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[短編小説] 絶華掌

絶華掌(ぜっかしょう)の
華織理様


華織理(かおり)様が "導きの間" から出て来られた時、

明らかな、濃い、血の匂いがした。

親衛隊である鴉(からす)が2名、音も無く近寄り、
華織理様の両手を、タオルで丁寧に拭き取る。

ぬらぬらと紅に光る、両手を。


今はもう絶縁済みの旧人間関係では、カルト教団などと言われていた、私が属する組織、絶華掌。

華織理様との出会いを振り返りながら、私は、
微笑む華織理様に、敬礼をする。



「大丈夫ですか?」


当時、仕事のストレスで毎晩深酒をしていた私は、
気持ち悪くなり近所の公園まで来て、独り夜風に当たっていた。

誰もいない深夜の、小さな公園。

うなだれてベンチに座りこむ私に、華織理様が声をかけてくださったのだ。

顔を上げると、見るからに高そうな黒いスーツに、赤いネクタイをした女性。

やや短めのタイトスカートからは、真っ白で細く、美しいが、やけに傷の多い、筋肉質の長い脚が伸びている。

靴は、スーツに合わぬ、いかついショートブーツ。

古い公園の、貧弱な照明にすら眩しく輝く長い長い白髪に、
蛇をイメージさせる、シャープで妖しい顔つき。

高く、優雅で品のある曲線を描く鼻、
上口角の紅い唇、細面。

特に、爛々と輝く吊り上がった大きな目は、
私の、酒で濁る意識を射抜くようで、
瞬時に警戒心が起こった。

「……ありがとうございます。
ちょっと、お酒を飲み過ぎたので。」

目を逸らし、ボソボソと答える私の隣に、その女性は座った。ぴったりとくっつくように。

何だ?この人……。

逃げた方が良いだろうか?

そう思いながら私が顔を見ると、微笑んでいる。

「……ついてきなさい。」

目を見てぴしゃりと言われ、全身に鳥肌が立った。

さっきの優しい声とはまるで違う、
完全なる命令の声。

従わなければ、命が無いというような緊張感が、
自分で理解の追いつかないほど早く、意識に深々と突き刺さった。

何だ、何だ、何だ、と、脳がパニックを起こす。

理屈よりも先に、体が反応した。
逆らうわけにはいかない、それは許されない、と。

わけもわからぬまま、早足で歩いていくその女性、後にその名を知る華織理様を、私は追った。

まだ酔いも抜けておらず、全身が怠く、鳥肌も収まらないまま、なぜか目の離せない背中を。

悪夢の中を彷徨うような、不安感。

それでいてその背中には、憧憬のようなものを感じる。

昔に死に別れた、母を想うような。

古びたスエットにサンダルの、情けない格好のまま、私は夢遊病者のように、

ひたすら、追った。



装甲車



公園から5分ほど歩いた所、深夜のため車通りも減っている国道脇に、車が停まっていた。

まるで囚人の護送車だ。
バスのように大きな。

すべてが漆黒の塗装、窓には頑丈な格子。
運転席以外は全窓フルスモーク。

いたるところに、でこでことした装甲。
まさかとは思うが、銃火器のようなものさえ、天板にいくつか設置されている。

護送車と、戦車を足したような。

振り向きもせず、華織理様は乗り込んだ。

私が後を追い、恐る恐る乗り込んだところからは、

今思い出しても、圧倒的な体験だった。

左右に3名ずつ向かい合わせの座席、
運転席に背を向ける形で、一際大きなソファ席、
そこに華織理様。

後にその名を知る、鴉と呼ばれる華織理様の親衛隊が6名座っていたのだが、

内1人が、私に目隠しを着けた。

鴉の6名は華織理様と同じく、黒いスーツを、
凛と着こなしていた。

5名が男性、1名だけは、女性。
靴も全員が、いかついショートブーツ。

皆、長年の研鑽を積んだであろう、鍛え上げられた肉体と、素人目にもわかる。

目隠しは、簡単に外れるようなものではない。

あまりに素早く無駄の無い所作で、抵抗する間も無かった。



言葉の海と掌



後にしてわかるが、わずか3時間。
わずか3時間で、私は生まれ変わった。

目隠しの後、華織理様は、まず私の人生すべてを、

客観的事実として述べた。

徹底的に調べ上げられていた。
偶然の出会いでは無かったのだ。

そして。

罵倒、罵倒。
否定、否定、否定。
言葉のテイストを変え、声色を変え。

私が号泣し、床に突っ伏して、叫びだすまで。

すべてが、醜かった。
私の人生のすべては、醜かった。
普通にすらなれず、ただただ汚泥を這い回り、
食べて排泄し、矮小な欲に振り回され、
他者に深く依存し、己を持たず。

今の今まで自分は、人間ですら無かったのだと。

そして一転、真逆の賞賛、肯定。

出会った時からずっとそうだが、なぜこうも芯から魂を掴まれたかのように、簡単に揺さぶられ、従わされるのか。

カルト、洗脳、そのようなイメージがわきあがるが、それでも嫌悪感や抵抗心は微塵も起きない。

ああダメだ、このままでは……………………………。

微かに、甘い香りを感じる。

言葉の海を、冷たい海を、温かい海を、何度も何度も泳がされ、私はどう反応すればいいのかわからず、ただ泣いて、叫んで、気がつけばすがりついていた。

目隠しをされていてもわかる、光源。

華織理様に。

絶望と希望に激しく揺れる私は幼児退行したように、呆けて、泣き笑いを続けていたが、

てのひら。

華織理様の掌が、私の頬を包む。

「あなたは、生きて良い。私のため、だけに。」

脳内快楽物質が溢れ、いまだかつて味わったことのない、恍惚の中、私は生まれた。

新しく、今、この場にて。


深海へ



どれくらいの時間が経ったのか。

私は眠っていたようだ。

目隠しは外され、いつの間にか、元の席に座らされている。

華織理様が口を開く。

優しく、優しく、諭すように。

「おめでとう。自分でわかると思うけど、あなたは、新しいあなたになりました。
これで半分、資格を得たことになります。

私の組織、絶華掌の、一員となる資格を。

ただし

そこで突然に、声色が変わる。

「後の半分はまだ、これから、これから。」

華織理様が指を鳴らすと、見た目のいかつさからは想像もできない、ほとんど無音に近い走行音で、装甲車は動き出した。


10分ほど経っただろうか。

降りなさい、と言われ、私は外に出た。

彼の住むアパートの、目の前。

どうすれば良いのですか、と、私は振り向く。

いつの間にか真後ろにいた華織理様が、
光溢れるような、ギラギラとした大きな目を細め、

黒いアタッシュケースを、私に持たせる。

まるで無邪気な悪戯っ子のような、
しかしどこまでも冷酷な、蛇のような表情で、
ペロッと舌を出し微笑む、華織理様。

「機器の細かい説明をしてもわからないでしょうから、簡単に言うとね。

その中にリストバンドと、それに繋がった小さな箱のようなものが入っている。

それを彼の腕に、着けて来なさい。

起きているなら健康器具とでも言い、着けさせなさい。寝ているなら、起こさずに着けなさい。

彼の性格上、無いと思うけど、不審がって着けないようなら、これを鳴らしなさい。」

そう仰って、アタッシュケースとは別に、小さなボタンを渡される。

わかりました、と、私の声が聴こえた。

自分の意識よりも早く、口が動く感覚があった。

背中に華織理様の熱を感じながら、
私は彼の部屋へ入った。

合鍵を使って、静かに。

他人の部屋には、独特の匂いがある。
3年慣れ親しんだ、匂い。

明かりは消えているが、水槽のライトで、十分に歩ける。

細く短い廊下を進み、寝室へ。

死んだように寝るよね、と、いつも笑い話にする。

今日も彼は、死んだように寝ている。

滅多なことでは目覚めないと知っているから、
迷わずさっとアタッシュケースを開け、リストバンドを両手に装着させ、部屋を出た。

華織理様は、ぴくりともせず、同じ場所に立っている。

「良く出来ました。」

優しい、声と、微笑み。

ぼんやりと、華織理様はおいくつなのだろうか、
などと考えた。

10代にも、20代にも、50代にも、見える。
凄まじい美貌のためか、年齢不詳の、印象。

華織理様が指を鳴らす。

それは小さな音だが、鴉が機械のように滑らかに、車を降り、華織理様の背後に着く。

さっきのボタンとはまた違う、棒状の、
リモコンのようなものを渡される。

「さて…………………………………。

あなたが、絶華掌に、参加するにあたり。

これが言わば、最後のテスト。

あなたが凡人ではなく、ボーダーラインを超え、
こちら側に来れるかどうかの、テスト。」


私はぼんやりとリモコンに見えるそれを、眺める。

「その先端にある、白いスイッチを。

押せれば、合格。

押せなければ、あらゆる意味で、お終い。」

静かだ。

深夜の、地方都市とはいえ、あまりに静かだ。

深海にいるような、静けさ。

これを押すことで、私は、引き返せない道へ。

何が起こるのかは、わかりきっている。

そしてそれを、自分自身が望んでいることも。

微笑んだままの華織理様と、
身動ぎひとつもない、鴉と呼ばれる、6名。

私は華織理様を、見つめる。

蛇のようでもあり、
猫のようでもあり、
蜘蛛のようでもあり。

その異様に強い、妖しく輝く、双眼。

私はこの眼差しのためなら、どんな道であれ。

意識のどこかで、彼との想い出や、自分の、取るに足らぬ30年の人生や、街往く人々や、日本や、世界や、宇宙や、時間や、味わってきたすべての感情や、
冷たくなりつつある夜風やその匂いや

そして私は
スイッチを押した。

あああ、という絶叫が聴こえたような気もしたが、幻聴なのかもしれない。

押した瞬間に、

鴉たちが疾風のように、

彼の部屋へ向かい、

華織理様は私を、しっかりと抱きしめた。

ああ私は、この先永遠にこの人の一部となり、

私はこの人であり、この人もまた、私なのだ。

華織理様の首筋からは、

知っている香水が香った。

それはバニラのように、甘く、甘く。

そして、どこか、色合い深い、陰鬱を、陰影を、

微かに、感じさせた。


どこか遠く、クラクションが聴こえ、

また訪れる完璧な静けさの中。

鴉たちの影だけが、

滑らかに、滑らかに、動いていた。




-了-



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