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若者の苦しみについて

 これまでも、現在も多くの人たちは「貧困」とか「介護」という言葉を聞くと「高齢者」を思い浮かべることが多いだろうと思う。「貧困」とか「介護」で真っ先に「若者」を思い浮かべる人は少ないと思う。

実際、田舎暮らしをしている僕も「貧困」と「介護」で苦しんでいるお年寄りを何人か知っているが「若者」が苦しんでいる話はあまり聞かない。
だけど、現実には見えていないか、見えていても気づいていないだけで若者も苦しい思いをしている人は大勢いる。

https://mainichi.jp/articles/20201028/k00/00m/040/074000c

2019年10月8日、神戸で若い女性が介護疲れの果てに追い込まれて祖母を殺害する事件が起きた。この祖母は認知症を患っていたという。
僕は介護士の経験があるが、認知症患者の介護というのはとんでもない苦労を伴う。程度にもよるから一概には言えないが、まあ目は離せない。

僕は職業としての介護であったから、認知症患者とは一定の距離が置けたけど身内の場合はそうは行かない。
「愛は見返りを求める」
他人に対する親切はお返しを期待して行わないが、家族や愛する人に対して人は見返りを求めてしまうものだ。
看病したから早く元気になってね。というふうに。
自分がしてあげたぶんだけいい結果を期待してしまう。
認知症の場合、それは期待はずれに終わることが多い、それどころか症状は日に日にひどくなって介護者のことも忘れてしまうこともある。
認知症患者を家族が介護するというのはどれほどのストレスを伴うことか。

そんな状態ではまともに働き続けること自体が奇跡なのに、日本では生活保護のハードルがやたらと高かったりもする。若い人は働けるからだそうだ。

若くして家族の介護やそれに伴う家事に追われている人たちのことを「ヤングケアラー」と呼ぶらしい。
僕はこれまでそうした人たちは皆、上記のように自分の祖父母の介護をしているんだと思っていたのだけど実態はやや違うらしい。
介護対象者は彼らの「きょうだい」であることもある。
少し考えたらわかることだったんですが、田舎暮らしの僕は、各家庭に祖父母が住んでいることが当たり前だと思ってたけど都会に住んでる人はそうじゃないんですね。
都会には「核家族」と呼ばれる家庭が多い。両親とその子供だけの家庭。
バブル期には外で仕事をするのはお父さんで家事はお母さんが担当してたから子供の面倒は全てお母さんが見ているケースが多かった。
でも最近は景気もどんどん悪くなって共働きが当たり前、両親のどちらかが家にいるなんてことはできなくなっている。そんな過程で子供のうちの一人が「障がい者」になった場合、面倒を見るのはその「きょうだい」しかいない。
介護をするのが祖父母なら言い方は悪いけど終わりは見えている。でも年齢の差ほど変わらない「きょうだい」相手の介護は一生続くもので、これを現在の政府与党は「自助」で何とかしろという方針なわけです。

ヤングケアラーは沖縄県だけで1000人いるそうです。
彼らは自分の成長に必要な時間を自分以外の人のために使って日々を過ごしている。日本は未だ学歴社会。介護で勉強できずいい大学に入れなければ少ない給与で介護を続ける生活を将来にわたって続けることになってしまう。

そういう子たちを一人でも減らすために何ができるのか、世の中をどう変えたらいいのかを考えなければいけない時が来ていると思います。


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