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誕生日の呪縛

自分的には無いと思ってたんですけどね。
母の覚悟を尊重したかったし、私を産んだことを後悔しないで欲しかったから。
よくある『私のせいでお母さんが病気になっちゃったんだ』は無いんです。よく言い聞かされてるので。

けど、昨日、0時から23時50分くらいまでずっとメールフォルダを見てました。いつもは見たくないから放置してるアドレスです。
もしかしたら。
もしかしたら。
もしかしたら。
もしかしたら…。

父は17時過ぎると晩酌するので、17時を過ぎた時点で期待は出来ませんでした。
それでももしかしたらと。
叶いもしない期待をして。
叶わなかったことが寒くなる。


前に書いた通り、私は流産すべきだと言われた命です。母体のためにと。
誕生日を碌に祝わない家庭ではありましたが、一言だけの「おめでとう」は今までありました。
何をそんなに切望する必要があるのか。
たかだか祝いの言葉ひとつ程度に。


私にとって「誕生日おめでとう」は
「生まれてきたのは間違ってないんだよ」だったのだと
今頃気が付きました。
不安だったのですね。この生に。
いつまでも道化を演じ、アダルトチルドレンになり、「子ども」「娘」「妹」といった役割を享受できず、仮面ばかり被ってきた人生に。

それがケーキひとつだろうが、寿司一膳だろうが、言葉だけだろうが、なんだろうと良かった。


祝われないということは、私は誰の視界にも居ないと言うことだ。
幽霊みたいだ。生きてることを許されてない。
友人からも、家族からも、親戚からも、認識されない、生きてる意味がない塵芥。


こうなるって分かっていたら
流産を選んでくれたの?

タイムマシーンとか、よくある逆行だとか何歳に戻りたいだとかがあるなら
「そいつを産むな」って言うけど
それでも?



向き合ってもらえない私は
生きていても屍人
死んでも遺体
あなたたちの前に立てはしないんだよ



産んだあなたたちが祝福しないのなら。

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