第2話 ブルージュリアン
それに触れると、指先がピリッと痺れる感覚がした。ゆっくりと目を閉じ、さらに指と手のひらを密着させる。綺麗にアイロンがかけられたバンダナの、中央の折り目のあたりに中指を置いたとき、小さな子供が泥のついたうさぎのぬいぐるみを抱き上げる映像がフラッシュバックした。そして、少女と手を繋いで歩いていく、女性の後ろ姿。おそらく母親だろう。目印になるのは、大きなプラタナスの木、鮮やかな緑色、ベンチ。
「ふぅ……」
いくつか見えたところでまぶたをあげ、幼女と見つめ合って笑う。今にも泣き出しそうな幼女は、バンダナの端を掴んで口をきつく結んでいる。
「あの、どうでしょう。わかりましたでしょうか」
幼女の母親が、おずおずと聞いてくる。今日も複数の依頼が控えているが、ひとつひとつの案件に丁寧に対応してこそ、今があるのだ。何より、これが「絶対に当たる占い」だと、信じ込ませる必要がある。
「ねぇゆきなちゃん。昨日はママと公園に行ったんだよね」
「う、うん……。でもゆきなね、公園ではイヴちゃんとずっといっしょだったよ」
「もちろん知ってるよ。公園から出る時も、ゆきなちゃんはイヴちゃんを抱っこしてた。あの、お母さん。帰りにどこかに寄られませんでしたか?」
「ええ、駅前のスーパーに。もちろん、スーパーには問い合わせ済みです」
「そうですか。あのね、ゆきなちゃん。イヴちゃんは、いまゆきなちゃんくらいの女の子がだいじに持っててくれてるの。だからまずは安心してね。その女の子は、駅のポストの前に落ちてるイヴちゃんを見て、汚れちゃってかわいそうって思ったんだ。持って帰って、洗ってふわふわにしてくれた。ゆきなちゃんがいつもママと遊んでる公園に何度も行ってみれば、きっとその子に会えるよ」
ぎこちなく頷くゆきなだが、納得してはいないようだ。母親はゆきなを励まそうと、その小さな肩を後ろから抱き、明るい声で言う。
「ゆきな、ごめんね。悲しませてごめん。ママが落としちゃったのね。でもね、このお姉ちゃんは、絶対に当たる占い師さんなのよ。だからお姉ちゃんの言う通りに、また明日から公園に行こうね。イヴちゃんは必ず、ゆきなの元にかえってくるよ」
「ほんとう……? おねえちゃん」
「うん! 私の占いを信じて。ではお母さん、拾い主の女の子の特徴をお伝えしますね」
母親は熱心に彼女の話を聞き、現在のぬいぐるみの所有者の外見的特徴をメモしていく。そして、一通りの確認や質問が済むと、近づいてきたウェイトレスからメニューを受け取り、外がよく見える、窓際の席を目指した。
「おねえちゃん、ありがとう! イヴちゃん、かえってきたら、つれてくるね!」
「早く見つかるといいね! パフェとかパンケーキとかおいしいから、食べていってね~!」
ゆきなに手を振り、一人用の小さなデスクにもたれ掛かる。すると、背後に同僚のメイドが立って、彼女の肩を揉み、顔を覗き込んでねぎらった。
「ふとんちゃん、お疲れさま~! いまちょうど五時。休憩に入る前に、何か食べる? それとも、仮眠する?」
「おもちちゃん、いつもありがと。ん~、今日はショーのない日だし、仮眠しなくてもいけるかなぁ。とりあえず何か飲みたい。ていうか水でいい」
「オッケー。じゃあ控え室で待っててくれる? 六時からはだんごともうふも来るから、ふとんちゃんのサポート体制、万全にするからね。今日はあといくつだっけ」
「えっとね、杉田さん、高橋さん、吉沢さん……。八件かな」
実際に「占い」をするふとんより、おもちの方が今から疲れた顔をする。ふとんは、背の高いおもちの頭を自分の方に引き寄せ、大丈夫だよと髪を撫でた。ショートボブのおもちは、ウィッグを使わずに店に出ている。
新宿駅西口から徒歩三分、アニメグッズを扱う『アニメニア』の二階に、そこはあった。いまネットを中心に話題沸騰中の男の娘メイド喫茶、『ブルージュリアン』だ。
男の娘。つまりここにいる従業員たちは、みな若い男性だが、それでいて秋葉原や池袋にある、一般的なメイド喫茶顔負けのキャストを揃えている。
オカマバーのようなイロモノではなく、「男の娘」というからには、彼らは少女のようにかわいくなくてはいけない。ブルージュリアンは、厳しい審査、七割以上は見た目だが、それを通過した者だけが店に立てるのだ。本当に可憐な女の子のようだったり、あるいは中性的な外見のキャストたちは、とにかく美しく、レベルが高い。店側がそれなりのものを要求するのだから、当然アルバイトの時給はそれに準じている。それが、キャスト応募が途絶えない理由のひとつだが、ブルージュリアンが一躍有名になったのは、実は「男の娘メイド喫茶」としてではなく、「絶対に当たる占い師」ふとんの存在がSNSで拡散されたことがきっかけだった。
ふとんが四歳の頃だ。ふとんの母は自分の母親、つまりふとんからは祖母にあたる人の遺品を身につけていた。赤いカシミヤのマフラーは、ふとんの母によく似合い、ふとんも冬になると、母が懐かしそうにそれを巻くので、嬉しかった。
祖母はふとんが二歳になる前に病気で亡くなったので、ふとん自身に祖母と過ごした記憶はない。なのに、そのマフラーをさわったふとんは、母親に言ったのだ。
『お母さんのお母さんは、心臓が悪かったの?』
母は、抱き上げていたふとんの、不思議そうな瞳を見つめ、やや恐怖しながら「そうよ」と言った。たしかにふとんの祖母は、母が小学校を卒業する頃から心臓病を患い、通院しながら一人で我が子を育てた。が、祖母の死因は、膵臓がんが転移したことによる肝硬変で、心臓は年齢と共に徐々に弱っていっただけだった。
祖母の顔も、思い出も、幼いふとんは持たないはずだ。なぜ自分の母親が、心臓が悪かったことを知っているかのようなことを言うのかと、ふとんの母は自分の子がわからない感覚に陥った。その時その瞬間が、ふとんの超能力の発動だった。
それからもふとんは、「モノ」に遺されたイメージを周りの大人や、八歳違いの兄に告げ、驚かれたり、気味悪がられたりした。特に母方の伯母や、多くの親戚は、ふとんをあからさまに避け始め、以来ふとんは、それが見えても、兄にしか言わなくなった。
モノの残像を読み取る超能力を使える人のことを、サイコメトラーというらしいとは、兄が教えてくれた。ふとんは、それからも兄にだけは、何に触れて何が見えたかを教え、また、頼まれてやることもあった。兄は、それは誰にでも備わっているものではない、優れた才能だとふとんに教え、変わらず弟をかわいがった。母は、親戚のようにふとんを遠ざけたりはしないものの、いつも不安げな表情をしていた。
ふとんがブルージュリアンの面接を受けたとき、上から下までその容姿を眺めながら、支配人の丸山は言った。
「うん! 国吉勇紀くん。完璧なまでの美少年だね。メイク映えもしそうだし、すぐにでも入ってもらいたいよ。でもね、知ってるかもしれないけど、うちって働きたいって人がすごく多くて、正直どれだけシフトの希望が通るか、はっきりとは言えないんだ。で、なんだけど、君って自慢出来ることとか、特技とか、何かあるかな?」
真賢に頼り切りの生活から抜け出したい、せめて家賃光熱費の半分くらい、彼に支払いたい。ふとんは、ブルージュリアンでバイトをしてこそ、その希望が叶うのだと、この店でどうしても働きたかった。
「はい、占いが得意です。それも、絶対に当たる」
「ほんとう~? じゃあ、店の運勢でも占ってもらおうかなぁ」
丸山は半信半疑というよりは、疑いの方が強いような反応をした。するとふとんは、テーブルの上に置かれていたメニューから記憶を手繰り、胡散臭い笑みを浮かべている丸山にある指示を出した。
「今夜は特別なショーを予定していますよね。なんでも、FXの会社の新歓コンパで、大人数の予約が入っているとか。そこでですが、ショーの時のセンターはだんごちゃんではなく、もうふちゃんにしてみてください。信じるか信じないか、やるかやらないかの判断はお任せしますが、変更後の方が売り上げに確実な差が出ます」
「きみ、なんで予約や、ショーの立ち位置の詳細を……?」
丸山はわずかに肩を竦めたが、その日はふとんの言う通りに、センターをもうふに変えた。十五人の客を連れて訪れた社長は、サプライズショーを大層喜び、丸山ともうふを呼びつけると、チップだと言って、丸山に二万円、もうふに三万円を手渡した。
「いやぁもうふちゃん、すごくかわいかったよ。店長さん、もうふちゃんの三万円、横取りしたら、もう来ないからね」
ちなみにだんごはどうだったかと、丸山は男に訊ねる。
「うん? ああ、もちろんみんなよかったけど、僕はぽっちゃりした子の方が好きでね。もうふちゃんが見やすい位置で踊ってくれて、ラッキーだったな」
本当にふとんの「占い」が当たったと、丸山は鳥肌の立つ思いで団体客をもてなした。『男の娘占い師のいるメイド喫茶』なんて、こりゃネットの話題独占まちがいなしだ!
『国吉くん? ブルージュリアンの丸山です。昨日の占いね、もうバッチリだったよ! お客さまも大満足で、本当にすごかったよ~。だからもちろん、きみのご希望通りのシフトで入ってもらっていいからね。そこで条件としては、きみの占いコーナーを作ります。人気が出たら予約制になると思うけど、人気が出ないわけないよね。なにしろ「絶対に当たる」んだからさ』
「『作っていい?』じゃなくて『作ります』か。だから言ったでしょ? おれの占いは誰もが恐れをなすほどの的中率なんだってば」
丸山との通話を終えたふとんは、スマホを握ったままガッツポーズをし、これで真賢の負担を軽くすることができると、満面の笑みで天を仰いだ。
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