墓参り

 この所、墓参りに行っていない。
 私は生まれてから、三人の墓を目にしたことがある。一つは父方の祖父と祖母、二つ目は母方の祖父だ。幼少の頃、父方の祖父を亡くしてから、私は初めて墓参りに行った。
 墓参りには、父、母、姉、兄、私の家族五人全員で行き、お供えものは果物が入ったバスケットを持って行った。花束も買っていたかもしれないが、私が覚えていないのは、その果物が美味しそうで、帰って食べることを楽しみにしていたためだろう。
 幼少の私はその道具について知ることがなかったが、墓園では手桶と柄杓といった水をすくう道具を借りることができて、またブラシも置かれていた。側には水場があり、手桶に水を貯めて墓に向かうのが恒例だった。
 祖父と祖母の墓に付いたら、手桶の水を柄杓ですくい墓に水を掛ける。墓参りといえばお盆のため、太陽は眩しく、気温は熱く、水の温度は肌で感じれるほど涼やかだった。水を掛けるまで、墓石は熱く、蒸発して音が鳴ることもあった。私たち子供は、まだいちばん上の長女でも小学校中学年だったため「熱いね〜」と賑やかに騒いでいた。ブラシで磨く際、末っ子で特に小さかった私は「届く?」と、墓の頭を指されて、よく背伸びをしていた。
 墓が綺麗になると、果物のバスケットをお供えして、線香を上げる。火を付けたほうを左向きにお供えする。手を合わせて、合掌し、墓参りは終わる。私はこの時間を少しばかり気に入っていた。家族全員揃っていること、協力すること、綺麗に掃除すること、穏やかに流れつつも、少しばかり煤けた寂寞とした空気。笑顔で行き、笑顔で帰るのに、合掌するときだけは誰もが心を鎮めている。
 私にとって、それは優しかった。
 祖母のことを私は知らない。私が生まれた頃に亡くなったからだ。祖父についても、それほど回数会わないうちに亡くなったため、多くの記憶を持ち合わせていなかった。私が見る祖父は、いつも静かでどこか不機嫌そうだった。亡くなる間際だったからかもしれない。最後の記憶は、母方の家族も含めて親戚で集まり食事をしたことだ。その次に見たのは、棺に入っていたときで、私はそこで初めて父親の泣き声を聞いた。酷く恐ろしかった。世界が揺らぐような感覚で、私は周りを確かめながら、そっと静かにしていた。
 あの場の空気は悲しみに満ちていたが、墓参りは違った。全てを洗い流して、残るものは煤だけ。あれは、苦しみではなく、解放だった。別れを告げて、次に向かう。明日を探す旅時。私たちは生きている。いつか解放されるときが、旅の終焉なら、いまは恐らく旅の途中だった。
 話は冒頭に戻るが、この所、墓参りに行っていない。墓参りに行くと、家族は円満になるというが、実際は、家族が円満な家に墓参りに行く余裕がある。私は墓参りに行っていないことを時々気に掛けるが、いまは呼ばれている気がしないので良しとしている。死者はきっと優しいだろうから。

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