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キズナランク「2人の呪い」から

たびたび、何かしら私は「毒親」だとか「親御さんから受けた呪い」という言葉を嫌がってきました。
カウンセラーすらそれを言うんだから、信用されないのはまあ条理ですね。

図星であるなら、私は図星として紐解きました。
そこに何かあるからね。
でもそんな感じではなかった。
しかし、呪いというものはいろんな形をしています。

さっきパッと降りてきたのは


自分で呪った


ああ、たぶんそうなんだなと思いました。
ちょっと私の惚気が混じった呪いの台詞聞いてくださいね。

父のように頼もしく。
母のようにあたたかく。
兄(次男)のように将来的に親を支える目標を据え。
兄(長男)のように優しく。

『そうやって家族を繋ぐ要になり、』
『悪いものは自分にだけ被弾させる』
『そういう気立ての良い娘に』。

なれなかったんですよ。
だから壊れたんですよ。
本当は知ってました、家族を繋ぎたいと願うなら。

家族みんな、バラバラなのだということを。

仲睦まじい家族を夢見なかったとまでは言いませんが、まあ高望みですから、せめて潤滑油にと。
けども噛み合わない歯車を繋ぎ止めてる私自身には油を差す誰かが居ないわけです。
現に、私が30の頃に一度膝をついただけで、それは空中分解しました。あっさりと。


私がやらない限り修復もされない。
むしろ崩壊していく。
けれど歯車の形に戻れない私は歯車として機能しない。


わたしは
『元の歯車に戻れよ』と
自分に呪いをかけ続けている。


親兄弟じゃなくて
私が
自分で呪っているの
他人のせいにしないで


わたしが願うからこそ、叶わない現実と差が開く。
これは心理学ので当て嵌めていいでしょう。
理想の自分と現実の自分論でしたか?


私を『道具だ』と呪ったのも私です。
まあそりゃ発端は母さんかもしれんけど。

私を『壊れるまでは稼働するスクラップ』と呪っているのも私です。
自殺はいけないけど、変死は仕方がないと思ってもらえる。原因が無いから。


私は
私を呪う限り、希死念慮者のままなんでしょう。
滑稽な話ですね。

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