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プロセカ読んだ

最近は親子の確執というか、親の気持ち(※言えてない)が表に出てきてますね。まふゆの伏線になるのかな。
うちもそうであればいいのに

さて、所感ですね。
最近、絵名あんまり好きじゃない子と話をしたばかりで、初期は私も絵名あんまり好きじゃなかったなと思ってたのを思い出してたんですけど。
友達は承認欲求の強い人は鬱陶しくて嫌いといった感じでしたが、私は「自分は承認欲求すら持てないから」苦手でした。
自信が無いと言うと違うんですけど、自分を慰める手段としての承認欲求は無い。ただのぶりっこに見えたと言うと分かりやすいのかな。

ただまぁ、私も少しずつ絵名に興味は持ちます。
最初は「こんなもの(画材)、いらない!!!!」って荒れてる姿を見た時かな。
あぁわかるなって。
私も色鉛筆全部捨てて、油彩用の筆は折ってしまいたかったことがあります。
広報アカウントに少し書いてますが、「他人の害圧で嫌いになった」からです。

あんなに好きだったのにね。
他人のせいで描けなくなったんです。
絵を描くのは好きなんだけど、絵を通じて繋がっていた縁だったから。思い出してしまう。
絵に、そんな余計なオプションがつくのが嫌だったのです。

さて掘り下げ

これを、絵ではなく、家族に据えて見ることになりました、私は。
苦しみを吐き出した作品は全部そう。
周りが「そんなもの捨てろ」「お前のためにならない」「洗脳されてるんだ」と何度言ってきても、私はそれを手放せない。

手放せないことを分からない奴らが。

「お前のために言ってるんだ」と言う。

それがいつか
「お前が悪いんだ」に変わると、そいつらは知らない。

それのどこが
「私のため」なんだろうな。

教えてくれよ、なぁ


自分のことマガジンにも書いてますが
捨てられない理由なんてたくさんあります。
でも今は捨てるのが正しいとされる。
だから私はそこに押し込まれる。

絵名を好きじゃない友達は、「なんとなく友達と遊んで、たまにイラストを描いて」をやるでしょう。
その方が楽だと言う人だから。
それはどうでもいいけど(私の問題じゃないから)

じゃあ私は、「なんとなく友達と遊んで、兄に養われながら、気が向いた時に家族に向き合う」?
出来るイメージがない。
だってもう親70ですよ。
お迎え近いんですよ。
気が向いた時にこの世に居ない可能性の方が高いんですよ。
後でやればいいから?
命のリミットに対して?それは言えるの?

なら、凪さんみたいに、燃え尽きてからの方がいいよ。私は。
それだけのために全てのエネルギーを使い果たすのだとしても。

共に在れない未来が、私には許容できない。

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