既に五輪の役目は終わったのに…

世界中が開催に否定的なのに、本当に”居酒屋コンドーム五輪”は中止しないのか?

私は長年スポーツに携わってきたので五輪が平和の祭典とは名ばかり。”金による金のための汚れた祭典”というのを知っていたので、こうして五輪の本質が明るみになるのは良かったとも思える昨今。


ところで、Googleドライブ内で探し物をしていたら、既にサービスが終了した電子書籍に投稿した2013年の文章が出てきた。私は2013年に東京五輪の開催が決まるころから、『東京五輪は反対、五輪に使う金があるなら震災復興に使うべき!』と言ってきたのを思い出したので下記に掲載いたします。


(文章ここから)


とあるビジネス系の雑誌に小泉元首相の秘書官であった飯島勲氏とももいろクローバーZさんの対談が掲載されていた。その中でももクロさんが共産圏という言葉を初めて聞いた感じであった。確かに共産圏を実感している世代は私の同じ30歳代後半(2013年現在)が最後の世代であって、とっくの昔に共産圏というのは死語になってしまった感じもする。

スポーツで共産圏と言えば、共産圏の崩壊で五輪の役目は完全に終わったと言えるのに、今は無理して金儲けのために開催しているのが五輪の実情なのである。

1980年のモスクワ五輪には、旧ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議する形で米国や日本の西側諸国が参加をボイコット。そして、次の1984年のロサンゼルス五輪ではその報復としてソ連や東欧諸国がボイコット。1988年のソウル五輪では東西両諸国が参加するのだが、85年のペレストロイカが始まり89年の東欧革命でベルリンの壁も崩壊する訳で、ソウルのときは東西冷戦の図式は崩れていたのでしょう。

プロスポーツを西側スポーツとして禁止していた東側。その東側が威信を賭けてくる五輪に対抗する西側。この構図で第二次世界大戦後の五輪は出来ていた。この構図が崩れたらナショナリズムの対決は成立せず、純粋な競技者としての対決になっていく。そうなれば各競技を一同に集めるアマチュアの大会を開催する必要はない。各スポーツが興行として世界一を決めるイベントを開催すればよいのである。

旧態依然の五輪のシステムを中途半端に続ける半面、プロスポーツと同じく商業主義を導入するから、レスリングが除外対象の種目候補になるという意味不明なこと起きるのである。

今の五輪はスポーツと平和の祭典ではなく金儲けの興行。

もう五輪の役目は終わった。一部の金を儲けられる人間のために続けている。そんな五輪を2020年の東京で私は見たいとは思わない。

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