あなたたちは救われたじゃないですか、絶望の先の顔についてと惹かれてしまう理由

 どうして月島基が好きなのか、って訊かれたときの簡易的な答えは「ギャップ萌えってやつ」としている。だって最初こそ狂人揃いの第七師団勢の良心として淡々と仕事をする姿に信頼させられてからの「あなたたちは救われたじゃないですか」には、引き込まれざるをえないじゃないか。ガッツリ注意を掴まれる。そして注目するごとに露呈する、不屈の鉄人軍曹の不安定さ──というのが、私の言う「ギャップ萌えってやつ」だ。

 深く被った軍帽と鉄の仮面の下から垣間見えるものは何か。あの子を失った傷のかさぶたを命の恩人である鶴見に剥がされて、真実は分からないけど”嘘”があったことだけは確かで、月島の気持ちが裏切られたのも確かで、けれどもお前のためだと、お前だけが頼りだからと伝えられて手放しに怒ることも許されなくて、あの子との温かな思い出はあの子が生きていないのであればやるせなくて、でも死んでいるとも思いたくないから考えたくなくて、もはや心の拠り所にすることすら虚しくなって、そして、本当に大切な髪の毛を手放した。あの凪いだ瞳で押し殺しているものが壮絶過ぎる。やっぱり絶望の先にいかないとあの顔はできない……。

 そして月島最大の魅力の一つは「屈強」であることだ。ここまでのことがありながら、月島の心は生きている。無感情に任務をこなす機械ではなく、心の通った人間のまま汚れ仕事をも成す。酷な話だが作者も言うように月島は痛みを抱えているからこそ魅力的だ。本人は疲れきって、辛いから全てを諦めて自分は手遅れだと、死んだと思い込もうとしているのに、心が死にきっていないから思考と行動がチグハグになるし自身でも混乱をする。散々な自分の人生の意義を丸々鶴見に託すのが一番”楽”だから、言われるがまま人を殺し、何よりも鶴見の目的が優先される筈なのに、灯台の夫婦も見捨てることができないし、鶴見を疑う鯉登のことを排除しない。そしてミソなのが、これだけ酷い目にあっておきながら月島はその境遇を極めて素直に受け入れて他人を妬まない。諦める能力が高すぎるのか、自己評価が低すぎるのか……それには父親の虐待が関係しているのか。そうだとしたら辛すぎる、日々月島の幸せを願ってしまう。(生きる理由を鶴見の目的に依存しきっているから、興味が湧かなかったのかもしれないが……そうだとしても、自身の幸せに無頓着すぎる)このように、筋肉の鎧をまとった傭兵の姿からは想像がつかないほどに、健気に、懸命に、ギリギリの精神で生きているのだから推したくもなる。

 軍人としての魂も崇高だ。騙されても「戦友だから」と言われれば突き放せない、その後「死んだ仲間たちのために」という言葉が出る。自分の人生に意義を見出だせなかった部分もあるとは思うが、共に戦う仲間たちとの絆は強固だったのだと思う。前山を殺された時の激昂や、汽車で牛山と対峙した時の部下たちの呼びかけにそれは感じ取れる。戦いぶりも含めてまさに軍曹のという立ち位置にピタリと嵌まる。カッコイイ。
 忠義心も高い。戦闘能力だけではなく露語にも精通し、大体のことはそつなくこなす、まさに理想の右腕のようだが、ただ盲信的に従順なワケではない。鶴見に対する忠誠は「鶴見の目的」に対する忠誠へとシフトしてしまい、それに相反するのであれば鶴見をも殺す、かなり危険な右腕になっていた。これは鶴見も月島も相手を信用したいからこそ臆して腹を割って話せずに、結果お互いの想いの認識が少しズレたみたいな感じだと思ってる。熟年夫婦の喧嘩? 最終的に鯉登の力になることを決心がついたのは、真っ直ぐと月島に向き合い、自身の正義を考えて貫いた鯉登自身の力が優れていたのだとは思うが、そんな鯉登の言葉が届いたのも、そして鯉登をそうさせたのも月島の任務遂行や上下関係だけにとどまらぬ真心ある補佐(世話?)のおかげじゃないだろうか。

 こうして書いているだけで印象がコロコロと変わる。強いのか、弱いのか、理性的なのか、感情的なのか、堅牢なのか、スキがあるのか──たぶん、全部そうなのだ。この屈強で、仏頂面で、忠義心の固まりで朴念仁のような男は、たくさん迷い苦しみながらも、仲間思いで面倒みが良く、度々長風呂を襲撃されながらも、小さな体躯で力強く生きる心温かい青年なのだと思う。そしてこれが「ギャップ萌えってやつ」なのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?