離別

 一枚の手紙ついて、私はいまでも思い出すことができる。その内容こそ記憶していないが、宝箱が描かれていた。手紙の贈り主は、私が幼少の頃に住んでいた家の、近所に住んでいた幼馴染の男の子である。私より一つ歳下の彼を、私は『あっくん』と呼んでいた。
 あっくんは、姉が一人いる三人家族の生まれで、当時、我儘で傍若無人な私とは違い、いつも眉を八の字にしてオドオドしていた。色でイメージするなら明るい緑色を思い出す。私とあっくんは、ほとんど毎日二人で遊んだ。よく覚えているのは、乗用玩具に乗って走り回ることで、時々あっくんの姉に頼んで押してもらうのが楽しみだった。
 あっくんの姉は、賑やかだが少し物言いにハッキリとしたところのある怖い人だった。けれど面倒見がよく、私やあっくんの我儘に不満を零しながらも、遊びに付き合ってくれることが多々あった。それ以外では、私の姉や兄と遊んでいた。幼稚園にも満たないくらい幼かった私には、姉たちの、小説を書いたり、一輪車に乗って漕いだり、自転車に乗るなどの遊びは、高度で遠くから見ることしかできなかった。
 私は、文字を読むことはギリギリ行えたが、書くことに関しては、いつも宇宙人の暗号みたいな斜線を書きまくり、それを文字だと呼んだ。文字を覚えるのは、私よりあっくんのほうが早かった。あっくんの家は、マイペースな私の家と違い、教育に力を注いでいた。母親も遠目から見るとき、子供たちを叱っている姿があった。あっくんの姉の少し怖い部分は、母親譲りであった。
 子供の遊びのなかで、私とあっくんは、泥に入ったことがある。あっくんの家の道路の向かいには、泥地があり、私はその場所を大人が歩いている姿を目撃した。私はすぐにあっくんにそのことを教え、自分たちも入ってみようと誘った。あっくんは不安そうにしていたが、私は自分が見た光景に自信があったため、根気強く誘って泥に入った。泥に足を踏み入れたときの感触と、恐怖はいまでも思い出せる。かなり早くに足が泥に持っていかれ、私たちは沈みそうになった。抜けようとしても、靴が吸い付かれて中には水が入り湿っていく。なんとか出たときには、靴は異臭を放ち泥まみれで酷い有様をしていた。あっくんは、家に帰ると母親に叱られ、靴を洗わされており、その様子を見て私も父親のことを思い浮かべてゾッとしていた。
 私の父親は、怒ると臀を叩く人であった。彼に捉えられると逃げることは叶わず、ただ必死に謝り続けながら泣き喚くことしかできず、その時間の終わりを待つのは苦痛を要した。私は説明の言葉を考えながら、家に帰り、父親が現れると事の次第を伝えた。父親がなんて言ったかは覚えていないが、お風呂場で靴を洗うことを提示してくれたことは確かで、私は父親がぼんやり見ているなか、母親が帰る前に靴の泥を落とした。怒られなかったことは、幸運であった。
 そんなこんなで、私は、ヤンチャでよくあっくんを困らせながら、仲良くしていた。あっくんは、もしかすると私に逆らえなかっただけかもしれないが、ただ、私たちには唐突に別れが来た。
 父方の祖父が亡くなり、その実家に引越しが決まったのだ。遠出が好きだった私はそれほど重大に捉えることはなく、むしろ浮き足立って、すでに入園を果たしていた幼稚園の先生に自慢げに広めていた。先生からは、幼稚園は変わるのか、そんな話は聞いていないという、話をされたが、バス通勤じゃなくなるだけで幼稚園は変わらない旨を話した。
 引越しの過程については、あまり覚えていない。
 父方の実家に荷物を贈り整理が着いてから、最後に鍵の返却のため家に帰った。私だけ、父の運転する車の助手席に着いて行き、父親が鍵の返却をするなか、あっくんとその姉が私の乗る車の横に来た。どこに行くのか訊かれて、私は「引越しすること」を話したはずだ。もうしばらく会えないことがわかっていただろう姉のほうは、険しく苦しそうな顔をしていた。そこで、私は初めて自分は彼らとお別れをするのだと勘づいた。車が走り出すと、私たちは手を振りながら、あっくんは姉に手を振らされながら、遠く離れて、私は車のなかでぼんやりとしていた。次にやり取りをしたのは、冒頭で話した手紙であった。
 手紙は長く続かず、やがて過去の記憶へと変わっていったが、小学生に上がり大きくなってから、一度だけ近くを通った際に会いに行ったことがある。あっくんは、同じ年代の男たちと自転車で走り回っていた。私たちのことは覚えていないようで、姉に引き留められて教えられても「誰?」と言っていた。あっくんの母親と姉は呆れた様子で、私も驚いたが、私はあっくんとの記憶を覚えているし、もらった手紙も忘れることはないから、それほど気に掛けることはなかった。ただ、私たちはそこで本当に離別したと言える。
 記憶は儚い。私はそれから数々の別れを経験するが、その一つ一つを記憶している。名前や誕生日などの記号は忘れても、思い出や印象といったことを忘れることはない。私から離れたこともあれば、離れていった人もいる。その度に怒りや、後悔、悲観に暮れる。死に別れより、生き別れのほうが苦しい。それなのにまた出会いを求めるのは、私があまりに寂しがり屋だからだろう。
 そしてなにより我儘だから、心を放ち切らずに、環境に浸るのだ。私はきっとなにも変わっていないから、また何度でも再会することはできるが、考え方などはアップデートを繰り返す。そのとき、作られる距離感は寂しさを感じるかもしれないが、寂しさよりも、痛みのほうが避けたい事態なので、そこでゆっくり時間を潰す。朝霧が距離を置いても、顔色は絶対に見失わない。

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