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ホームレスの人にお金をあげるかどうかについて

日本にいた頃はあまり深く考えることのなかったテーマ。テーマという言い方も可笑しいが、現在の私なりの答えを見つけたのでここに記録しておこうと思う。

日本にいた頃は、ホームレスの人を気に留める習慣や機会もあまりなかったように思う。私の記憶では、東京に暮らしていて、ガード下や河川敷にブルーテントで寝泊まりしている人たちを目にしたことはあるが、街中で物乞いや小銭集めの紙コップを差し向けられたことはない。また、何となく近づいてはいけないように言われてきて、あまりそういったところは通らないようにしていたのもあったと思う。

大学生の頃に東南アジアやアメリカへ旅行したり、ワーホリで外国の都市(メルボルン/ロンドン)に暮らすようになって、初めて積極的に小銭を求められたり、道端でホームレスを目の当たりにするようになった。その度に、小銭を渡したほうがいいのか一瞬迷いつつも、目をそらして見ないように避けて通ってきた。

結論から述べると、これからは「小銭を渡す」ことにしようと決めた。そう思うようになったきっかけは、相方さんの行動。私の相方はいつホームレスに出会しても良いようにと言わんばかりに、出かける前は小銭をポッケに忍ばせて外に出る。そして、スーパーの前に紙コップを握りしめて呆然と座り尽くしているホームレスの人をみると、1ポンドをさっと出して入れている。

自分はコロナで失職してまだ職も見つかっていないと言うのに、何とお人好しなと、先日のいつも通りの彼の行動に、私は心の中で思ってしまった。別に大金をあげようって訳じゃあるまいし、渡す小銭が惜しくって言っているんじゃないと思う。私が今まで小銭を入れてこなかった理由として、「彼らの境遇や背景も分からないで、同情するのは逆に失礼じゃないか」「果たしてそのお金で本当に食べ物を買っているのだろうか」「その場しのぎの恵みは本当の意味で人助けにはなっていない」とか論理的に考え、見過ごすことを無理やり正当化していた。いずれもしっくりは来ていないけれど、そうすることが慣習化していた私は、ふと、彼に尋ねてみた。

「なぜあなたはいつもホームレスに小銭をあげるの?」

私は何を期待していたのだろうと思うが、答えはとってもシンプルなものだった。

「困っているからだよ。」

そう。困っている人を助けるのに理由なんていらない。川で溺れている人がいたら、誰だってまずは助けようとする。誰もその人が溺れているふりをしているんじゃないかとか、犯罪者なんじゃないかとか、助けて感謝されようだなんて考えずに、本能のまま助けようとするだろう。

もしかしたら、彼らは集めた小銭で麻薬を買っているかもしれないし、働かなくても生きていけるからという負の連鎖を生んでいるかもしれない。でもそれは彼らの自由であって、その選択に影響を与えるのはまた別の話。本当にお腹が空いてどうしようもなく困っているのであれば、1ポンドで助けられる人がいるということ。

イギリスはほとんどの買い物がカード決済で現金を持ち運ぶことはめっきりないのだが、私も今日から外出時はポッケに小銭を忍ばせておこうと思う。

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