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「持続可能性」について考える

昨今、注目されてきて久しい、SDGs(エスディージーズ)。
「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」としても
言葉が少しずつ定着してきた感のある、
「持続可能な」という言葉。

SDGsとは、持続可能な社会をつくるために世界各国が合意した17の目標と169のターゲットだということだが、

このコラムでは、持続可能な社会をつくるためには、まずは、「我々一人一人が持続可能な働き方・生き方」をしていることが土台なんじゃないだろうか、という仮説について考えてみたいと思うのだ。


この記事を書く私が何者なのか

「持続可能な働き方・生き方」について考察する前に、この記事を書く、私が何者なのか、と簡単な自己紹介を書いておくと、

私は会社を辞めて独立したのが、2014年だから、かれこれ6年弱ぐらいは、自分で何かしら事業を組み立て走ってきてしまった。法人化はしていて一応、会社の代表という肩書きはあれど、自身を「経営者」と呼んでいいものかどうかは、甚だ自信はなく、ただただ感覚のまま突っ走ってきてしまったというのが、自分を振り返っての思うところだ。

どんな人向けの記事か

まぁ、そんな風に失敗の連続で、失敗しかしていないような気もするが、2017年〜2018年ごろからようやく感覚だけではダメなのだ、と気づき、少しずつ仕組み化して曲がりなりにも「ビジネスの骨組み」みたいものが整い出してから世間を見渡すと、自分と同じ失敗をしそうな、とてつもなく危なっかしい起業者もたくさん遭遇する。自分と同じ過ちをして欲しくないなぁ、と思う一方で、私のような人間は、失敗して痛い目みないと懲りないwという、なかなかタチが悪いタイプなので、私がコラムとして書く記事は、そういった自分自身と似た、「感覚だけで動いてしまって、毎日が忙しい割りに前進している感じがしない人」「毎日がラットレースになっている人」という方には、思うところがあるんじゃないかと思う。

持続可能性について意識したきっかけ1

そもそも「持続可能な働き方」について考えるきっかけは、私自身が、何度も、「燃え尽き症候群」的にパタっと動けなくなる、ということを振り返れば20歳あたりから繰り返してきたから。

大学1〜2年生だった20歳の時は、「学生運営カフェ」ということで後に各局のワイドショーでも特集されたカフェの創設に奔走して、大学の授業はそっちのけで、コーヒー豆の選定から什器、食材の買い出し、空間デザインからポスター・看板制作まで、仲間たちと一心不乱で猪突猛進でやり切っていた。その時はそれ以外見えない。まっしぐら。グググっとアクセスを踏んでぎゅーぎゅー詰めになるぐらいに一つのことにのめり込んで、やりきる。

だけども、そのカフェがオープンしてしばらくしたら放心状態で抜け殻に。

その後、大学のゼミの活動でも、大会参加前は仲間たちと1週間くらい、大学に半ば泊まり込むぐらい夜通し準備をして睡眠2〜3時間。大会直後はもちろんぐったり。

会社員になっても、新人のときの仕事を覚えたい盛りの1〜2年目、日本の仕事を9時から17時くらいまでやり、その後、時差の関係で日本の17時ごろから始動するヨーロッパの子会社の仕事を23時までやる生活に。

社会人4年目で転職した会社でも、アメリカの子会社とのプロジェクトでアメリカ出張時には、アメリカ時間では現地のメンバーと仕事をし、日本時間でも日本のメンバーと電話会議でやりとりして睡眠2〜3時間で難易度の高い仕事を納期の短い中、なんとか完遂させる、など。

独立してから最初に入った「起業塾」というやつで、「とにかくブログを1日3投稿、Facebookは1日5投稿」というルールをこなすために吐くほどにSNSをやりまくってみたり。

朝苦手なのに、「朝会」的な異業種交流会をたくさん行きまくったり、主催しまくっていて、どうにもこうにも体が動かなくなってみたり。

・・・まぁ、こうして振り返って書いていても、当時を思い出すと、思い出すだけで血管が切れそうだな、と思う働き方をしてきた。

そういう働き方をしたことがダメだという訳ではないし、あの一つ一つの濃密な時間が今の私を形作ったとも言えるから、あの時間は必要だったのだろうけれども、どうしたっていつまでも二十歳の体力ではない訳で、35歳を超えた時に、「あ、無理だ。体を過信しすぎてたわ」という「働き方を変えないと」と猛烈に思ったことが一つ。

持続可能性について意識したきっかけ2

こういう「体に無理をしてでも一時的に何かに没頭するような働き方」から、直近でも2019年11月に体がガチゴチになって動かなくなる、という体験をした。発信をしようとSNSを見ようとも携帯がさわれない。PCももちろん無理。体を倒す、体を起こす、という動きさえも痛い訳で、少しマシな横になっている状態しかできず、整体に行くという出かけることもままならない状態になってしまい、いよいよお手上げである。

少しずつ回復したものの、本当に10日間くらいは体が思うように動かないものだから、色々と何かを「しなければならない」と思ってきたものをするのを諦めて、とにかく自分がしたいことをやろう、と思った時に何をしたかというと、もう、とにかく映画・ドラマを観まくったのである。もともと映画好きではあるので、週1ぐらいの頻度でNetflixで作品を観ていたけれども、そこまで映画に固執していた訳でもなかった。

だけれども、何もかも思うように体が動かず、やりたいことができない、という事態に追い込まれたときに、それまで「やらなければならない」という堤防によって抑えられていた、「本来の欲求」みたいな洪水のごとく溢れ出るような体験だった。「すべきこと」を外した時に初めて、「自分の本来の欲望」が表層してきたような、パンドラの箱を開けてしまったかのように、怒涛の如く、浴びるように、飢えた人が食事を貪るように、映像作品を吸収して貪っていたのだ。

それを体験した時に、本当の自分の欲望に蓋をしていて、「私はずっと、今の今まで、我慢して生きてきたのだ」ということを痛感したことがもう一つのきっかけ。自分はやりたいことを好きなようにやっていたように思ってきたが、実は、そんなことはなかった、と気がついた時は衝撃だった。

高いパフォーマンスを出す働き方とは

つまり何が言いたいかというと、「働くこと」「お金を稼ぐこと」だけに必死になって、自分の「根源的な欲望」を満たすことを忘れて生きていると、いつの間にかそれが鬱憤となり、あなたの活動やあなた自身を強制終了させてしまうよ、という警告を発したいのと、人生100年時代と言われる昨今、大事なことは、一時的な活躍ではなく、持続的に安定的に自分の望む働き方・生き方を見つけて行くことですよ、ということ。

そして、それが、結果的に、安定的に高いパフォーマンスを出し続ける働き方・生き方になる。

これは私の体感と活躍している人たちを見て思うことなのだが、どんなに愛している仕事だとしても、仕事という「アウトプット」だけをやり続ける、ということには限界があって、結果を短期で急ぐこと、稼ぎ続けること以上に、自分にとって大切なものへの時間、ーーそれは必ずしも私のような趣味の時間だけではなくて、家族との時間なども含めてーーを日々に組み込むことが大切だということ。「アウトプット」たる仕事の成果の質を高めることは、良質なインプットが必要で、それはどれだけ、仕事以外の時間を大切にしているか、ということと同義なのかもしれない、と感じている。

ちなみに、私の場合は、
・旦那とのご飯の時間
・映画を観る時間
は、絶対に必要で

最近ではさらに
・舞台観賞
・映画製作
・社交ダンス
といったアートな部分の時間を日常にいれるようにしていて、

振り返って見たら、仕事:仕事以外=2:8ぐらいの
時間配分でいる最近が、とても心地良くて
仕事の生産性も上がっていると感じるのだ。

この時間配分や仕事のルールは、試行錯誤中ではあるが、仕事以外の時間が仕事にもたらすインスピレーション、新たな角度からの新鮮なインプットが心地いい。

私もそうだった訳だが、日本人は特に、この概念が不足しているように思う。一般的に日本の労働者は働く時間ばかり長くて生産性が低いと統計でも出ているし、海外との違いで言えば、海外の先進国で働くかつての同僚たちは仕事の話を仕事後に持ち込まない。新橋の居酒屋のような「会社や上司の愚痴」で盛り上がるということはあまりなく、普段どんな音楽や映画を観ているか、とか哲学や心理学、文学の話など、もっとパーソナルなことを話す。なので、海外の人と仕事する時、英語力よりも「英語で話す話題がないこと」がコンプレックスだったのだが、今の私なら、10年前よりも楽しくリラックスしながらコミュニケーションして、しかも、相手からも「お、こいつ、面白いやつだな」と思ってもらえたかもしれない。

そこから見ても、「自分がどういう人間なのか」について、仕事以外でも話すネタがあるかどうか、というのは、国際人としても大切なことだ。

さらには、私は問答無用に体が動かなくなった訳だが、筋肉疲労だっただけで、これが大病という訳ではなかったのでよかったけれども、そういうことも引き起こしかねないぐらい、私は、自分の「好き」や「根源的なエネルギー源」に無意識のうちに蓋をしていた。

仕事以外のこと、お金を生み出さない時間をたくさん持つことに、どこかで罪悪感を抱いていた節がある。

「ちゃんとしなきゃ」長女気質はこんなところまで侵食していたか!

どうやって持続可能な働き方・生き方を手に入れる?

こうして書いてきたので、「持続可能な働き方・生き方」とは、根源的なエネルギー源」となりうるあなたの「好き」を大事にし、仕事というアウトプット以外の「一見無駄とも思えるようなこと」にも時間を使っていくことが、結果的に長く安定的に生きられるよ、ということをわかってもらえたのではないかと思う。

でも、今、ラットレースになっているあなたには、なかなかどうして、そういう生き方がしたいと思ってもできない!できていない!ということもあるだろう。

それについてはまた別にコラムを書くぐらいの分量がいるので別でも書くとするが、自分の業務・仕事は、とっとと仕組み化して自分じゃなきゃできないことを無くしていくべし、ということ。<ちなみに、私はこれが得意です。自分のことは時間がかかった分、人の仕組み化は得意。>

会社員であっても経営者であっても、もし、あなたが忙しすぎると感じるのであれば、「あなたでなければ出来ないこと」以外を「仕組み」仕切れていないことが課題なので、そこに徹底的にとこに向き合うことをおすすめする。「仕組み化」して「やらなくていいこと」を増やし、実際に「やらない」という流れが入れば、案外、時間などするっと作れるものだ。

では、今回はこの辺で。
どなたかの参考になれば♩







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