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没小説 罪と罰

※シャアム

「怒っている気がする」

 それが、数時間ぶりに口を開いたアムロの発した一言だった。
 執務机に向かい、厳しい顔つきで作戦部の報告書や開発部のレポートに目を通していたシャアは、少し不意を突かれたような、解せないような顔をしてアムロを見やった。しかし、当のアムロはシャアの方を見ないまま、虚空でも見つめるようにして俯き、執務室に似つかしくない高級椅子にポツンと座らせられている。覇気もなく、焦点の合わないままの眼差しはまるで、人形の眼窩に嵌め込まれたガラス玉のそれだ。キリングマシーン。いつか誰かが彼を白い悪魔と呼んだ。確かに彼は一度コックピットに座れば、機械的に人を殺してしまう優秀なパイロット軍人だが、昔の彼はそれを厭う少年だったとシャアは聞いていた。だから色の失せた瞳をするあの青年の姿は、本来の彼の姿とも違うのだろうとは、シャア本人がよく分かっているつもりだった。
 アムロの声に一度は書類を括る手を止めたシャアだが、一瞥しただけで机上に目を下ろし、何てことも無いように、再び認可の判を押し始める。そんなシャアの態度も、今のアムロには何の意も介さないようだった。いつもの彼ならば、この遣り取りだけでは済まされないだろう。シャアはそんなアムロを怪訝に思いつつ、しかし何処かで無理からぬ事、と悟るところもある。シャアは執務の手を休めないままに、少し間を置いて応えた。
「何のことだ」
「いや…よくわからない」
 やはりアムロにはいつもの威勢がない。シャアは机に判を置き、顔を上げて続けた。
「私の顔のことか?」
「確かに少し疲れてそうだな。ろくに眠れてなさそうだ」
「そうだろうな、夜毎、人に懐かない暴れ馬を相手にするようなものだ。疲労もする」
 口を薄く開いたアムロは、また口を噤んだ。見れば、難色を示すように、ただシャアを睨め上げるだけ。若き頃、あの上官ブライトにさえ噛み付いたというこの跳ねっ返りの事だから、嫌味を含んだ物言いをすれば、少しは張り合ってくれると思っていたのに、今日は抗議一つさえ向けてはくれない。いくらダイクン家の嫡男で高いカリスマ性を持つと誉めそやされても、人心に疎いシャアは、こんな時、彼にどう対応すればいいのか分からない。だから、相手の機嫌を伺うような上部の気遣いをしながら、柔い声音を出して、辛抱強く続けるしかないのだ。
「具合でも悪いのか」
「よくわからない。でも、何故だろう。いつも怒られている気がする、誰かに」
 怒られるとは、少し幼い言い方だと俺は思う。だけど、非難や批判というよりは、もっと剥き出しで感情的なものを向けられている気がするんだ。アムロは野暮ったい口を開き、視線を落としながら続ける。
「いつも、何処か、落ち着かない。何かしないといけない気がしてならない。でも、俺が何かをすれば、いつも決まって、嫌な予感がして、身の危険を感じる。何者かに、怒られるんじゃないかって」
 心なしかアムロの身体がぎゅうと小さくなった気がする。彼らしくはない。今のアムロが本調子ではないのは、十分に理解している事だが、アムロが追い詰められたように、ここまで塞ぎ込むとはシャアは考えてはいなかった。ニュータイプのなり損ない。いつかシロッコに言われた言葉を脳裏に、シャアは唇を舐めて続ける。
「…少なくとも私は、お前にそう言う感情は向けてない」
「そう、だな…」
「お前が疲れているんじゃないのか、アムロ」
「そうなんだろうか」
「少し横になると良い」
 アムロの座る椅子のすぐ後ろに、人が横になるには十分な応接用のソファーがあった。それを示しながら、なるべく真摯な声色を作りそう言うと、シャアは筆を取り、机上の書類に目を落とした。すると、執務室には筆を走らせる音だけが響く。再び歪な沈黙が場を支配する中で、ポツリ、アムロは膝上にあった両手を差し出し小さく呟いた。
「…手錠」
「何?」
「手錠はつけたままか」
 ジャラリ、とアムロの両手の手枷が動いた。幼な顔の青年軍人には似つかぬ重々しい鎖の錠。その手枷はアムロの両手を硬く拘束し、拳を翳す事をできないようにしていた。手の甲をだらり、と見せるように突き出された両手は、心なしか力がない。シャアはそれを横目で見つつ、やはりなんでも無いような、極めて冷静な態度で応える。

「当たり前だ、お前は我が軍の捕虜なのだからな」

 ロンド・ベルのアムロ・レイ大尉は新生ネオ・ジオン軍のシャア・アズナブル総帥の事が気に入らない。連邦内部からの改革を諦め、地球潰しに走ったシャアを、アムロは許すわけにはいかなかった。それは宿敵としてだけではなく、共に戦った男として、シャアの行き過ぎた人類粛清を止めなければならない。喩え刺し違えても。それが一度でも同じ軍服の袖を通し戦った者への手向じゃないのか。
 しかし、シャアの執務室で二人が顔を突き合わせて、口論や揉み合い一つ起こらなくなったのは、アムロがネオ・ジオン艦艇に捕縛されてから果たして何日目の事だろう。連邦軍人として戦ってきたアムロは、この状況に憔悴しきっていた。何分にも、敵軍のガンダムパイロット、アムロ・レイの存在は、ネオ・ジオンと言う軍閥内に置いては、刺激が強すぎる。
 連邦軍では一年戦争の英雄と称されるアムロも、捕虜になって仕舞えばただの殺戮者、それはその手枷が象徴していた。艦艇内に幽閉されて過ごす内、アムロはやがて口を閉ざすようになった。元々英雄と持ち上げられたとて、連邦軍内でもニュータイプとしてのあり様を示しすぎたアムロを危険視する声はあった。その結果が、シャイアンでの地獄の日々。7年間の軟禁生活だったではないか。
 元々アムロは薄ら感じていた事だ。どんな大義名分や御託を並べても、戦争は人を殺める行為に過ぎないと。だからアムロはいつしか、シャアを責めることをやめた。一軍人として何も言えなくなったのだ。
 この艦艇内において、アムロは連邦軍の捕虜以上の価値を持たない。連邦軍のエースパイロット、撃墜王アムロを敵意を向ける者は多い。その事をアムロは肌で感じるようになった。同僚を奪われた者の無念と憎しみなど、ニュータイプでなくとも裕に感じられる。そしてアムロは悟った。
 俺の命は、多く積み重なった兵の死体の上に立っている。
 連邦の白い悪魔。あまりに自軍を逆撫でする存在に手を持て余したネオジオン軍は、最終的な捕虜アムロ・レイの扱いを、シャア総帥が直々に管理する事で収まった。

 仮にも男はネオ・ジオン軍総帥だ。艦艇を身一つで動かすシャアは、いつも執政で忙しくしている。執務机で淡々と書類を捌くシャアの横顔にぼんやり視線を彷徨わせながら、アムロは尋ねた。
「…何故、あなたはいつも執務中は俺を椅子に座らせるんだ」
「定期的に上体を起こす必要がある。それにお前を監視する為だ」
 まるで普段は己の寝室に繋ぎ止めているような言い方に、アムロは薄く笑った。そして今度はシャアの頭部に視線をずらして言う。
「サイコミュ装置をつけてか」
 アムロが細く見つめるシャアの頭にはMSパイロット用のサイコミュのヘッドセットがつけられていた。紙面に目を据えたシャアはアムロを見ないまま、やはり事もなげに答える。
「貴様程のニュータイプ相手にはやむを得ん事だ」
 シャアの素っ気ない回答に、アムロは自問でもする様に抑揚のない声で続ける。
「そこに座ったあなたはいつも難しい顔をしているな」
「難題が多い。アクシズ降下作戦の後始末で今、艦内は煩忙で殺気立っている」
 その答えを聞いてアムロは不意に口を閉じた。聞かれた事を簡素に受け答えるだけの男に、彼が意図的に私情を排して、自分に接している事に、アムロは気づいたからだ。
 アムロは目を伏せて一度黙した後、こちらの目を見ようとしないシャアに対して、声を絞る様にして尋ねた。
「…アクシズは、地球に落ちたのか」
 机上を止まる手と筆。見れば、椅子に座るアムロはひどく強張った顔をしてシャアを見つめている。シャアはアムロを一瞥した後、やがて息を吐くようにして言った。
「落ちた」

 アムロは、まるで判決を受けたような顔で押し黙りじっと目を瞑っている。
 アクシズ投下、それは連邦軍、ひいてはロンド・ベルの敗北を意味していたからだ。
 先程からシャアがアムロに対して向ける目線は、推し量るような、押し殺すような一見冷徹にも見えかねないそれは、奴なりの気遣いのつもりなのだろうか。一歩引いた窺う態度。どうもおかしいと思っていた。アムロは歯を食いしばった。
「シャア…」
「なんだ、アムロ。戯言なら聞かんぞ」
「いつか、ララァが、僕に言った」
「ララァ・スン」
「ララァが、僕に言った」
「…」
「僕は人を愛していないって」

「ララァはあなたのために戦って散った。あなたを愛していたから」

「本当は貴方は、こうでもしなければ、俺があなたの元を離れると思っている」
「貴方は恐れている。俺を自由にすることで、あなたの元から俺が去るかもしれない事。この鎖を外せばまた、俺がまた何処かに遠くに行ってしまうかもしれないと」
「貴方は俺が自分以外の誰かのところに行くのが怖いんだ、だからこんなことをするんだろ、シャア」

「まるで私が独占欲の強い男などと、つまらぬ矜持を満たすために貴様を嬲り痛めつけているような言い方だな、アムロ。そんな子供染みた理由で貴様をここに拘束すると思うか」
「俺の知っているシャアは、そういう男だ。あなたはそういう純粋で、強情で、不器用な男だよ」
「私がお前に私情で執着してるとでも」
「どうだろう、俺にはわからないな」
「お前ほどのニュータイプ能力者を相手に駆け引きするのは、少々分が悪いな」
「貴方もニュータイプだろうに」

「仕事中ぐらい、サイコミュは外した方がいい。わざわざ僕の思考を覗く必要はない」
「貴様程の男をここに野放しにできると思うか。いつ我々を目をかいくぐって敵軍に組みするともわからない。監視付きは当然だ、アムロ」
「僕の前に、あなたの方が参る。このまま僕の心を見続ければ、気が狂うぞ」
「お前が目の前で舌を嚙みちぎるよりはましだ」
「僕が、舌を?(兵役と)ロンド・ベルがあって、戦友がいて、僕がそんな無責任をするというのか。貴方は」
「皮肉にも私もニュータイプだからな。それは、君の方がわかっているのではないのかね」
「揚げ足を取るな」
「それ以前に私は君と長い間戦ってきた宿敵同士だ。それぐらい、声を聞かずともわかるさ。これでも私は君の先人だからな。貴様の様な若造パイロットの考える事ぐらいわかる」
「ならば、僕の口に布でも詰めて塞げばいい」
「猿轡をすれば、お前は代わりに縄で首を吊るだろう」
「するものか」
「どうかな、貴様は人殺しに耐え切れず、逃れる事ばかり考える男だからな。その手枷を外せばきっと、…いや、必ず貴様はここから逃げるだろう。戦争という現実。自分の犯した罪から目を逸らし、挙句には、毒を啜るか、飲み食いを忘れて衰弱死を選ぶかもしれんな。それが貴様にとって一番楽な死に方で、一番傷つかない処世術だからだ、アムロ」
「処世術…だと?僕がそれで自分を正当化してるとでも」
「お前は身を呈し頑なに自己犠牲を図る事で、日毎死者からの許しを乞うて、心を守っている。献身的行為は誰から非難を受ける事もない。それが貴様にとって一番心地よい、気楽な生き方なのだ。だからこそ、貴様は生者の心を踏みにじり、いつまでも逃げ続ける」
「シャア…」
「アムロ、私が怖いか。心を晒されるのがそれ程に怖いか」
「……やめろ、しゃべるな」
「お前は、死の責任を取るのが怖い。虐殺をなして尚生き続ける事。戦禍の惨状を認め、死者からの怨念と煩悩を受けつつ、遺族の痛み苦しみを直視して、被災者から恨み辛みを聞かされ続ける事に、最早心が耐えきれんのだ。同じ過ちを繰り返すかもしれない。過失と責任を恐れ、そこから逃げようとする。果たして『死』は、生きるもの、死すものにとっての本当の贖罪か?少なくとも貴様の場合は違うな、アムロ。それがわからぬのであれば、お前は、心が幼いだけの傲慢な子供だ」
「…いやだ。僕が生き続ける限り、また同じ罪を繰り返す。ならば、もう僕を殺してしまえばいい。大罪人で良い。だからもう、この世から解放してくれ」
「できん相談だ。お前の処分は私が決める。そう刑務官にはいい含めてある」
「本当は、もう、僕をここから離すつもりもない癖に」
「どうかな、それは貴様のこれからの態度次第だな、アムロ」
「もう腹が決まっているくせに!」
「はて、知らんな」

「シャア、お願いだ手錠を外してくれ」
「それはできない相談だ、アムロ。貴様はジオン軍の捕虜であり、刑罰を受けて居る囚人なのだ。総帥と、刑務官の名に懸けて貴様を自由にはさせん」
「ならば、せめて背中の鎖を解いてくれ」
「無理だな。貴様は手錠をしたままでも、それを振り上げて兵士を殴り逃走するような、そういう無謀をする愚かな男だ。これ以上刑を重ねたいか」
「それなら、足枷だけでも失くしてくれ。せめて部屋だけでも歩き回りたい」
「だめだ。お前はその足で窓枠に向かって飛び出して部屋から出ようとする。外が真空であったとしても、宇宙に身を投げ、ここから出ようとするだろうな」
「なら、どうすれば僕は、ここから出られるんだ」
「刑務を終えて、私の許しが出るまでだ」
「嘘だな、お前は初めからここから僕を出すつもりなどない」
「何故そう思う」
「あなたが…、あなたの心が、そう言っている」
「ほう、そうかね」
「わかっているだろうに!そうやっていつもあなたの感情を浴びせて!僕の心まで覗き見て!そうでなくとも貴様の目が夜毎そう言っているんだ、僕にはわかる。貴様は僕を一生縛り付けるつもりだ!一生、お前から陵辱を受けて、お前の前で恥をかき続けろというんだ」
「そこまでわかっているのであれば、今更私が説明する必要もないな、アムロ」
「……」
「私は軍務に戻る。いいな、アムロ」
「…うそだ」

「その目だ…。シャアは何もかも自分の腹で決め込んで、僕にいつも…」

「もういやだ。シャア、いい加減僕をここから解放してくれよ」
「無理だ、まだ刑は終わっていない」
「もう死なせてくれ」
「それは許されんのだ」
「なら貴方が殺してくれ、シャア」
「私が、お前を殺して、希少なニュータイプの戦力を、みすみす手放すと思うか」
「…」
「あきらめろアムロ、貴様はネオ・ジオン軍の艦艇に捕囚されているのだ。少なくとも、この戦争が終わるまでお前がここから出ることはない」
「もういい、死なせてくれ」
「それはできない」
「死なせろ」
「それは私が許さん」
「殺してくれ」
「無理だな」
「…殺せ、もう死なせてくれよ」
「生き続ける事が貴様に与えられた懲罰だ」
「ララァ・スン…、ララァが、僕を待ってる」
「どうかな。死者ララァは私の前には一度も現れた事はない。もしかすると、私たちに愛想を尽かしたかもしれんな」
「薄情な奴!あれほど、ララァに拘った貴様が!」
「切り替えの早さが私の取り柄だ。ガンダムを打ち倒す為に彼女の支えが必要だった、アムロ、私はそういう冷酷な男だ」
「それは嘘だ。貴方はララァを愛していた。そうでなくとも、人の意識が、死者の声が、毎日、毎晩、僕の頭まで聞こえてくるんだ。呪怨だよ。何処にいても何をしても、ここにいることも、許してくれないんだ。今もずっと、もう僕は、耐えられない。もうここから出たい。解放されたい…、だからシャア。頼むよ。銃殺刑でも、絞殺刑でも、火刑でも、石打ち刑やギロチン刑でも構わない。もしあなたが望むのであれば、僕の脳もνガンダムのCPUの学習データも、あなたの軍の開発部に提供する。だからお願いだ、僕をここから出してくれ…」
「くだらないことをいうな。自軍の戦闘能力を、敵軍の、それも総帥クラスに売ろうとする人間のいう事を、私が聞くと思うかね。政治的交渉に関して貴様が私を出し抜けると思うな」
「…もう、いやだ!苦痛だ。苦しい、苦しい。もう耐えられない!」
「お前が苦しもうと、私には関係のない事だ」
「助けてくれ、シャア、お願いだ。なんでも、貴方の望むことは、なんでもするだから。頼みもなんでもするから、助けてくれ」
「ならば、そのまま情けなく許しを乞い、死者に懺悔しながら、私の前で無様に苦しみ続けろ、それがお前に与えられた唯一の刑務だ」
「…シャア!…貴方は、あなた…本当に酷い!鬼だ、悪魔だ、本当の鬼畜だ…」
「好きに言えばいい」
「…もう、無理だ。シャア、死にたい。殺して、ころしてくれ」
「私の知った事ではない」
「ひどい、ころしてくれ」
「許可はださん」
「おねがいだ、ゆるしてくれ」
「断固として許さん」
「いやだ、ころしてくれ!しなせろ!」
「生きろ、アムロ」
「いやだぁ!!」

「これは貴様が望んだ懲罰だ」
「…僕が?」
「お前は怖いんだろう。MSと戦う内に、いずれ心を失うかもしれないと。ただ、マシーンのようにガンダムで人を殺すようになるのが」
「あなたは怖くないのか」
「忘れた、遠い昔のことだ」
「僕は怖い」
「そうだろうな」
「あなたにもわかるだろう。敵軍のMSを撃ち落とした時に、一瞬、快楽のようなものを覚える。敵兵を撃った。標的に当たった。艦を撃墜した…、そんな事が続く度、人としての感覚が麻痺してくる。敵軍のMSや敵兵相手なら人間を殺しても、戦争では持て囃されるんだ。まるで命を奪う事や殺戮が、そこでは正当化されているみたいだ」
「国際条約に則れば、戦争法規に従った戦争行動は犯罪にはならない。白兵戦における殺しも歩兵による占領も、戦闘機やMSによる迎撃や防衛も、全て条約で保障されている事だ」
「でも、それでも殺しをしている事には変わらない。僕は怖いんだ。命を奪う事に躊躇いや迷いを失って、ただの戦闘マシーンになる事が。僕は人の痛み、悲しみを忘れたくはない。確かに僕は白い悪魔だ、そしてあなたも赤い彗星と呼ばれた。でも、本物の悪魔や怪物にはなりたくはない。僕は人間だ。パイロットとして、メカニックとして、νガンダムを、ただの殺戮兵器にしたくはない…。シャア。僕は、喩え悪魔と呼ばれても、人の心まで失いたくないんだ…」
「アムロ…」
「僕は自分の犯した罪を忘れたくない。だから罰が欲しい。確かにシャアの言った通りだよ。僕はずっと罰が欲しかった。罪を償い生きてもいい理由が欲しかった。戦争で心まで失いたくないんだ。死んでいった人の痛みを、僕は忘れたくない」
「しかしアムロ。お前はそれでもWBを降りる事はしなかった。監視を抜け出してエゥーゴで共に戦い、最終的にロンド・ベルの軍服に袖を通して私に対峙したのも、全てお前の選んだ事だ。そこに、ガンダムパイロットとしての生き甲斐が無かったとは言うまいな、アムロ」
「でも、僕は殺しまでは肯定したくない」
「まるで子供の駄々だな」
「それでいい。あなただって、パイロットとしてMSと戦う事に意義を持っていた筈じゃないのか。だからあなたは又名前を捨てて、クワトロ・バジーナを名乗った。僕にはガンダムのコックピットにしか居場所がなかった。でも、本当なら、僕は…普通の人生を歩みたかった。あなたは、怖くないのですか。人を殺す事に慣れて、それがやがて愉悦に変わっていく事が。MS機体の中に、心の宿る人間がいる。それを少しずつ忘れていく事が、僕は怖い」
「死を覚悟した軍人として、敵兵を討って高揚を覚える事に問題があるわけではない。人の死を機械的に処理する事は、我々軍人には必要な技術なのだ。後は自身の戦闘行動に対して客観的な評価を下し、暴走しない為の自制心が働くかどうかだ」
「僕は、やはり子供だろうか」
「私個人としては好ましいと思うが」
「…大人なんだな、シャアは」
「君より先に歳をとっただけだ」
「…」
「私は、軍人として戦う生き方しか知らんのだ。私の言う事が人としての正しい道理とは思わんよ」
「でもあなたは軍人としていつも最善の行動を考え、戦果を収めてきた。一年戦争で僕はあなたと戦いMSで追い詰めても、エゥーゴで一緒に戦っても…、結局、こんな、アクシズ落としをさせてしまった…。僕の優しさは、あなたには一度も届かなかった」

「…アムロ、私は、お前の持つ光が羨ましかった。純粋すぎる程の、お前の優しさが、時に妬ましかった。それがニュータイプの力なら、私は永久にMSパイロットとして完成せん事になる。こうしてサイコミュで補完しなければ、君の心に自力で触れることもできない」
「でも、あなたの言う優しい人間が、いい軍人になるとは限らない。良い人間がみんな軍人として優秀になれるならば、そもそも戦争なんて起こらない筈だろ」
「ニュータイプの力が心の共感のことをいうのであれば、君の優しさはMSやサイコミュ兵器を動かす強力な感応波を生み出し、敵兵の行動を正確に予測して対策ができる。それは戦争では希少な力だ。軍人としては愚かなお前も、サイコミュ兵器を扱うMSパイロットとして、高い能力を発揮する。それは仕方のないことなのだ、アムロ」
「いつもその理屈だ、あなたは…」
「しかし、それももう過去の話だ」
「過去…?」
「サイコフレーム。そして、今の私の手元にはお前がいる」
「僕が…」
「お前がいれば、私の様なニュータイプのなり損ないでも、人の心が見える。もし、お前が私にその目と心を委ねて、導いてくれるなら、私にも人の光が見える。お前さえいれば、私にも刻が見えるのだ、アムロ」
「シャア。あなた、まさか、初めから…」
「…」
「純粋、なんてものじゃない。酔狂すぎる…だって、シャア…僕は……宿敵で、男なのに。それに、人が、人が死んでいるのに…」
「それ以外にお前を手に入れる手段はなかった」
「…」
「私は、ただお前が欲しかった」
「あなたは、心が壊れている…」
「言うな」
「本当は、あなたは、もっと優しくて、心が弱くて、脆くて、ただ人恋しいだけだったのに…。そんなエゴイズムな理由で、戦う事が許されるのか」
「いけないか、戦い奪う以外に生き方など知らん。それが私のやり方なのだ」
「そんなもの、エゴだよ。総帥のあなたに…、兵士の僕らに、それが許されるものか」
「エゴの何が悪いか。私は戦士であって、戦うだけのマシンではない!それは貴様が一番わかっているだろうが、アムロ!」
「シャア…」
「愛する者を抱く。朝寝を共にする。それぐらい、駄々を捏ねて何が悪いか…」
「…」
「…」
「…そんな、都合のいい話など」
「そうなる様、ここまで苦労して戦局を組んだのだ。これも宿命だ、アムロ。それとも、君はそんなに私が嫌いかな」
「…」
「ニュータイプに生まれたのは、君にとって不幸だったな」
「やめろ、僕を…、心まで、見ないでくれ」
「アムロ…」

「私のいう事がわかるのなら、私と共に来い」
「シャア…、あなたはやはり」
「同志になれ、アムロ」
「…」

「自己嫌悪で済むと思うな、綺麗でいれば許されると思うな、痛みと苦しみで許されると思うな、優しさが正しいとおもうな。悔いと情けで罪が消えると思うな。忘れるな、貴様の積み上げた死体の数を。お前は過失で味方の部隊を殺した、自らの手で敵兵を撃った。ララァ・スンを殺した。そうしてのうのうと生き残ったのが私と君だ。貴様が手を汚さなければ、いずれお前の守るべき人間が血肉で汚れることになる。アムロ、貴様が手を下さずとも、いずれ誰かが手を下す。誰かがやらずとも、私が直接手を下す。お前が何もせずとも、時代は動き、新世紀はやってくるのだ。既に、私とお前は共犯の罪人だ。力を持って生まれたからには、君にはやるべき使命がある。もし死にたいと言うのであれば、持てる力を、その命の全てを使い果たし、人類の為、ネオ・ジオンが為、地球が為、そして、私自身の為に、貴様の全存在をかけて、ガンダムに乗って戦い、前線で蛆虫の如くに死ぬがいい!!…わかるな、アムロ」
「……」
「良い子だ」
「…僕は、もう、あなたには勝つ事はないんですね、一生」
「自軍内での私闘はナンセンスだからな。同志と戦い合う必要もない」
「僕はいつ、あなたの配下に着くんです?」
「君はネオ・ジオンの紋章を付ける覚悟はあるのか。手負いの身分で、ブライトのWBと連邦軍のMS相手に、νガンダムで戦えるかね。一年戦争の英雄、白き流星のアムロ君。私はそれでも一向に構わないが」
「…」
「アクシズ投下による地球寒冷化作戦が失敗した今、宇宙の地球連邦軍の処理が最優先だ。地球降下作戦まで待て」
「…これまで、僕はあなたの軍と戦い、ジオンのMSを落とし、多くのジオン兵を殺してきた。連邦軍の戦友もたくさん死んでいった」
「ああ」
「非戦闘員の市民も、子供も、女の子も、老人も、サイド・セブンの大人たちも、フラウ・ボウも、フラウの家族も、リュウさんも、テム・レイも、母さんも…、みんな死んでいった…」
「そうだな」
「結局、僕は何のために戦ってきたんだ…」
「それが戦争だ、アムロ」
「そう…ですね」

「共に全人類の業を背負ってくれるか」
「…あなたの隣で見届ける。地球の行末を、全人類がニュータイプとして分かり合える日が来るまで。あなたが再び過ちを犯さぬ様、あなたをいつでも撃てる様。僕が、あなたの…、シャアの右腕になる」
「言ったな。遂に君から言質を取った。これでようやく、私とお前の宿敵同士の関係に決着がついたという訳だ。お前の牢獄生活も終わり、これから本当の贖罪が始まる。今度こそ、貴様の負けだな、アムロ」
「そうだな、シャア…、総帥」

「人の灯りがないと、ただの青の水溜まりみたいだ…」
「案ずるな、少し休んでもらうだけだ。その為に、重力に引かれた魂をあそこから解放するのだ」
「本当に…、ナナイさんの言う通りだ」
「ナナイ?」
「あなたにとって、お父さんの言うニュータイプ理論も世直しも、地球の事も、全部、次いでの事だったんですね…」
「自意識過剰だな、アムロ。私にとって地球は第二の故郷だ。だから、そんな顔をするな」
「淋しい人だよ、あなたは」
「いずれはまた地球に帰してやる、ネオ・ジオンが国として独立を果たし、難民政策を終えて父の理想である全人類のニュータイプ化を全うしたその時は」
「それでは、僕はもう、生きてるうちは地球には帰れないな」
「骨と肉は地球の土に還してやろう、望みの霊地と葬儀の宗派を遺書に書くがいい」
「いや、それならば、宇宙葬でいいよ。死ぬならMSの中がいい。この艦艇が僕らの棺桶だ」
「戦場だけでなく、墓場までついてきてくれるか、アムロ」
「魂ごとあなたにあげるよ」
「フ…そうか、それは光栄だな、友よ」
「うん。白き流星として、赤い彗星と共に、この宇宙の心まで還るよ」

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「僕の殺しの責任はあなたがとってくれるのか?」
「もうお前は私の下官だからな。総帥と言う立場であれば、自ずとそうなる。それとも君にその責任が取れるかな」
「いや、また死者に取り憑かれるだけだ」
「ほう、素直で結構な事だ」
「あなたには、責任をとってもらってばかりだな」
「その代わり、有事の際は共に死んでもらうぞ、アムロ。敗戦したその時は、お前を道連れにするつもりだ」
「戦争犯罪者として投獄、処刑されるのは慣れているよ、シャア」
「フン、随分な物言いだが、連邦政府に7年も軟禁された貴様ならば、文句はあるまいな」
「そうだな、シャアが僕の心を籠から出してくれた。僕はもう宇宙に飛べるよ」
「いいだろう(よろしい)。ならば私の命ある限り、君を守ってやろう」

「νガンダムは僕の記憶の一部だ。ガンダムの学習型コンピュータにはパイロットとしての僕の戦闘データが残っている。そしてこのνガンダムは僕が設計した。流石に、サイコフレームがシャアから横流しされたものとは知らなかったけどな」
「情けないMSに乗った貴様に勝ったところで、何の意味もないからな。正直言って、MS設計図を見た時は、連邦軍(ロンド・ベル?)の開発力には心底失望したものだ」(※RX-78-2ガンダムの連邦の新兵器に苦戦した苦く甘い思い出がシャアにはあるから)
「はっきり、言ってくれるな、シャア。僕が初めて、設計したガンダムなんだけどな」
「構造部材の問題だ、サイコフレームの技術提供がなければ、νガンダムはあそこまでの駆動性と操縦性を実現できなかった。サイコミュ依存のファンネル操作も、貴様のようなニュータイプには強力な戦闘能力となる。アムロ・レイのパイロット能力に追いつけないMS機体など、サザビーの敵ではない。機体の性能差による決着など、私は望んでいない」
「僕と決着をつける為だけに、アナハイム社に技術提供をしたというのか?相変わらずだな、シャアは。フェア・プレイ精神も、そこまで来ると、少し狂気だぞ」
「サイコフレームを貴様に提供したのは、それだけが理由ではない。…が、最早、お前に説明する意味はなくなったな」
「なんのことだ。同志とはもう戦う必要がない、ということか」
「さぁな。しかし、もう私には必要のない事なのだ、アムロ」
「…?」
「νガンダムの開発か。もし、あの時君がサイド・セブンでガンダムに乗らなければ、MS設計者やメカニックとしての人生もあったかもしれない、という事かね。初め君が機械いじりが趣味のオタク少年とは、私は知らなかったが」
「もしかしたら、そういう事もあったかもしれないな。そしたら、僕は赤い彗星のシャアと出会う事も、ジオン軍のあなたと戦う因縁もなかっただろうが」
「宿命だな、それは」
「よく言う。この機体の基礎構造はRX-78-2タイプを継承したものだけど。確かに、このガンダムの中には僕の精神も流れている。そこに魂や意志はなくとも、このガンダムは僕の分身みたいなものなんだ。血は繋がってないけど、ガンダムにはパイロットとしての僕、メカニックとしての僕の心が宿っているんだ。シャアと戦う為だけに組み上げた。シャアのサザビーだってそうだろ?」
「貴様と決着をつける為だけに開発部と連携し組み上げた。アムロ・レイ、連邦軍最強のニュータイプであるパイロットと対峙するからには当然の事だ。サイコフレームも私がネオ・ジオンで開発した技術だ。ニュータイプとしての力が劣る私には、これに頼る他なかったのだ」
「だからといって、技術を横流しする必要もないだろうに。サイコフレームがシャアの提供と知っていれば、僕は…」
「どうかな。サイコフレームがあるからこそサザビーはあそこまでの性能を誇ったのだ。それを止められる唯一のパイロットがアムロ・レイであるならば、お前は絶対に搭載しただろうな。敵軍からのリークと知りながら、私を止める為だけに、私を、世紀の虐殺者にしない為にな」
「偉く自信をもって、断言するんだな」
「当り前だ、それが私の知るアムロ・レイという男だ」
「なんてヤツ…。いや、僕も同類か。サイコフレームがシャアの開発ならば、このνガンダムはシャアの精神も宿っているのか。なんだか妙な気分だ。貴様を撃つために組んだというのに」
「良い機体をもったな、アムロ」
「?…あ、ああ、そうだな。それも、シャアのお陰だな、皮肉だけど。僕にとってνガンダムはRX-78-2と同じ、特別なMSだよ。初めて僕がガンダムシリーズを設計した。パイロットで戦う時と同じぐらい、僕には思い出深い時間だ」
「時が来れば、ネオ・ジオンの開発部を紹介しよう。貴様のいうメカニックの技能をそこで試してやるとするかな」
「そしたら、いつかシャアのMS機体も設計してやるよ」
「ああ、よろしく頼む」

「このガンダムのCPUはMS機体としてパイロットの戦闘データを学習しているけど、搭乗者の使い方によっては、ガンダムタイプは兵器以外の用途もあるかもしれない」
「やはり貴様は、戦う以外に道を見出すのか…」
「いや、MSパイロット、シャア・アズナブルの隣にいる限りは、僕はガンダムパイロット、アムロ・レイとして、親友の為に戦うよ」
「そうか」
「だから、貴方がそんな顔をする必要もないのに」
「…」
「人恋しいのに、人に甘えるのが下手なんだな、シャアは」
「ええい!黙れ、アムロ!」
「あはは」

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