見出し画像

唐突な"重さ"を突きつけられたら

 先日、散髪に行った。
 老夫婦が経営しているこぢんまりとした床屋で、一年ぐらい前から利用している。
 かつては安価かつそれなりの規模の理髪店に列んでいたこともあったが、どうにも手際が良くないので、近場でどこかないかと探したところ、この店が見つかった。
 何度か利用している間に、気さくに話しかけてくれるおじいちゃんには床屋から家が近いことを話すなど、世間話の機会も増えた(僕自身は散髪時の世間話が得意ではないことを付記しておく)。
 身だしなみに気を払うような性分でもないので、一度散髪に行ったら次回は3~4ヶ月後だろう。
 ここで唐突な身の上話を差し挟むが、僕は六月末でこの土地を離れることとなった。
 つまりこの日は僕にとって、その床屋の最後の利用機会なのだ。

 その日、床屋のドアを押し開けると、おじいちゃんが暇そうにテレビを見ていて、僕に気がつくと「おっ」と声を掛けてくれた。「また来たか」と言いたげで、嬉しそうだったから、心の奥がキュッと軋んだ。
 床屋は夫婦経営だが、奥さんは客が増えない限りやってこない。
 幸いにしてその日その時間、利用客は僕しかいなかった。
「だいぶ伸びたね」とか「もみあげ剃っちゃっていい?」など、会話はいつも通りのものだった。そしていつも通り、丁寧に洗髪・散髪をしてくれた。
 いつも通り、会話少なく、滞りなく終わった。
 今月でこの土地をもう離れてしまうから、きっともう二度と会えないなどと、今生の別れなどと、言う事はできなかった。
 ご高齢の夫婦だから、仮令三年、五年後にここに舞い戻ることがあったとしても、同じように経営できているかはかなり微妙な所だ。
 そのことを言おうと声帯から二センチ下ぐらいまで出掛かったが、結局やめてしまった。
 僕とおじいさんの関係は一年に満たない。たった五年ほどこの土地に住んできたという"言葉にならない何か"を背負わせるのは、あまりにも重い――というのが先に立った。
 僕が同じような職業だったとして、唐突にそんなことを言われたらどう思うだろうか。礼こそ言うだろうが内心「重い」と言うだろう。
 それこそ客商売なのだから一期一会は当たり前で、こうしてリピーターになっているパターンの方が珍しいのではないか、と思ったら、尚のこと口からは出なかった。

 去り際、おじいさんは「またお待ちしています」とは言わなかった。頻繁に利用するような場所じゃないんだからそりゃそうだ、と割り切ってしまえばそれまでだが。
 僕が店を後にしてもなお、おじいさんは入り口に立って、五十メートルほど歩いてもずっと見送っていてくれていた。ひょっとしたら暇だっただけかもしれないし、ご時世的に換気がしたかっただけかもしれない。
 どちらにせよ数ヶ月後、僕の去った土地で彼が僕を一瞬でも待とうとしないだろうか――という過剰な自意識だけが僕の後ろ髪を引いていた。
 僕は、こちらの背中に静かに視線を寄越しているおじいさんの表情を、最後まで見ることができなかった。
 僕はさよならを言葉にすべきだったのだろうか?
 答えはまだ、出ていない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?