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その2【今さら公開】2021年コロナ闘病記〜「瓦解する希望」篇


ホテル隔離が始まった

アウトブレイクお姉さんから10階に上がるように指示された僕は、エレベーターに乗り込んだ。部屋で読むように言われた書類が入っていた茶封筒には、オムロンの体温計と、指先にはめる「血中酸素含有濃度」を測定する装置が入っていた。いわゆる「パルスオキシメーター」だ。

パルス

これで、97%以上出ていれば、問題ないですから〜と言われていたので、部屋に入ってすぐ測ったら、98%。

「問題ない。1週間で鮨だ。」

そう思いながら、スーツケースの荷解きを始めたのだが、この時、すでに悪い予感・・というか、悪い実感を無視できなくなっていた。
それは、右耳の上部の頭部側面に、鋭い痛みが60秒に一回くらい訪れるようになっていた。細い針で、痛い神経に電気を無理やり流されてような、不快極まりない痛さの「頭痛」だった。
実は、友人にお鮨のお断りの電話を入れた時も、うっすらこの痛みはあった。しかし、意識を外せば無視できる程度だったため気にしないでいた。
しかし、この痛みは気が狂った博士が、僕の頭に流す痛みの電圧をニヤニヤ笑いながらあげていくイメージとともに、エスカレートして行った・・。

入室から20分ほどした、12:00すぎ。館内放送。
「今からスタッフが各フロアに、お昼のお弁当を設置に行きますので、皆さんは設置完了の放送があるまで、部屋から出ないようにしてください。」

この放送は、今、自分が誰にも会うことを許されない立場にいることを再確認させるものだった。感染病という目に見えない脅威は、僕という人間全部が「バイキン」になった気になってしまうという絶望だと実感した。今の僕は「人類にとって厄介者」の何者でもない。

ちなみに弁当はこんな感じ。

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すき焼き!へ〜!豪華じゃん!
と何を隠そう、そう思った。しかし同時に、これをこんな感じで、毎食毎食1週間も弁当を食い続けるのか?と思うと、結局、半分も食えなかった。

左奥にカップヌードルが写り込んでいるが、ここだけの話、僕のゼロハリバートン65リットルのスーツケースには、カップヌードル3個に、ノンアルビール4缶が入っていた。
そう。無症状で1週間くらい大人しくせねばならない。コンビニにもいけないのだ。備あれば、潤いあり(?)だ。
しかし、結論からいうとカップヌードルもノンアルビールも、一つも口にせず終いだった。そんな場合じゃない事態になることを、この時点では予想するすべもない。おめでたい野郎だった。

話は戻る。

昼の弁当を「半分も食えなかった」と書いたが、その理由は嘘だ。
弁当を食い続けなければならないのではなく、食欲がないのだ。
人間、物が食えないというのは非常にショックと不安を感じるものだ。そして、自分がなぜ食えないのか?を、自分に問いかける。
吐き気?無い。
むかつき?無い。
嫌いな食べ物?そんなものは無い。

原因は頭痛だった。

頭が痛くてものが食えない。
前述した、僕の右耳の上周辺に、狂った博士が痛みの電極のボルテージをあげていっている「実感」は、いつのまにか、飯も食えないほどの物理的な「激痛」に成長していたのだ。

皆さんは頭痛を表すのに「ズキズキ痛む」とか「キリキリ痛む」という表現を使ったことがあるかもしれないが、僕の頭に定期的に訪れるこの激痛は、
「ズザギュン」と表記したい。
「ズザギュン」だ。

小学校の時使っていた「彫刻刀」セットの「三角刃」に、強烈な電気を流しながら、最も痛い神経に容赦無く「ズザギュン」とぶっ刺されるような猛烈な痛みが、自己測定7〜9秒に1回訪れるようになっていた。
完全に未体験な症状だ。

「ズザギュン」痛が来ると、体が「ビクッ!」となるほどの激痛。
そんな痛みが、7〜9秒に一度必ずやってくるという精神状態。昔、村上龍の小説「愛と幻想のファシズム」の中の拷問シーンで「最も恐怖なのは、苦痛の度合いではなく、苦痛が必ず来るという絶望だ」みたいな表現があったのをうっすら思い出しながら、それは間違いないと妙に納得して、7秒後に備えるという状況に陥った。

「ズザギュン」 ビクッ!痛!
8秒
「ズザギュン」 ビクッ!痛!
7秒
「ズザギュン」 ビクッ!痛!
9秒
「ズザギュン」 ビクッ!痛!

これで、30秒もたっていない。
これは、本格的に耐えられない。
18:00に配布された弁当は、頭を押さえながら取りに行ったが、2口しか食えなかった。
しかし、この時点でも、
『無症状で、熱がなければ10日ほどで隔離終了』
という一縷の望みにたくし、オムロンの体温計を手に取った。
そういえば、オムロン=立石電機の息子って、大学時代同じゼミだったよなとか思いながら、測定終了のアラームが鳴る温度計を見て絶望した。

38.9度。

体がコロナウイルス に、侵略されていっている。
全てを諦めた僕は、すぐに「看護センター」に内線を入れて、病院に搬送して欲しいという打診をした。

「医師の判断になります。とりあえず、お弁当置き場に、痛み止めを置いておきます。」

正しい。100%正しい。
あなたは判断しないことは知っている。
とりあえず、ロキソフェタミンを飲むしかない僕は、癖の強い壁紙の部屋で、頭痛が薬で治るのを祈った。
20:00。
オムロンの体温計は、37.6度まで下がっていたが、しかし・・・・

「ズザギュン」 ビクッ!痛!
8秒
「ズザギュン」 ビクッ!痛!
7秒
「ズザギュン」 ビクッ!痛!
9秒
「ズザギュン」 ビクッ!痛!

頭痛は、正確な時を刻むアラームのように容赦無く襲い掛かる。

23:00
夜分ですが、医師が診察します。
内線が、枕元から遠く、這うように動く僕。4回呼んだくらいでやっとたどりついた僕の耳に、受話器からそう聞こえてきた。

優しい、初老の先生と妙に明るい看護師のお姉さんに
「ズザギュン」 ビクッ!痛!
8秒
「ズザギュン」 ビクッ!痛!
7秒
「ズザギュン」 ビクッ!痛!
9秒
「ズザギュン」 ビクッ!痛!
を訴えた。

初老の医師が診察の最後に、遠い目をして決断したように言った。

明日の朝、病院に搬送いたします。


絶望と恐怖の、その3へつづく

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