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浅木原忍「解説」

Photo : Alexas / Pixabay

    解説

安田広也     

     ◆

 三柳晶、最後の新刊――その惹句に惹かれて本書を手にした貴方は今、いったいどのような顔をしてこのページを読んでいるだろうか。おそらく、表紙に記された作者名を確かめ、信じられない思いでこの解説を読みにきたところではないかと推測する。あるいは最後まで読み終えて、途方に暮れたような心もちでこの解説に辿り着いたのかもしれない。
 だが、間違いなく保証しよう。本書は紛れもなく「あの」三柳晶の作品だ。没後、その仕事用PCの中から発見された、未発表原稿――正確には、商業媒体における未発表原稿こそが本書である。
 確かに、本書の内容はおよそ、三柳晶という作家の普段の作風、そのイメージからは、あまりにも大きくかけ離れている。だがその文体には、紛れもなく三柳晶の刻印が刻まれていることが感じ取れるはずだ。
 そして本書こそ、覆面作家、三柳晶とは何者だったのか。そして、三柳はなぜキャリアの絶頂において突然、自らその命を絶ったのか――。平成から令和の文学史における、その最大の謎を解き明かす鍵なのだ。

 これほどの人気作家でありながら、三柳晶の経歴は現在に至るまで謎に包まれている。二〇〇五年、立夏ミステリー大賞を全選考委員の満場一致で受賞した『オブザーバーの銃弾』で華々しくデビューした三柳晶はしかし、デビュー当初から一切の顔出しをせず、性別も経歴も不詳の覆面作家であった。
 SNS以前にネット社会の匿名の正義の暴走に対して警鐘を鳴らしたこのデビュー作から、三柳晶は寡作ながらも常に時代と社会に対する明敏な先見性を作品に盛りこんできた。ワーキングプア問題を描いた犯罪小説であり、刊行直後に小説をなぞったかのような通り魔事件が起きてワイドショーや週刊誌を賑わし、直木賞と日本推理作家協会賞をダブル受賞した二〇〇八年の第二作『ナイフ』。致死性は低いが感染性の極めて高い感染症の蔓延した社会を描き、後に「コロナ禍を予見した」と大ベストセラーになった二〇一九年の『アガルタ』に至るまで、著作はわずか五冊ながら、その全てが単行本と文庫を合わせて百万部を超え、海外でも日本社会に鋭く切り込んだサスペンスとして極めて高い評価を得ている。
 『ナイフ』や『アガルタ』を巡る一連の騒動の最中であってすらメディアへの顔出しを拒み、文学賞の授賞式にも一切顔を出さず、そのプロフィールは徹底して秘匿された。そのため、その正体についてはさまざまな憶測を呼んだが、そんな三柳晶の唯一の窓口になっていたのが、デビュー作からの担当編集者である立夏書房の安田広也――つまり私である。三柳晶の数少ないインタビュー記事は、全て立夏書房の文芸誌「小説立夏」に、私をインタビュアーとして掲載されたものだ。
 故に私は、作家「三柳晶」の素顔を知る、数少ない人間のひとりである。

 ここで私自身について、少し語ることを許していただきたい。私は大学卒業後、都内のある出版社に就職した。そして私がそこで配属されたのは、成人向け漫画とギャンブル専門誌を柱とした社内カンパニーで、その成人向け漫画の編集部に配属された。
 もともと文芸編集者志望だった私は、成人向け漫画の編集作業に神経を病み、休職を経て現在の立夏書房に転職を果たし、念願の文芸編集部入りを果たした。そうして最初に担当となった作家が三柳さんである。
 その立場から、まず三柳晶――三柳さんについてのあらゆる誤解を解いておきたい。三柳さんのプロフィールには、本来覆面作家として隠すべきことなど何もなかった。ベテラン作家の別名義でもなければ、高い社会的地位のある人物でもない。
 三柳さんはただただ、含羞の人だった。覆面作家であったのはただ、自分には他人様に誇れる見た目も経歴もない、という氏の羞恥心によるものだった。デビュー時、氏と話し合って覆面作家として売り出すことを決めたのは私だが――『ナイフ』が週刊誌やワイドショーを賑わせたときも、直木賞を受賞した際も、私は氏に覆面を脱ぐことを強く勧めた。
 それでも三柳さんは首を縦には振らなかった。「読者を失望させることが怖い」――三柳さんは常々、「作家は小説を生産する機械でいい」と語っていた。「作家には名前だけがあればいい。読者にとってその名前が信頼に値するブランドでありさえすればいい」と。
 三柳さんはそういう意味で、非常にストイックな作家であった。寡作ではあったが、その寡作ぶりもまた「三柳晶」というブランドに求められる品質の一端として、作品を淡々と生産しているような節があった。実際、三柳さんは書き終えて本になった作品に対しては愛着が薄かったようで、私が過去作品の話題を振っても、デビュー作など筋も覚えていないのではないか、というほどだった。
 もちろん、そうして発表されてきた三柳晶の作品、その全てが内外に高い評価を得ているのはご存じの通りである。三柳晶という作家は紛れもない天才であった。確固たる自分の文体を持ち、登場人物の心理の襞に深く分け入る描写力を持ち、社会に鋭く切り込む批評眼を持ち、それをミステリーとして破綻なくまとめ、本格ミステリ的なサプライズすら作品の主題と分かちがたく成立させる小説技巧を持っていた。
 担当編集者として三柳作品を最初に読む栄誉に浴しながら、しかし私は日々の三柳さんとのやりとりで、常々違和感を覚えていたのだ。この人が本当に書きたいのは、もっと別の小説なのではないか、と。
 ミステリーの新人賞でデビューしたために、これまでの三柳作品は全て広義のミステリーの範疇に入るものであった。しかし、それは編集部からも読者からもミステリーを求められているが故でしかないのではないか。
 だから私は『アガルタ』の後、次回作の打ち合わせで三柳さんに提案したのだ。一度、三柳さんが本当に書きたいものを書いてみませんか、と。既に「三柳晶」のブランドはミステリーを離れても充分に通用するはずです、と。
 三柳さんは不安げな表情で、「いいんでしょうか」と私に問うた。「今までと違うものを書いたら、読者は裏切られたと思うんじゃないでしょうか」と。私は「三柳作品の読者として、三柳さんが本当に書きたい小説を読みたいです」と自信を持って答えた。
 三柳さんは「……きっと安田さんを失望させると思います」と謙遜し続けていたが、私はそんな氏を説き伏せて、本当に書きたい小説を書いてくれるよう約束を取り付けたのだった。

 ――そう言ったことを私は今、限りなく強く後悔している。
 私はあんなことを三柳さんに言うべきではなかった。
 三柳さんが自ら命を絶ったのは、おそらく、私のその発言のせいであったのだから。

 三柳さんとのその打ち合わせのあと、コロナ禍が始まり、私も三柳さんと会う機会はほぼなくなり、メールで近況を伺うだけになった。メールのやりとりの中で、三柳さんが「久しぶりに、小説を書くことを心から楽しんでいます」と書いていたことが強く印象に残っている。三柳さんが全力を投じ、楽しんで書いている新作の完成を待ちながら、二年経ち、三年が経ち――。
 私の元に届いたのは、三柳さんが自ら命を絶ったという、氏のご家族からの連絡だった。

 その一報が入ったときの私の感情は、筆舌に尽くしがたい。なぜ。『アガルタ』がコロナ禍を予見したとして増刷に増刷を重ね、三柳晶の名はこれまで以上に高まっていた、その矢先のことだ。なぜ、なぜ作家としてのキャリアのまさに絶頂期に、三柳さんが自ら命を絶たねばならないのだ。
 新作に行き詰まったのか。いや、三柳晶の本気の新作であれば、私を含めた読者は五年でも十年でも待つだろう。それに三柳さんは、その新作を書くことを楽しんでいたはずだ。それならばなぜ――。
 私は三柳さんのマンションへと駆けつけた。三柳さんと会うのはいつも都内の喫茶店で、氏の自宅を訪れるのはこれが初めてだった。
 三柳さんは大学卒業後、ずっと同じ部屋で一人暮らしを続けていたという。憔悴した三柳さんのご両親と対面するのも、これが初めてのことだった。
 そうして足を踏み入れた三柳さんの自宅兼仕事場は、机と一台のパソコン以外、ほとんど何も残されていなかった。自分の生活の痕跡をほぼ全て処分した上での、覚悟の自殺であったことは間違いなかった。
 私は唯一残されたパソコンを起動した。パソコン内のデータも、ほとんど全てが消去されていた。三柳さんが楽しんで書いていたはずの新作のデータすらも。
 ただひとつ――インターネットブラウザを立ち上げると、ブックマークにひとつだけ、残されていたページがあった。
 それは、ウェブ小説投稿サイトのマイページだった。マイページに自動でログインされているということは、三柳さんがそのサイトのアカウントを持っていたということだ。
 三柳さんがウェブ小説を投稿していた? 全くの初耳であった。担当である私に相談もなく、趣味で? いや、あの「三柳晶」がウェブ小説を投稿すれば、必ずどこかで話題になっていたはずだ。ということは別名義で? あるいは、デビュー前に投稿していたアカウントの名残なのか?
 いずれにしても、そこに作品が残っているならば、それは私の知らない三柳作品である可能性が高い。
 世界的ベストセラー作家・三柳晶が、別名義でこっそり投稿していたウェブ小説――。しかもそれが突然の死によって遺された商業未発表作であるとすれば、話題性は充分すぎる。必ずや大ベストセラーになることは間違いない。
 そんな編集者としての計算も脳裏をかすめたが、何より三柳作品の読者として、その未読の作品を読みたいという一心で、私はおそるおそる、そのマイページから投稿履歴のページを開いた。

 そう、本書はその投稿サイトに掲載されていた作品の書籍化である。投稿履歴は二〇二〇年五月から二〇二二年十二月。紛れもなく、あの『アガルタ』後に三柳晶が手掛けた完全新作。私の「本当に書きたい小説を」という求めに応じて書かれた小説だ。
 本書の本文を何ページかでも読まれた方であれば、「そんな馬鹿な」と言うだろう。私自身がそう思った。これは何かの間違いだと。だが、デビュー作からずっと三柳さんの作品を読み続けてきた私には解る。この作品は紛れもなく三柳晶の文体で書かれた、三柳晶
の小説であると。
 それでも信じられなかった。いや、信じたくなかったのだろう。私自身の理性が、常識が、あるいは偏見が――。

 世界的な名声を極めた天才作家が、本当に書きたかった小説が――などと。
 そしてそれが、そのウェブ小説投稿サイトにおいて、ということを。

 天才作家・三柳晶が自ら命を絶ったのは。
 自分には、本当に書きたかった小説――だったのだということを。

     ◆

 本書『貞操逆転異世界で絶倫ハーレムライフ~獣耳少女もエルフもサキュバスも全員俺の嫁~』は、三柳晶が「凪瑛三矢」名義で禁ウェブ小説投稿サイト「クレセントナイトノベルス」に投稿した小説であり、世界的ベストセラー作家・三柳晶の遺作である。

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