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#56 これさえあれば/くろさわかな

【往復書簡 #55 のやりとり】
月曜日:及川恵子〈0, 100, 0, 0〉
水曜日:泖〈くさいものの蓋をとれ〉
金曜日:くろさわかな〈役割を脱ぎ捨てる時間〉

役割を脱ぎ捨てる時間

自粛・自粛の日々が続いていますが、おふたりは体調悪くなったりしていませんか? 
わたしは、どこが悪いと言えないけどなんだか本調子じゃないんだよな、っていうスッキリしない感じが続いています。
これまでできていたストレス発散が、うまくできなくなっているからかもしれません。

今、人と会う機会がほとんどないにも関わらず、「ひとりの時間」はなかなか取れません。家には家族がいて、会社には同僚がいて、わたしが普段いれる場所はそのどちらかにしかないのです。

これまでは土日を使ってひとりの時間を確保してきました。図書館に行ったりサイゼリヤに行ったり買物に行ったり。そうすると、特に何をするでなくても気分がスッキリしました。そこでは、「妻」でも「お母さん」でも「社員」でも「くろさわさん」でもない、役割のない自分になれるからじゃないかなと思います。役割がないから、自由に考えられるし、ゆっくり自分と向き合えます。

例えばお客さんに嫌なことを言われたり、子どもに対して言いたいことを言わずにこらえたとき。役割をもつ自分だと、その感情をしっかり消化できません。役割を優先するために、泣いたり怒ったりを我慢しなくちゃならない。お客さんなんだから仕方ないよね、お母さんなんだからこらえないとねって。だけど抑えこんだ感情ってフッと消えてくれるわけじゃなくて、感情としては無くなっても「ストレス」とかいう別の形となって残ってるんですよね。

役割のない自分は、そのストレスを拾って元の感情の形に戻してくれます。「○○って言われるの傷つくよね。もっと優しく言ってくれてもいいのにさー」「ぐっとこらえたの偉すぎ。けどあれは頭きた」。その感情を改めて思い出すことで、ストレスの解消もうまくできていたんだと思います。

そんなわけで、わたしが緊急事態宣言下の自粛中でも「これさえあれば」なんとか引き続き堪えていけるのになあーーーと思うのは「ひとりの時間」もとい「役割を脱ぎ捨てられる時間」です。
車の運転は得意じゃないけど、泖さんみたいに目的地のない夜中のドライブしちゃおうかなあ。

くろさわかな


追伸。
役割ってある種自分を偽りながらこなしているところがあるけど、だからと言って完全に役割を失ってしまうのは孤独で悲しい。繋がっていたいという思いと、それが煩わしいという思いが同居する心はとてもとても厄介です。

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