玲琳は本当に私に似ている
障害者差別の記事の後に書くのも
日本が抱える闇ですね
玲琳と違うのは、私の母は生きていることですが。
母は私が幼少期から、ずっと
ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと
「早く死にたい」と
私に行ってきました。
私が直接の原因ではなくとも、私を引き金に障害者になった。私を流せば健常者だったのに。
産むことを選んだのは母だし、そこで私が罪の意識を持つのはお門違いですが
何も思わないわけじゃないんだよ。
あなたの選択は間違っていなかったと証明したいと思ったよ。
でも私の体はポンコツで。
母自身も「きちんと産んであげられなくてごめんね」と言うので、そんなことはないよとただ顔を上げて、顔を上げて、胸を張って、後悔しない生き方を、誇れる生き方をと
自分を殺してきました。
でも社会は「障害者なんて」なんですよね。
母の選択も、私が生きてることも、間違いだと言うのです。
明日には息が止まっているかもしれない体で生きている私達を、社会は「障害者なんて生きててもさぁ。」と言うのですよね。
そんな失望に、誰も耳を貸したりしません。
だったら尊厳死を認めてくれよ。
障害者が生きてちゃいけないなら、死ぬタイミングくらい選ばせてよ。
まあ私が死ぬと難病の解明が遅れるそうなので、言ってる人の頭は疑いますけどね。
疲れたなぁ
楽になりたいの
分かるよ玲琳
楽になりたいよね 本当にさ
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