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プロレス振り返り 大日本プロレスファイヤーデスマッチ 2000年8月6日

プロレスの知識もそれなりにあるのに振り返らないのはもったいないと言われましたので2回目。

2000年8月6日に秋葉原のど真ん中で行われたファイヤーデスマッチです。
場所的には、今のヨドバシカメラがあるところだと思います。

この前日はプロレスリング・ノアの旗揚げ戦。2連戦か3連戦で。旗揚げ戦は友人(かなり歳上)の人がチケットを取ってくれたので、見ることができました。

写真は消されたけれど。その友人たちはノアへ行ったけど、私は大日本に行った。自分の中ではノアについていく気持ちにはなれませんでした。三沢光晴が嫌いとか全日本を離脱したからどうだということではなく、単純にやっているプロレスがおもしろいと思えなかった。この興行は、ノアの真裏でした。

いろいろ思い出しているんですが。検索してもでてこないのだが、たしかテイオーと誰かがJrをやっていたような・・。後にデスマッチで名を馳せる伊東竜二は長髪の若手で、ファンタスティックと微妙に噛み合わない試合を第1試合でしていた。

覚えているのはBJWタッグの神風松崎駿馬組の試合が良かったということ。松崎さんは地味だけど大日本では1番好きなレスラーだった。

そしてメインの松永・葛西対ザンディグ・ゲージ。ファイヤーデスマッチであることはアナウンスされていたが、CZW勢が突然マットを剥がして、火をつけた。本当に熱かった。葛西はまだ若手の部類で、細かった。当時大日本プロレスのエースは山川竜司だった。

松永光弘が車でザンディグを攻撃したあたりから会場がグチャグチャに。今だったら多分クレーム続出だと思う、みんなスタンディングだったし。試合の内容はあまり覚えていないが、黒煙がすごくて、消防車が出動し、いろいろと怒られたらしい。あとにも先にもあんな破天荒な試合は経験したことがない。それを誇っていいのかは、別問題だ。

この動画にまとめられているが2000年はBJW対CZWの構図。CZWはアシッドだとかジャスティスペインだとか、おもしろいやつが多かった。ワイフビーターは・・・嫌いだけど。

この動画の途中に出ているのが世紀末デスマッチ。山川が真冬の氷にパワーボム食らっていたのは覚えてる。


レモンソルトマスタードデスマッチも見た。

この辺の大日本は集客も右肩上がりで、勢いがあった。全日本プロレスが崩壊して、日本テレビが「コロッセオ」というインディを取り扱った番組を放送していたことも大きかった。埼玉プロレスはだいぶ儲かったみたいだし。コロッセオが終わってノア中継になったときは心底がっかりした。

ノアが嫌いとかそういうことではなく、やっていることが全日本と変わったとは思えなかったし、天龍が復帰した全日本のほうが新日本と対抗戦をしたりで、おもしろかった。

大日本は勢いで横浜アリーナ大会を開催し、テリー・ファンクやミル・マスカラスを呼んだこと、CZW勢が撤退したことで、後楽園は見事なまでにガラガラ。葛西が赤まむし軍なんてやってましたけどね。あれは失敗だっただんじゃないの。

大日本プロレスはなんだかんだ今でも残っているのはすごい。FMWもIWAJAPANもなくなってしまいましたからね。

秋葉原の空き地はヨドバシカメラになり、新川崎もマンションが建った。一時期八王子で野外デスマッチをやっていたけど、それもない。鶴見緑地もないみたい。

良い時代だったのかどうかは私にはわからないが、当時大日本の会場に行くのが楽しみだったことだけは間違いない。

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