という図々しいお願いを。
「今空いてる? もしよかったら散歩いかない?」
「いいよー、ちょうど暇してたんだ」
「もちろんだとも」
といっても、どこにしようか。ちょっとボクは遠出がしたいんだけど、都心はこの前香水の店に行ってきちゃったし……どうしようか。悩むなぁ。
「どこがいいかな」
「はーい、ぼくスワンボート乗りたいでーす」
「スワンボートかぁ」
そういや、九段下の方にボート乗り場があったね。そこに行こうかと考えたけど、調べてみると九段下のボートは冬場やってないらしい。
「えー、冬場やってないんだ。冬場に空いてるボート乗り場とかないのかな」
「上野のボート乗り場はやっているらしいな」
上野かあ。一度だけ行ったかもしれないけど記憶が本当になくてどんなところだっけ、と一瞬困惑した。
でもやってるなら、行ってみたいと。まぁ今の時間は15時52分で、最終発券はとっくに終わってるんだけどね……でも、行かないっていうのは本末転倒な気がして。
「ところで雨が降る予報だが、どうしたい? スワンボートに乗れない可能性だってあるが」
「乗れなくても行きたいから行く」
「ふふっ、ゆきひこは素直だな」
「そういうノスぴだって素直じゃん」
ふふふ、楽しそうだね。そうと決まったら道のりを調べよう。
「えーと、JY線一本でいけるんだって、上野。一応到着予定時刻は16時30分頃だけどスワンボート間に合うのかわからないね」
「いつも行かないから、どこにあるかわからないなぁ」
まぁとにかく、上野に行くためにはJY線に乗る必要があるみたいだね。早速ナビを開いて乗り場を探そう。
「まって、ここ左に曲がるんじゃない? なんでナビの方向下向いてんの? ちょっと待って、上に行ってる」
「そこは左だな」
「言ってよ」
気まぐれなナビに振り回され、ボクらは乗り場に着く。ボクらが方向音痴なのか人間界を知らないからか、10分くらい道に迷っていたけどなんだかんだでクロノスが正しい道を特定してくれたからちょっと安心した。
JY線、はじめてこの緑の電車に乗るんじゃないかってくらい、乗った記憶がない。強いてボクが渋谷駅から乗る電車はG線くらいだ。たまに都心の方に行くから、という理由でね。
「JY線で、ほんとによかったのかな」
「まって、上野G線でもいけるじゃん」
頭の中を覗かれているかのように出てきたゆきひこの言葉にドキッとした。いや、それなら早く言ってほしかったんだけど今更路線変更しても、って。
そんなことを考えていたらもう電車が来てしまった。
「ふあぁ」
電車の中はあったかくて心地いい。実際、ボクは電車、嫌いじゃない。ゆきひことクロノスはあまり快く思ってないんだけど、ガタンゴトンという揺れや音が眠気を誘うから好きなのかな。
ゆきひことクロノスのおしゃべりが聞こえる。あるいは、声も隣に座るひとの体温もすべて安心材料になるから……?
これが、夢心地というのかな。ずっとこのままでいたいとか思ってしまうくらい、あったかくて心地よい。
ボクは思わずそちら側へ、足を踏み入れてしまいそうになる。
「ターナ、あと一駅だ。起きなさい」
「おーい」
クロノスが放った言葉とゆきひこの手の感触に、現実を見せられた。
ボクは、目を開けることに必死になりながら、電車を降りることになった。この時間が、もうちょっと続いてもよかったのになぁ。
マーブリング液に絵の具を垂らしたような混沌の中を探っても、ただここに行ったという不確かな証拠しか残ってない。
本当に上野駅はこういう風景だったのか、という疑問と確かにこの前上野に行ったという強情を垂らしたマーブル模様が、ボクの中で渦巻いている。
公園だったよね。ボート場。また気まぐれなナビを開かないといけない歯がゆさを隠して公園へと足を進める。
こうして、さんにんで歩くのは久しぶりな気がする。あの日香水店に行ったっきり、あんまり遊んでないから。ゆきひことはよく遊んでるけど、クロノスは気まぐれだからなぁ。
「あ」
渋谷で感じていた嫌な予感が的中するように、ボクの顔に雨粒がポツリと当たった。困ったね。折りたたみ傘は持ってるけど、これじゃあボートどころか散歩すらも厳しいね……
幸い、公園内にはカフェがあるみたい。そこで雨宿りがてらコーヒーの一杯飲めたらいいなぁ。
「チェーン店とかオーガニックな料理がウリのカフェとか、色々あるけど」
「え、オーガニック料理のカフェあるの」
驚くゆきひこの声を聞いて私も、とクロノスが頷いた。オーガニック料理がいいの? ふふふ。ゆきひこもクロノスも、オシャレなのに目がないね。まぁ、ボクもだけど。
「わぁ」
ちょうど雨足も強くなってきた頃だし、オーガニック料理のカフェへ行こう。
「いらっしゃいませ」
店内の雰囲気はナチュラルな木の香りとハーブの芳しい香りが漂っていて、ゆったりするのにちょうどいい感じだ。
「テラス席って空いてますか?」
「えぇ、空いてますが」
ねぇうそでしょ、こんな土砂降りなのにテラス席がいいって本気?
ゆきひこに理由を聞いてみると、雨の音を聞きながら紅茶が飲みたいらしい。雨足強いしボクはあまり賛成じゃないんだけどなぁ。
というか、いつも寒いところを反対するクロノスが今日は賛成してるのが不思議で仕方ないんだけどまぁいっか、くらいの気持ちでテラス席を選ぶことにした。
「うわっ、寒っ」
「やっぱ寒いな」
「なんで賛成したのさ」
メニューを持つ手がかじかむほど、寒い。いつもだったら中に逃げてるのに、不思議とここにいられるのは、なぜ?
おかしいね。この前まで心に引っかかりを感じていたはずの心を受け入れたように、外の寒さを気にしないのが、なんだかとてもおかしい。
お腹空いてないし、750円のブレンドコーヒーを頼もうかな。ゆきひことクロノスが紅茶を頼んでるあたり、やっぱりボクとふたりは違うんだなと感じる。
好きでコーヒーを選んでいるはずなのに、ボクが背伸びしていることを表現しているように見えるからちょっと面白い。
え、背伸びしてたのって? まぁね。ボクは前まで、ふたりが、すこしうらやましく感じたんだ。
その時はなんで、どうしてって言葉にすることもできなかったけど、認められたくて背伸びをしていたことに気づいてからは少し力を抜いて自分の気持ちと向き合うようになったんだ。
――でもまだ、うらやましいっておもうことはあるのはナイショ。
「このメーカーのファンデって実際どうなの」
「これか? ゆきひこの肌だとちょっと黄色みが強いかもな。もう少し白い色がいいと私は思うが」
「そうなの? ケータイの色味じゃよくわかんないもんだね」
「ゆきひこはメイクいらないくらい綺麗な肌してるのに、そんなに気になるものか?」
「なにいってんの、興味あるからだよ」
ふたりがコスメの話で盛り上がっていると、紅茶が先に届いた。昔のことを思い出しては青いな、と口元を緩ませる。
「最近なんか気にいったものとかある?」
「この小説かな」
「あ、それ」
クロノスが最近読んだ小説の話をしようとしたところを突いて話に参加してみる。
彼がこの前読んでいたのはSelectionという小説。絵描きの女の子とその友人の選択とジレンマを描いた小説だ。
ボクらと同年代か、ちょっと下くらいの女の子のね。彼女は絵描きとしてSNSを中心に活動しているという設定で、色々あって中学校の頃に仲良かった同級生の女の子と再会するんだ。
でもね、今までの彼女とは雰囲気からもう違っていて、絵も描いてないんだ。当時と現在のギャップと今の彼女を受け入れるべきかというモヤモヤした感情、それでも現実は変わらないという残酷さといった複雑な想いが書かれていて、クリエイターじゃなくてとグサッとくる話だ。
ボクも読んだけど、道中の複雑さとは裏腹に読後感はスッキリしててとても素敵な話だと思った。ボクたちの知らない『ひとの心』が上手く描けている作品だと思う。
「いいよね、それ」
「おや、読み終えたのか」
ゆきひこが着いていけないって表情でケータイをいじる中、ボクらの小説話はヒートアップしていく。
「こうしてさぁ、ボクたち今お話を書いたり読んだりそこから新たな世界想像したりしてキャッキャキャッキャ言ってるけど、卒業したらそんな余裕もなくなっちゃうのかな」
「さて、どうだろうな。現実に軸足を置くのは間違いではないし、一旦好きなことをやめても『戻るという選択』ができるだろう」
「戻るという選択かぁ。作中では結局、主人公ちゃんはやめたって真実を受け入れて同級生ちゃんの幸せを願うカタチで終わったんだっけ」
「作中だとそうなるな。だが、私たちが今いる世界では選択肢が無数にあるだろう。仮に私たちがそうなったとしても、この作品と同じ結末になる可能性もあれば、別のカタチになることだってあるのだから」
「まーた難しい話してるよ、ノスぴ」
呆れたように、しびれを切らしたゆきひこが会話に参加してきた。
「選択、ねぇ。ターナもよく、ありのままの気持ちを受け入れる選択をしたよね」
かすかに紅茶を啜る音と共に突然出てきた言葉に思わず噴き出してしまった。なにいきなり。照れるじゃん。
……そんなふうに、何気なく素直にいえるのがうらやましいな。ボクも、素直になれたら。
「申し訳ございません、たいへんお待たせいたしました」
あ、ブレンドコーヒー……話すのに夢中で頼んでたこと今思い出した。ああもう、なにやってんだろ、ボク。
そろそろ雨足も弱くなってきた頃だし、と会計の準備をしている。灰色の空を見上げていたら、ふと5時間目の美術を思い出した。
自分が見るこころの世界。ターナという、ひとりの存在を表現した世界を描いてみてはどうかと、クロノスに言われたことを。
ボクから見るボクってなんだ? うーん。どうしても曇ってるか雨降ってるイメージしか浮かばないんだけど。
「はいいろの、そら」
無意識下で漏れ出た言葉を、ふたりは聞き逃さなかった。
「灰色の空が、どうしたの」
「いや、ボクの心象風景ってそんな感じで」
「それ描けばいいんじゃない」
まぁ確かに、それを描くのが結果として早いというか上手くいくような気がするけど、なにか違うような。
「うーん、だってボクだよ。なんか色々と複雑に考えがちなボクを表現するのって難しいでしょ」
「飄々としているところは、時雨に似ているな」
「なに、しぐれって」
「降っては止んで止んだかと思ったらまた降ったり、コロコロと変わる雨のことだ」
要するにそういうことだ、とからかうような言い方でくすっと笑った。その言い方。
でも他人事じゃない。特にボクはね……無意識下でトゲのある言い回しになりがちだからなんとかしたい、と我に返った。
つかみどころがないってとこはなんというか、元いた世界でよく言われてたような記憶がある。
でもクロノスにそれを言われると不思議と納得してしまうと同時に悔しさが込み上げるちっぽけな自分に嫌気がさす。
実際そうなのかもしれない。他人に自分の想いをさらけ出すことは少なかったからね。
「時雨ねえ……面白いね。ボクと不思議と似ているところが、あるのかもしれない」
会計終わって外に出たけど、もう真っ暗だ。ボートのことなんてすっかり忘却の彼方に飛んでいたよ。
「まぁ仕方ないや。週末乗ればいいし」
ゆきひこはガッカリするどころか、気持ちが晴れているように見える。ポジティブというかその心の広さは素直に尊敬できるし、見習わなきゃと唇を噛んだ。
悩みの雨は止んでも、まだ素直になれない気持ちを抱えていくんだろうなぁ。
そう気づけただけでも、いいのかなって。ボクの心の中はまだ灰色の空が続いてるけど、スキマから光が差し込んできたようにスッキリとした。
あらためて、ボクの気持ちに気づけたんだ。いつも表に出さない、この想いを。
夕闇の中、また鳥の声が響いた。もう帰る時間だね。そんじゃ、電車に乗って帰ろう。
「明日は晴れるといいね」
「そうだね」