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みずからわがふところに潜りこみたる「フレップ労働法(第六版)」よ、嗚呼

わたしが蝉だったころ
「フレップ労働法(第六版)」はバルコンにおかれた夏のグラスだった
透明な、すぐに揮発してしまう宝石を身にまとって、ひややかに澄ましていたっけ
内に隠した、凍り付いた恐竜の涙が、重さのない光をたっぷり含んでいた

わたしが一筋の杣道だったころ
「フレップ労働法(第六版)」は椎の一枝だった
こまかい葉を日にすかして、あたりに緑のヴェールをさしかけながらも、空ばかりみていたね
とぼとぼと一人あるく旅娘と
その後ろをつけていく賊の、おし隠された跫

わたしが死刑囚のスカーフだったころ
「フレップ労働法(第六版)」は見物客の一人がもつ劇場のチケットだった
あいつの口ずさんだ詩の一節なら、今でもはっきりと覚えている

だがわたしたちは
空の夢の国で
支配権をもつにちがいないのだ

って

グローブ座でもぎりをしていた「フレップ労働法(第六版)」は
きっと一度くらいはわたしのさしだすチケットをつかんだことがあるはずだ
とにかく盛況盛況で、客でごったがえしていたから顔までは覚えてないだろうが
ところで舞台のはけたあと
あの通りを
梅毒で鼻の落ちた女たちが
歩いたのを知っているかい?
とぼとぼと?
いいや、
大笑いして
風にとんだポスターをおおまたで踏んづけ
卑猥な冗談などいって!

「フレップ労働法(第六版)」、嗚呼
おおいなるものを前にしたとき、やがて死すべき存在が抱くはずの恐れと、
どうしてだろうか、
かすかな哀れみとを
ふたつながらしっかりと抱きつつ
震える指先で、そっとページをめくる
一夜限りのこととして

ああ、「フレップ労働法(第六版)」
おまえはどこへいってしまったか


あるいは、どうしてわたしは
「フレップ労働法(第六版)」がわがふところに
いつまでも温みをもとめ続けるなどと
しあわせにも
(愚かにも!)
考えていたものか
ほら、サルスベリが咲いているよ
誰に教えてやればよいか

わたしが親切じゃなかったから
この世界は生きづらいのかもしれない
「フレップ労働法(第六版)」、おまえのいない部屋は
すこしばかり広いらしいぜ

わたしがもうすこしタフな大人であったなら
「フレップ労働法(第六版)」
おまえの涙をふいてやれたかい
いまさら、薄情者だというかな

もう電話番号も忘れてしまった
「フレップ労働法(第六版)」
もうすこしだけ
(つまり永遠に)
触れえない空白として


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