死後も恋人を待つ姉妹―能「松風」と須磨
私は歴史の場を訪ねるのが好きだ。
好きというよりそれが生業の一部だ。
そうした場では、がんばって想像力を掻き立ててみる。そして、当時の様子を思い浮かべる。
当時の人の心がまだそこに残っていると思うことがある。
といっても、別に「霊感が強い」とかではない。お墓や戦跡などでは誰でも怖いだろう。それと同じだ。
以前、虐殺や政治的弾圧がなされた場所を求めてアジアを歩いたことがある。(その時の旅日記) その時に思った。犠牲者は、自分の命を奪われることはもちろん怖い。同時に、家族や友人などの縁が断ち切られ、自分の存在が消し去られることに極限の苦痛を感じていた。
知覧の特攻隊を描いた「俺は君のためにこそ死にに行く」という映画の中で、明日突撃するという少年が「俺が死んだらみんなどうせ俺のことなど忘れてしまうのだろ」というセリフがある。自分の存在が忘れられることは怖いのである。
「能」はこの点を徹底的に見つめている。なぜなら能の大半は、幽霊が主人公(シテ)だ。肉体は死んでも霊魂は残る。幽霊となって、思いを生者に訴えるのだ。
須磨という地
私の地元である神戸の中でも須磨は多くの能の舞台となっている。
表現を変えれば多くの幽霊が出る地なのである。
私の高校は須磨にあった。JRでいつも明石海峡を見ながら通学した。
夏には太陽がまぶしく、ビーチには人があふれる明るい場所だ。
しかし、昔はそうではなかったらしい。
例えば源氏物語。光源氏が須磨に落ちてくる。その時「須磨は、昔でこそ人の住居などもあったが、今ではまったく人里から離れて物寂しく、漁師の家さえ稀」な地であった。
特に秋は物寂しかったらしい。「人は少なく、皆寝静まっている中で、(光源氏は)独り目を覚まし、枕を立てて四方の烈しい風の音を聞いた。すると、波がここまで寄せて来る感じがして、枕が浮くほど涙がこぼれた」とまで言っている。泣くほど寂しい土地だったのだ。
能「松風」
能の「松風」を見ると、その寂しさがさらに強調される。
主人公は二人の姉妹(松風、村雨)。彼女たちは、かつて都から流れてきた在原行平と仲睦まじくなった。行平が都に帰った後も、姉妹は帰りを待った。いったいどれほど待ったのだろう。ついには、命が尽きた。土の下に埋められ、上には墓標として松の木が立った。
それでも姉妹は行平を待った。儚い世の中を切なく思い、人目を忍び、塩汲みをして行平を待った。彼女たちが感じるのは、須磨の海に浮かぶ小さな漁船の影、須澄み渡る月、千鳥や雁、野分(秋の強い風)、汐風(海から来る風)だった。
松風は、行平の形見の装束を身に着ける。そして、狂ったように舞う。松を見ると行平が帰って来たと狂乱する。村雨が「前世での妄執をいまだに忘れていない」と姉を咎める。その村雨も、「待ってくれているならばまた来る」という行平の歌を思い出し、姉と共に待つ。
能「松風」にゆかりのある場所
須磨には松風・村雨にゆかりのある場所がいくつかある。新しくできたJR須磨海浜公園駅は松風町と村雨町の間にある。行平町もある。行平の住居跡に松風・村雨が住んだという庵の跡には観音堂が立ち、「松風・村雨堂」と名付けられている。
松風と村雨は、須磨海岸から少し山に入った多井畑の村長の娘だった。多井畑厄神の近くに墓がある。松風と村雨という名は行平が付けたが、この風流な名前には似つかわしくない小さなお墓である。本名の「もしほ」「こふじ」という名こそ、この墓の主人に相応しい。
彼女たちは、今も夜に幽霊として表れて、行平を待っているのだろうか。おそらく、もう待っていないだろう。なぜなら能「松風」が、彼女たちの存在と、行平を恋焦がれる気持ちを、後世の私たちにも伝えたから。彼女たちは、私たちに覚えられることによって成仏したと思う。そのように考えると、能の凄みが実感できる。能は歴史書であると同時に供養の役目も果たしている。死者を覚え続けることは供養に他ならない。
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