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初夏の高砂神社を訪ねて、自分なりに「高砂や~」を考えた

5月末、神戸の実家のお墓詣りの後、車で30分ほどのところにある高砂神社に行ってきた。

高砂神社の表門。向かって右側に数台置ける駐車場がある。

高砂神社には、2年前、妻と初めて参拝した。そしてその晩、妻の体調が悪くなり、かなり大きい手術をした。この病気は以前から分かっており、「いつかは手術しなければならない」と医者に言われていた。そのため、年に2回ほど検診を受けていたのだが、予想外に突然具合が悪くなった。有難いことに、今はすっかり元気になっている。

体調が悪くなってから入院、手術、退院、そして体調が元に戻るまで、それなりに長かった。この間、妻より私のほうがオロオロしていた。しかし、今振り返ると、体調が悪くなる直前、わざわざ高砂の神様が呼んでくれて、励ましてくれたのかな、と思うようになった。手術や療養中はずっと見守ってくれていた感じがしたからだ。今回参拝したのはその感謝のためだ。

高砂神社といえば謡曲「高砂」。 おじいさん(尉)とおばあさん(姥)が神様として現れる。この二神は、夫婦和合・偕老長寿の象徴としてあまりにも有名だ。境内を歩くと、大きな松がたくさん生えている。松は常緑のめでたい木である。

神社の前には大きな工場が立ち並ぶので、境内から海は見えない。しかし、かつては、この神社は瀬戸内海に面しており、行き交う船から、高砂神社と砂浜の海岸、そして松の群れを眺めることができたのだと思う。

能「高砂」では、九州からやってきた阿蘇の宮の神主友成が、京都を訪ねる途中で高砂の地に立ち寄る。そこで尉姥二神と出会う。おじいさんは大阪住吉の神様、おばあさんはここ高砂の神様だ。

案内板には「ご神木いぶき:謡曲「高砂」の登場人物阿蘇の宮神主友成(ワキ)が曳きし杖より生まれ発芽せしものと伝える 槙柏であり枝葉は悉く神殿にっている」と書いている。 

いくつか言葉を交わした後、おじいさんは住吉の神だと名乗り、先に行って待つと去った。友成は高砂から船に乗り、明石海峡を抜けて大阪に向かう。その時に、あまりにも有名な「高砂や〜」を吟じる。

高砂や
この浦舟に帆を上げて 
月もろともに出で潮の (※結婚式では「入り潮」)
波の淡路の島影や
遠く鳴尾の沖過ぎて
はや住吉(すみのえ)に着きにけり

三代目相生の松の霊木が収められている。
「その根は一つで雌雄の幹左右に分かれていたので、見る者、神木霊松などと称えていたところ、ある日、尉姥二神が現われ「我は今より神霊をこの木に宿し、世に夫婦の道を示さん」と告げられました。これより人は相生の霊松と呼び」・・(高砂神社ウェブサイトより)

この「高砂や〜」を謳い、高砂人形を準備する結婚式はもう見られないと思う。それでも、春霞がかかった穏やかな光に包まれる瀬戸内海の風景が目に浮かぶ。私もこの明るい瀬戸内海と、向こうに浮かぶ淡路島を見て育った。尉姥二神の「高砂の、松の春風吹き暮れて、尾上の鐘もひびくなり 波は霞の磯隠れ 音こそ潮の満ち干なれ」から始まる言葉からは、さらに光だけではなく風も感じられそうだ。

能「高砂」に関するいくつかの論文を読むと、世阿弥の意図に関する様々な解釈が論じられている。しかし私にとっては、やはり好奇心豊かに旅をする友成が好きだし、尉姥二神が松の精で、ともに生きる「相生」であり、ともに老いる「相老」であることに人間の生き方のメッセージが込められていると感じる。「おまえ百までわしゃ九十九まで共に白髪の生えるまで」の通り、いつかは寿命が尽きるけど、いざ、自分たちがその時を迎える際には、「高砂や~」に謳われている穏やかな光と風に包まれたいと思った。

手術で「死」を意識させられたから、こんなことを考えたのだろう。

まだ私たち夫婦は若いと思っているので、まだまだ友成のように好奇心を持って人生という旅をしたい。その道中で神様に会えるとは思えないが、長い人生を経てきた老人の笑顔に接して、様々なことを教えてもらおう。高砂の神様、辛い時に支えてくれてありがとう。

朝霧からの明石海峡。向こうが淡路島。昔、ここを友成が「高砂や~」と吟じながら
大阪湾へと船を漕いでいったのかな、と想像。

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