最終話【今さら公開】2021年コロナ闘病記〜「最後のヤマ、そして希望」篇
7月7日。
病院食の朝食。そう、そえられたカードが「七夕」を教えてくれた。
4日間、20%も食えなかった病院食の前に座っている自分がいる。
食べたいと思ったのだ。
そして気づいた。
頭痛が治っている。
いや、正確には「ズザキュン」という痛みの間隔が不定期になっており、痛みの威力も「彫刻刀の三角刃」でエグられているような痛みから「爪楊枝」で強く刺すくらいにパワーダウンしているではないか!
丸7日間、1秒も止まらなかった猛烈な頭痛から、事実上開放された自分に気づき、ぶっちゃけ嬉しくて涙が出た。
先生に頭痛症状緩和を話すと、自分のことのように喜んでくれた。
しかし、強烈な薬で緩和していることや、朝の血液検査では「肺炎」の数値がまだ悪化している状況にあることを告げられた後、トドメの忠告はこうだった。
小柳さんは「中等症」患者になります。
こういう40〜50代の方は、入院7日目〜10日目に、突然急激に悪化する例が多いので、ここから2〜3日が事実上のヤマです!
ヤマって😭
中等症って😭
恐怖は続いた。
なので、しっかりと酸素を吸い、食事は全部喰い、できるだけ眠り、きつい薬を点滴しながら、祈るしかなかった。1日は猛烈に長かったが、夜になると早いと感じる。人間の時間感覚も、簡単にぶっ壊れることも知った。
7月8日、9日
頭痛は完全になくなったものの、肺があきらかに重い。
大きく息を吸うと、100%咳が出るし、水を飲もうとすると、強烈なしゃっくりが出る。何しろ「ヤマ」なのだ。静かに静かにベッドの上で過ごすしかない。
7月10日。血液検査。
テレビをつけると、こんなニュースをやっていた。
40代・50代への感染と重症化リスクが高くなっていると。
「やっと、俺においついてきたか」などと冗談を言いたいところだが、マジで本当に、こんな先取りいらん。
するとその日の夜。
けたたましい消防車の音で目が覚めた。
済生会病院には、24時間「救急車」は来るので、この10日間でサイレンにはすっかり慣れていたが、今日は「消防車」のそれだ。時間は25:20。
火事だ。
写真でおわかりのように、西中洲のビルから煙が出て、西中洲の通りは消防車が何台もきているではないか!!7階から見ていると、酔った野次馬がたくさん西中洲の方へ、吸い込まれている。まぁ、ボヤ程度でよかった。
しかし、もし。
もし、火の手が何かに引火し、マイケル=ベイの映画並みに大爆発とか起こって、天神中央公園を業火が焼き尽くし、ここ済生会病院に危機が及んだとしたら「俺は逃げていいのだろうか?」と考えていた。
避難誘導の方々に感染させ、避難所には多くの人が集められたりしたら、最悪に迷惑かける・・・これは、されど人知れず誰もいないところに逃げなければ・・・などと考えていたら眠っていた。
7月11日。
優しい石原先生が定期診察でやってきた。
「小柳さん!数値が下がってます。もう大丈夫だと思います!」
「やったー!」
嬉しかった。重症ではなかったけど、これで今回死ぬことはないと言われたのだ。
そして、ここから2日後の7月13日、僕は退院した。先生や看護士さんたちに、祝福されるように送り出していただき、約二週間ぶりに外に出ると、6キロ痩せた体はひどく頼りなかったのを、覚えている。
こうして、2021年の夏に僕をリアルに襲ったコロナウイルスとの闘いは集結した。
時は流れ、2023年の12月。
僕は、15年ぶりくらいにインフルエンザに罹った。妻と週末、黒川温泉に遊びに行った日の夕方、少しずつ体がダルくなり、次の日福岡に帰る頃には、明らかに発熱している実感も伴い、2時間の運転が凄く辛かった。
幸い現在、インフルエンザは、病院に早く行けば、たった一錠の薬ですぐ良くなる。けど、久々にウイルスが体を侵食していく、あの絶望的な感じを思い出した。
普段、健康な時は、アホみたいにこうなる時の気持ちを忘れている。
無駄なことせずちゃんと寝ていれば。
連日深酒しなければ。
なのに無謀に運動しなければ。
健康を壊すのは、多くの場合原因があるし、それを自覚している場合が多い。それなのに「何とか大丈夫じゃないか?」という、クソみたいな「バイアス」を最も簡単に簡単にかけまくる。
これを自らの教訓とするためにも、今更のように、コロナ闘病記を公開しました。
みなさん。
あらゆる戦略と、戦術を駆使すべきは「自らの健康」です。
最後までお読みいただきありがとうございました。
また、元気に(^^)お会いしましょう!
(了)
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