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日本推理作家協会賞受賞によせて:櫻田智也

『蟬かえる』が協会賞候補にあがってすぐ、選考日の休みを申請した。
以前「火事と標本」と「コマチグモ」で短編部門の候補になったときは、最初から受賞はないとあきらめていて、ふだんどおり出勤した。なにしろ書いた本人なので、どちらも大きな弱点があるということはわかっていた。ぼくは土台マイナス思考なのである。

だが今回は、そういう態度からあらためてみようと思った。たまには背筋を伸ばし、ドンとかまえて結果を待ってやろうじゃないか。あまりに猫背では、幸運だってとっかかりがないだろう。
それに、職場でなかなか電話がとれず事務局のかたに迷惑をかけるのもイヤだったし、会社の駐車場の隅からコソコソ落選の報を編集者に入れるのも、もうたくさんだった(結局マイナス思考だ)。

しかし選考当日になってみると、ドンとかまえるどころか、これまで以上に緊張している自分に気づいた。
選考開始の午後3時になると息苦しさが起きた。これはイカン、なにかしていなければ落ちつかない……とtwitterを開いたら、協会のアカウントが選考会場の写真を公開していて、動悸がはげしくなった。

もちまえのマイナス思考が首をもたげてきた。
ぼくはテキストエディタを立ちあげて文章を書きはじめた。

午後4時半頃だったろうか、携帯電話が鳴った。女性と思しき朗らかな声。
以前、協会賞の受賞者が「事務局のかたの声が暗かったので落ちたと思ったら受賞していた」といったようなことを書いていた記憶があった。それとは真逆の印象に落選を確信した直後、事務局のかたがいった。「京極さんにかわります」

新本格が新本格だった時代のミステリ読者にとって、京極夏彦は伝説上の生き物である。
石化の一歩手前までいったぼくは、なにをいわれても「ありがとうございます」を繰り返すことしかできなかった。
ときおり京極さんは、ほかの言葉を待つように間をとってくれた(ように思う)。でもぼくは、ただただバカみたいに「ありがとうございます」をいいつづけた。

電話を切って放心ののち、ぼくはPCの画面をみて、選考中に書きはじめ、何度も書きなおした文章を眺めた。
それはtwitterにあげるつもりで書いていた<落選時のコメント>だった。
削除しようと思って思いなおし、それはそれでとっておくことにした。記念と思えば、思えないこともない。

スペーサー

櫻田智也(さくらだ・ともや)
一九七七年北海道生まれ。埼玉大学大学院修士課程修了。二〇一三年「サーチライトと誘蛾灯」で第十回ミステリーズ!新人賞を受賞。著書に受賞作を含む短編集『サーチライトと誘蛾灯』(東京創元社)。「火事と標本」が二〇一八年第七十一回日本推理作家協会賞短編部門候補に選ばれる。近作は二〇二〇年刊行、『蝉かえる』(東京創元社)。
そのほかの作品に『ベスト本格ミステリ 2015』(講談社ノベルス)所収の「緑の女」。「ミステリーズ!」(東京創元社)Vol.69に「追憶の轍」。

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