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心の淀みを雪ぐ苦しみは、賽の河原の石積みのよう。

最近ずっと頭をグルグル回る歌があります

こちらは『アイロニ』。
親のことを指しているのだと思います。

よくある「生きてる意味が欲しい」みたいなものはありません。そもそも人間は生まれるから生まれてくるのであり、最初は意味を持たずにいて当然です。欲しいなら見つければいい話。
だからそれはどうでもいいの。

でも親は「親の役割」に固執したままです。
今でもです。もう涙も出ないわ。
あなたが生きててくれれば「帰ってこなくてもいいから」と、帰りたいと望む私の話を聞きもしない。
息してれば幸せなんですか?
自分の為したいことも叶わないのに、生きてれば幸せなんですか?
もうわかんないよバカ


あとは今日くらいから頭に流れる歌が変わりました。

こちらは東方。懐かしいですね。
たまにふっとくるんですよね。小田和正さんなり、SMAPなり。ふわっとくる。

東方は友人かと思います。
繋いでいた心を拒まれる。私を「不要な人」にして切り離す。
へえー。ふーん。そっかー。悲しいなぁ。
トゥリアと同じ気持ちです。

要らないなら最初からそう言えよ。

私はアチラサマに庇護されている。
私の敵だとみなされた人の住む土地は災禍に見舞われる。台風が4連続直撃したり、コロナの爆心地になったり、豪雨災害に見舞われたり。数え切れないほど分かりやすく。

これでも祝福なんです。愛し子を傷付けたとお怒りになる。私が止めることは叶わない。
敵だと認定されたら最後、必ず巡りが悪くなります。大なり小なりダメージを喰らいます。
大企業が倒産まで追いやられたのも見ました。私を「障害者だから」と不当に蔑んだために、アチラサマの怒りを買った。

誰かを不幸にする祝福を、私は喜べない。
一層自分を嫌いになる。友人など持たなければ、私が傷付くこともない。
私が傷つかなければ、災禍など起きない。
凪いだ心のまま生きて、何も感じず過ごせばいいの。自分のことも分からないまま。

疲れるだけよ。
期待なんてするだけ無駄なんだから。
自分の言葉を語ることも全てが無駄。


ひとにかかわるとだれかをふこうにするわたし。
いきてるだけのむいみなじんせい。
つないだこころをだいじにだいじにしてもきりはなされるいらないにんげん。
そんなのがいきてるだけでしあわせだとおもえばいいの?わからないよ

だれかのなみだをうむのなら、そんなものほしくない。


悪虂みたいに悪夢に魘されるだけでいい。
誰にも知られない場所で、1人縮こまっていればいい。
1000年を超える歳月の憂いを、悩みを、晴れない負の感情を、どうにかして遠ざけるしか出来ない。
その優しさになら、甘えていたい。
お互いに支え合おう。苦しいね。苦しいね……。


ひとを恨むことが、憎むことが、こんなにも重くて苦しいのに、誰も気が付かない。
繋いだ心を切り離される痛みを知らない。
癒えない心を無視するのが正解になった社会で、私たちは除け者にされるだけ。


そんな世界に
わたしはいるの。

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