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『オリエント急行殺人事件』をもっと楽しもう(前編)

※ 2018年5月12日、紀伊國屋書店札幌本店にて北海道情報大学公開セミナー『ミステリー×映画』がおこなわれました。当日は諸岡卓真氏、大森滋樹氏、谷口文威氏に加え、松本寛大が登壇しました。
 この記事は松本寛大の講演「『オリエント急行殺人事件』をもっと楽しもう」採録をもとに時間の関係で割愛した講演原稿の内容を追加し、あらためてまとめたものです。
(全2回。次回は12月10日(火)更新予定)

◆ 1 ミステリー映画の難しさについて

『オリエント急行殺人事件』という映画の話をさせていただく前にちょっとおうかがいしたいのですが、会場に、この作品の犯人を知らないというかた、いらっしゃいますか。もしおられればお帰りの際に、ぜひ原作をお買い求めください。
 原作はアガサ・クリスティー。映画は1974年の作品で、監督はシドニー・ルメット。有名な作品ですが、読了済みのかたもそうでないかたも楽しめるように、きょうは、できる限りネタバレのないように話したいと思っています。前半は映画の見どころを。後半はストーリーを追うだけではわからない部分を読み解いたり、クリスティーの小説作品の秘密に迫っていきたいと思います。

 さて、ひとくちにミステリーといっても、さまざまなタイプの作品があります。
 犯罪に巻き込まれた主人公を描くもの、刑事や探偵が主人公のもの、犯罪者が主人公のものもあります。
 その中でも、本格ミステリーと呼ばれるタイプの作品があります。
定義づけは難しいのですが、ここでは謎解きを興味の中心とするミステリーということにして話を進めます。実はこれは、監督の手腕が問われる、映画化の難しいジャンルです。
 いったいどういう点で難しいのか、映画『オリエント急行殺人事件』の原作小説『オリエント急行の殺人』(1934)の、物語の構造を見てみましょう。
(早川書房の文庫版では「ポアロ」、映画版は「ポワロ」と書くべきですが、煩雑なので、この文章では「ポアロ」に統一します)

 第一部 13~94ページ(旧文庫版のページ数)
 名探偵ポアロは中東からロンドンへ向かう長距離列車、オリエント急行に乗り込む。ところが、雪のためストップしてしまった列車内で殺人事件が発生。ポアロが調査を依頼される。
 第二部 97~237ページ
 ポアロは乗客ひとりひとりに事情聴取する。
 第三部 241~324ページ
 ポアロは事件を整理。あらためて何人かの乗客を呼び、事情聴取。最後に全員を集めて、謎解きをする。

 以上のように、物語の冒頭で殺人事件が起こったのち、名探偵がひとりひとりに聞き取り調査をおこない、事件を推理して解決というのが本作の構造です。舞台は雪で立ち往生したオリエント急行の車内に終始しています。
 つまり、ほとんどが会話シーンで、動きがありません。
 この原作をそのまま映画化すると、最初の二〇分目に事件が起きた後は、ずっと入れ替わり立ち替わりポアロのもとに乗客がやってきて話しているだけ、という作品になります。

『オリエント急行の殺人』に限らず、名探偵が事件を解決するタイプの古典的なミステリー小説は、どうしても会話シーン、それも事件を検証する事情聴取や推理の場面が長くなります。こういうタイプの小説の映画化は、観客が飽きないように作劇することが難しいのですね。

 ハリウッドでは、映画学校でシナリオの基本構造を教えます。少し映画制作の事情に詳しいかたなら、シド・フィールドやロバート・マッキーといったシナリオライティングの講師の名前を聞いたことがあるかもしれません。
 現在のハリウッド映画では主人公が劇中の主題となる事件に立ち向かい、これを解決することで成長するという構成が基本になっています。大きな事件が特に起こらなかったり、主人公がこれといった行動を起こさない映画は(登場人物の内面が静かに語られるタイプの映画などです)、アーティスティックなものが受け入れられやすい市場ならともかく、少なくともアメリカの娯楽映画としては制作費を回収できるほどのヒットはしないと見なされます。近年は特にそうです。
 たとえば『トイ・ストーリー』などのピクサーの映画は、極めて基本に忠実に作られていますね。

 宗教学者の島田裕巳は「通過儀礼」という、人間の成長に関する宗教儀式についての概念を用いて映画を解釈しました。たとえば『ローマの休日』は、若く未熟なヘップバーンが一日だけの冒険を通して王女らしい存在へと変化・成長するといった具合です。
 島田裕巳によると、ハリウッド映画がこうした構造をもち、それが観客に喜ばれるのは、アメリカという国の成り立ちや文化と深く関わっているそうです。
 アメリカはヨーロッパに比較すると歴史が浅い国です。ですから、彼らにとって「世界」というものは「昔からそこにあった」ものではなく、人間が神のもとで努力を積み重ねて作り、維持していくものなのですね。人間の努力の姿を描いたハリウッド映画は、一種のアメリカの道徳の規範として受け入れられやすい素地がある。そういうことのようです。

 話を戻しますが、では、ミステリーの場合はどうか。名探偵の活躍を描く冒険ストーリーですと、映画らしいドラマチックな展開を描きやすいのです。しかし、「どうやって犯人はこの不可能に見える殺人を成し遂げたのか」といった、謎そのものに物語の興味の中心があるタイプは、どうしても映像で見たときに地味で理屈っぽいものになってしまうんですね。ここに難しさがあります。

◆ 2 名作ミステリー映画はどうやって困難を解決したか

 アガサ・クリスティーの小説を原作とする映画のなかで、古典として評価が定まっているものといえば、まず、以下の三本の名が真っ先にあがるでしょう。

『そして誰もいなくなった』ルネ・クレール監督(1945)
『情婦』ビリー・ワイルダー監督(1957)
『オリエント急行殺人事件』シドニー・ルメット監督(1974)

 どの作品も映画史に残る名監督の手によるものです。

 ルネ・クレールは『自由を我等に』『幽霊西へ行く』などで知られる、喜劇を得意としたフランスの映画監督。『そして誰もいなくなった』も、随所にユーモアが見られます。いま見るといくぶん古典的な作品ですが、名作なのは間違いありません。
 ビリー・ワイルダーは説明不要かもしれません。フィルム・ノワールからコメディまで、幅広い作風で知られる監督です。『深夜の告白』『失われた週末』『サンセット大通り』や、『麗しのサブリナ』『七年目の浮気』『お熱いのがお好き』『アパートの鍵貸します』など、名作も多数。アカデミー賞を何度も受賞していますし、その作品は、かつてはよく名画座でリバイバル上映されていましたから、見たかたも多いでしょう。
『情婦』はマレーネ・ディートリッヒ主演。クリスティー原作ということを抜きにしても傑作として名高い作品なので、未見のかたはぜひご覧ください。

 さきほど、謎解きを中心としたミステリーは映像化が難しいと申し上げました。では、いまあげたクリスティー原作の名画は、その問題をどうやってクリアーしたのでしょう。
『そして誰もいなくなった』は、島に集まった人々のあいだで、次から次へと殺人事件が起こるという作品です。ルネ・クレール版の映画は97分。ですから、長々とした事情聴取のシーンもありませんし、名探偵がああでもないこうでもないと推理を構築するシーンもありません。物語は非常にテンポよく進んでいきます。
『そして誰もいなくなった』が何度も映画化されているのは、原作の完成度や知名度もさることながら、この、「次はどうなるのだろう(次は誰が殺されるのだろう)」という興味の持続で物語を引っ張ることができるテンポの良さにあるでしょう。

 ただし、これはルネ・クレールのように優れた監督だから成功したという側面も大きいです。ほかの監督の撮った『そして誰もいなくなった』は、残念ながらうまくいっていない例も見られるので。
「展開が地味」というのは、映画を宣伝する側にとっても難しい問題です。一昔前の日本では、なんとか観客が劇場に足を運ぶようにと、無理矢理にでも派手な映画であるかのように見せかけていたものです。1981年に日本で公開された『そして誰もいなくなった』(アメリカでは1977年に公開)のポスターなどは、いま見ると原作とも、映画の内容ともかけ離れていますね。

(注・会場では、松本が持参した懐かしいクリスティー映画のパンフレットを紹介し、当時の派手な宣伝文句などについて話しました。この記事では画像を掲載しませんので、ご自身で検索してみてください。
「1981 そして誰もいなくなった チラシ」
 などのキーワードで画像を検索すると、真っ赤な空を行くヘリコプターの写真と「ペルシャ王朝の呪いか」という派手なキャッチコピーという、原作のイメージと大きく異なるチラシを見ることができると思います)

 また、原作を読了済みで、トリックや犯人を知っている観客に対してどうアピールするかというのも難しい問題です。映画ならではの別のオチを用意するというのもよく使われる手ですが、うまくいくとは限りません。
 実は、ルネ・クレール版も、原作とは異なったオチが用意されています。詳細には言いませんので、ぜひ映画を観て確かめてみてください。
 もっとも、『そして誰もいなくなった』にはクリスティー自身が書いた戯曲版があり、ルネ・クレール版はこのオチを採用しているのですが。

 戯曲は、基本的に会話劇です。ミステリー小説は、映画よりも舞台のほうが相性がいいのかもしれませんね。クリスティーはいくつも戯曲を書いていますし、また、ミステリー映画の傑作と呼ばれるもののなかに、もともと舞台劇だったものは少なくありません。
 ビリー・ワイルダーの『情婦』は、クリスティーの戯曲『検察側の証人』が原作です。これは法廷劇なんですね。英米の裁判は陪審制です。民間人が陪審員として評議を行う。ですから、当時の舞台の観客は現在のわたしたちが想像するよりずっと、作品に対してリアリティを感じていたのではないかと思います。目の前で繰り広げられる法廷劇に参加し、事件の推移を見守るというハラハラドキドキが味わえるわけですから。

 以下はちょっとした余談です。
 戯曲が原作のミステリで有名なものは、たとえばみなさんご存じの刑事コロンボ。正確には、プロトタイプ的なテレビ版が最初にあり、それを舞台劇に仕立てたのち、舞台のヒットを受けておなじみの刑事コロンボが生まれています。コロンボが成功したのは、犯人との一対一の対決を描くドラマにすることで、説明の退屈さをまぬがれたところでしょう。
 ほかに有名なものではオードリー・ヘップバーンの『暗くなるまで待って』。ヘップバーンの役どころは盲目の女性です。彼女の夫が、ヘロインの入った人形をそれと知らず自宅に持ち込むのですが、そこへ、ヘロインを奪い返すために犯罪組織の人間がやってくるという物語です。限定された舞台、限られた登場人物というのがポイントです。
 さらに登場人物を限った例では、たとえば『探偵〈スルース〉』。登場人物はわずか二人です。戯曲も、映画の脚本もアンソニー・シェーファーという人が書いています。クリスティー原作映画、『ナイル殺人事件』『地中海殺人事件』『死海殺人事件』も手がけていますし、傑作ホラー『ウィッカーマン』、ヒッチコックの『フレンジー』もこの人。弟との合作で小説『衣装戸棚の女』も書いていますが、これもなかなか味わい深い作品です。弟は『アマデウス』の脚本家ですよ。
 残念ながらDVDが未発売でおすすめしづらいのですが、『探偵〈スルース〉』は歴史に残る傑作だと思います。VHSビデオをどこかで探すか衛星放送などで放映されたさいにごらんください。そういえば島田荘司先生も強く影響を受けたそうですよ。『斜め屋敷の犯罪』に出てくる人形は、この『探偵〈スルース〉』に出てくる人形がモデルだったと記憶しています。

◆ 3 特別な映画『オリエント急行殺人事件』

 さて、1974年のシドニー・ルメット監督作品『オリエント急行殺人事件』です。
 この映画を語る前に、当時の映画業界についてちょっと予備知識的な話をさせてください。
 映画産業は戦後から60年代にかけて、テレビの普及をきっかけに長い低迷期に入ります。1950年から1970年までの二十年間に、アメリカの映画館入場者数は四分の一以下になったというデータもあります。
 ハリウッドの映画会社が斜陽になると、かわってニューヨークの中小の映画会社が作る低予算映画が存在感を示すようになります。彼らはニューヨーク派と呼ばれました。
 シドニー・ルメットはそのニューヨーク派のひとりで、社会派ドラマの作り手として知られる人物です。俳優出身で、もともとはテレビの演出家。そこにはハリウッド映画とは異なるドキュメンタリーチックなリアル感がありました。
 ルメットの作品ではなんといっても『十二人の怒れる男』が有名でしょう。これはもともとはテレビ用の短編映画で、密室劇。
 ルメットはほかに『セルピコ』『狼たちの午後』『評決』といった社会派ドラマ、『ローズマリーの赤ちゃん』の原作者アイラ・レヴィンの戯曲をもとにした『デストラップ・死の罠』でも知られています。

『オリエント急行殺人事件』が作られた70年代前半というのは、ルメットのようにテレビで腕を磨いた監督たちや、B級映画の下積み出身監督の作品が目立つ時代です。ベトナム戦争を背景にして、アメリカン・ニューシネマの潮流が映画界を大きく動かしていました。
 また、比較的低予算の、作家性の強い映画の流れがある一方で、従来型の大作映画も現代的なアプローチを仕掛けていました。
 たとえばパニック映画です。
 70年に『大空港』。空港を舞台に、複数の登場人物のドラマが平行して描かれる映画です。大勢の俳優の名演技が観られる娯楽映画で、アメリカン・ニューシネマを敬遠していた観客層に受け入れられました。
 72年に『ポセイドン・アドベンチャー』、74年に『タワーリング・インフェルノ』『大地震』『エアポート'75』など。『大空港』がやや時代がかった上品な作風なのに対し、『ポセイドン・アドベンチャー』が新時代の流れをとらえているのが見比べていただければわかると思います。70年代はじめというのは様々な意味で映画産業が大きく変化していた時期です。

『オリエント急行殺人事件』はこうした時代背景のもとに作られた結果、いくつか面白い特徴が見られます。
 監督はすでに説明したとおり、テレビ出身の、リアリズムを重んじる社会派ドラマの作り手であるシドニー・ルメットです。『オリエント急行殺人事件』の冒頭では、劇中の殺人事件の発端となる、過去のある事件が語られます。事件の映像と新聞記事を組み合わせた、画面効果の面白さとテンポの良さは、シドニー・ルメットならではでしょう。
 しかし、冒頭部分が終わってポアロが登場すると、アガサ・クリスティーの世界が広がります。豪華さ、上品さが信条。ノスタルジーを駆り立てる舞台装置。「軽い」のではなく、「軽やか」な映画。そして、主役級の俳優がせいぞろいした豪華なキャスティング。
 この映画の特徴は、なんといってもオールスターキャストというにふさわしい豪華な俳優陣で観客を惹きつけたことにあります。

 本作は、シドニー・ルメットのそれまでのキャリアの中では、実は異色作です。
 リアリズム重視のルメットによる、おとぎ話的なオールスターキャストドラマ。
 この不思議な化学反応が、本格ミステリーの映画化という難問を見事に克服しました。結果、『オリエント急行殺人事件』は、しゃれた娯楽作品として大評判をとったのです。当時、イギリスの出資した映画ではもっとも成功した作品と言われました。

◆ 4 『オリエント急行殺人事件』の、スターの魅力

 出演陣は演技派の渋い役者やイギリスの名優が多いために、いま現在の日本ではもしかしたら知名度がいまひとつかもしれませんが、端役に至るまで主役級の役者がそろっています。
 これが最大の売りです。当時の日本版のパンフレットでは解説を小森和子さんが書かれています。小森のおばちゃまですね。ゴシップを含めてスターの魅力を存分に語っています。何よりもこれはスター映画なのです。
 この映画のすこしあとに日本で角川映画『犬神家の一族』が制作されたのですが、これも当時の日本映画では破格のオールスター映画でしたね。角川春樹は『オリエント急行殺人事件』を意識したそうですよ。

 名探偵ポアロを演じるのはアルバート・フィニー。ギャラの関係ともスケジュールの関係とも言われていますが、その後に作られたクリスティー原作の映画で再び彼がポアロを演じることはありませんでした。
 悪人の億万長者を演じるのはリチャード・ウィドマーク。ギャング映画などで人気だった俳優です。手塚治虫のマンガにスカンクという悪役キャラクターが登場しますが、これはリチャード・ウィドマークがモデルです。
 その億万長者の秘書は、『サイコ』であまりにも有名なアンソニー・パーキンス。原作ではまったくそんな設定はないのですが、『オリエント急行殺人事件』では精神的に不安定という要素がなぜか付け加えられているのはご愛敬。
 それから説明不要、ジェームズ・ボンド役で一世を風靡したショーン・コネリー。
 ローレン・バコールも出ていますね。40年代、50年代のハリウッドを代表する女優のひとりで、夫はハンフリー・ボガート。ボガートは早くに亡くなってしまいますが。
 そのボギーと共演した『カサブランカ』などでほとんど伝説となった女優、イングリッド・バーグマンが地味な宣教師の役で出演しています。
 このように、ひとりひとり名前をあげて紹介していくときりがありません。

『オリエント急行殺人事件』は2017年にリメイクされたのですが、こちらも豪華出演陣に注目です。
 ポアロにケネス・ブラナー。ほか、ジョニー・デップやミシェル・ファイファー、ペネロペ・クルス。『スター・ウォーズ』の新しいヒロイン、レイ役のデイジー・リドリーも出ています。インターネットで観客の感想をのぞいてみたら、「名だたる俳優が数多く出演していて、これはハリウッドのアベンジャーズだ」と書かれていました。ちょっと面白いですね。
 なかなか悪くない映画で、続編の制作も決定しているそうですよ。まだご覧になっていないかたは観てみてください。
 この2017年版は、いまどきの映画らしく、見せ場を多くすることに腐心しています。具体的には、冒頭にキャラクター紹介的にちょっと派手なポアロの活躍シーンを入れたり、オリエント急行が雪で閉じ込められるシーンを描くのに、CGで派手な雪崩を見せたりですとか。事情聴取ばかりでは単調になるので、銃撃シーンなんかも入れてます。ポアロは合気道の達人という設定で、ステッキを使ってちょっとしたアクションも披露していますね。


 そこへいくとシドニー・ルメット版は、役者の演技をじっくりと見せています。アルバート・フィニーのコミカルな演技も見物ですが、白眉はやはりイングリッド・バーグマンでしょう。扉から入ってきて出ていくまでの事情聴取シーン4分40秒をワンカットで撮っています。普通はこんなことはしません。間が持たないからです。バーグマンはさすがの貫禄で、名シーンです。
 この演技で、イングリッド・バーグマンは『ガス灯』『追想』につづく三度目のアカデミー賞をとりました。助演女優賞です。このときはすでに60歳近かったこともあって、知らない人が観るとバーグマンとは気づかないかもしれません。バーグマンの身長は173センチとも175センチとも言われていますが、背中を丸めた、おどおどとした姿は、役柄通りの風采の上がらない女性に見えます。ここでは若い頃の輝くような美貌のバーグマンではなく、演技派女優としての一面を見せています。

◆ 5 『オリエント急行殺人事件』に描かれた時間

 さて、この映画の、ストーリーを追うだけではわからない部分について解説していきましょう。
 映画というものは時間の芸術です。
 映画の長さはたいていの場合、90分から2時間前後。テレビの連続ドラマとは違い、その中で作品を完結しなければなりません。(近年は連続ドラマの特徴を併せ持った映画も増えましたが……)
 また、かつてはもちろんDVDなどはありませんでしたから、基本的には一回性のメディアです。
 だから映画監督は、時間のコントロールに非常に腐心してきました。とくに細かいことを意識しなくとも、映画を観ていると、ここはゆっくりしたテンポだなあとか、ここは息つく暇も無いなあとか感じますよね。映画とはそのような視覚情報で観客の感情を操る装置なのです。
 ですから、仮に細かいつじつまがあっていなくても、少なくとも映画館で観ている間は、気にならないという「名画」は多いです。優先されるべきは観客のエモーションですから。

 演出に長けた監督の映画は、画面に対して自然な人物の出入りとそれでいて変化に富んだ構図、テンポの良い的確なカット割りで、観客を疲れさせず、かつ飽きさせません。時にはシーンを長くとり、観客の感情よりも理性に訴えかける場合もあります。シーンをどこでどうカットして、どうつなぐか。うまい監督は、この長短・緩急を自在に操るのです。
 その意味で、映画は音楽に似ています。
 アメリカのある大学の先生が、「小説は過去形。映画は現在形」とその著書で書いていました(注・どこで読んだのか思い出せません。この部分、出典があやふやで申し訳ありません)。映画においては、時間は静止しません。意図的に静止した映像が挿入されることはあっても、ずっと静止したままということはありません。それは動きと動きのあいだにはさまって意味を持つ静止です。小説とは根本的に異なるメディアです。

 そうした観点からこの『オリエント急行殺人事件』を見るとどうなるでしょう。
 暗い駅のホームにライトがともり、華やかなワルツとともにオリエント急行が発車します。ところがその日の夜、雪が線路をふさいでおり、列車はとまってしまう。
 朝になって死体が発見されます。昨日までは車窓に流れる景色が映し出されていましたが、死体発見後は、窓の外はかわりばえのしない景色です。ざわつく乗客たち。ポアロの調査がはじまりますが、謎が多い事件で、観ているこちらもじりじりします。
 そして、ポアロによる謎解きシーンがあって、最後の最後。ラッセル車がやってきて、線路上の雪だまりを崩します。事件解決と同時に、雪で閉じ込められた列車は汽笛を鳴らし、煙をあげ、再びワルツに乗って去って行き、そこでエンドロールです。本当にしゃれた映画ですね。

 映画は1974年の公開。
 原作小説は1934年発表ですから、そもそも映画公開の時点でオリエント急行というのは華やかな時代への憧れとノスタルジーそのものです。この映画は30年代の雰囲気を観客に伝えるために、衣装やメーキャップ、美術に至るまで、徹底的に作り込みました。オリエント急行とは過去へ向かって旅をする列車なのです。
 そして、その列車が雪のためにストップします。
 つまり、そこで時が止まります。
 列車内で過去に起きたある事件と深く関わる殺人事件が発生。名探偵エルキュール・ポアロによって事件は解決され、止まっていた時間が再び流れるように、列車が走り出します。

 事件の解決と雪で閉じ込められた列車がふたたび走り出すタイミングが一致しているのは偶然ではありません。
 人の死とは、関わった人々の時間をとめてしまうものです。心が凍り付く、という言い方をしますよね。そこにはショックと後悔だけがある。過去の事件にいつまでもこだわっているうちは、その人は本当には自分の時間を生きることができません。
 ポアロが真実をあばくことによって、文字通り凍てついた人々の心は溶け、過去の事件の段階でストップしていた関係者の時間も、ふたたび未来に向かって走り出すのです。この映画はそうした二重構造になっています。

 先ほど映画は現在形のメディアだといいましたが、ここでは意図的に時を止め、そして再度時が動き出す開放感までを計算に入れて作品が作られています。
 映画の前半、発車シーンでは、列車は画面右手、つまり上手から下手に向かって走っていきます。そして、事件が解決すると、列車は画面左手から右手へ、つまり下手から上手へ去って行きます。映画においてはしばしば上手・下手は時間の流れを象徴するものとして扱われます。
 過去への旅を終えて、オリエント急行は未来へと向かうのです。


(後編につづく。後編は12月10日更新予定です)

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