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note版「女子プロ野球クライシス」11


運営のアマチュア集団

 
現場運営、選手たちのケアは片桐理事長に任せ、私は別の角度から女子プロ野球を盛り上げるサポートをしていました。


まず、女子プロ野球選手を知らない人のために

野球少女がプロになるまでのストーリーをマンガにして伝えました。


彼女たちのおかれた境遇などを伝えることで、想いに共感してくれる人が増えてほしいと思ってのことでした。

野球を知らない女の子たちにも

女子硬式野球

という世界を知ってほしかったのです。

試合でも選手を主役にしたイベントを開催し、そこでマンガを配ったりもしました。


マンガの裏表紙には
サインを書けるスペースがあるので、
そこでサインを貰えるようにしました。

また、「わかさ生活」の商品の仕入れの関係でフィンランドとも親交があったので、
現地で人気の食べ物を球場で販売するなど、
少しでも多くの人に楽しんでもらえるようにしました。

しかし、うまくいかなかったこともたくさんあります。


試合日程を組んだり

観客を集めたり

テレビや新聞などのメディアに対するPRというものには、全くノウハウがありませんでした。


そのほか選手移動のためのバス手配、
球場の押さえ方、雨天の際の対応、備品の手配、備品の保管、試合結果の伝え方、
選手たちのプロとしてのマネージメント、
観客からの貰い物や問い合わせの対応……。

選手、運営含め全員が素人。

毎日が手探り状態でした。


片桐理事長も元・広告代理店マン。

大きな枠でのプロデュースは得意でも
細かい対応は不慣れであったでしょう。


その結果

ホームページの問い合わせフォームには
さまざまな意見が寄せられました。

「男子野球にくらべてつまらないよね。
観客少ないし」

「女子選手にどうしてスカートを穿かせないんだ? 女子がやる意味あるのか?」

「運営がひどい。俺のアイデアを採用したらもっとよくなるのに」

 

公の場でプロスポーツを運営している以上、
何を言われても仕方のない部分はあるのかもしれませんが、

やはり悲しい気持ちにはなりました。

しかし

嬉しいメッセージも多くありました。

特に印象深く記憶に残っているものは

「元」女子プロ野球選手
やその関係者たちからのものです。

実は日本には
戦後まもない1950年から2年間

女子プロ野球

が存在した時代がありました。

最盛期にはなんと25チームもあったそうです。

フィールドは男子と同じですが、
ピッチャーとキャッチャーの距離は短く、
ボールは準硬式というゴム製のものだったそうです。

しかし

黒字化は厳しく
結局2年で消滅したそうです。

当時を知る人たちからのメッセージには

「女子プロ野球を復活させてくれてありがとう」

と書かれていました。

そのほかにも

子どものときに野球をしていたけれど
先がなくてやめてしまった女性や、その家族や友人たちからも

「嬉しい」「ありがとう」

という声が届きました。
 

こういう人たちがいるのだから
夢を叶えてあげたいと強く思いました。

日々届く手紙やFAX、メールの文章に
運営素人の私たちは
一喜一憂していたのです。

 
1年目の功労者

リーグ1年目

一番走り回っていたのは
片桐理事長でしょう。

球場確保にも苦労していました。

なにせ無名の女子プロ野球。

球場を貸してもらうにも

まず女子プロ野球が何なのか
という説明からはじめなくてはなりません。


「女子プロ野球? 聞いたことないよ。
プロとはいえ名ばかりでしょ。
あんたたちに貸すような球場じゃないんだ」


と心なく断わられることばかりだったそうです。
 

しかし、片桐理事長の
熱烈なアプローチのおかげで初年度から

スカイマークスタジアム
(現・ほっともっとフィールド神戸)
皇子山球場などいろいろな球場を押さえることに成功しました。

さらに、1年目にして

京セラドーム、西武ドーム、ナゴヤドーム

という大型球場での試合まで実現したのです。

その甲斐あって

女子プロ野球を取り巻く環境は
少しずつ変わりはじめました。

「少年野球チームから野球教室を開いてくれと依頼が来ました!」

「また連絡が来ましたよ。
A高校が、女子硬式野球部をつくりたいそうです!」


女子プロ野球ができたことにより

あれだけ反対されていた
女子硬式野球部の設立が
加速度的に増えていきました。

野球を愛する女の子たちの
受け皿が広がっていく。

その事実が、嬉しくてたまりませんでした。
 
 

 
トライ&エラー

嬉しい報告が少しずつ増えてきた
女子プロ野球ですが、

素直に喜んでばかりはいられません。

問題はまだまだ山積しており
次から次へとやってくるのです。

「社長……、女子プロ野球リーグから、
追加金の申請がありました」

「そう、いくら?」

「いち、じゅう、ひゃく、せん……。
全部で1億3000万円ほど、です……」

「わかった。後で内訳を見ておくから」

私に声をかけてきた経理の社員は、
不服そうに言いました。

「すでに投資は5億円を超えています。
そのわりに、全然収益はないし……。
片桐理事長もやりくりに苦労しているようですが、もっとしっかり計算しないと、
これじゃあキリがないですよ」

「確かに、日々本業の方でお金を管理してくれているあなたから見たら、違和感があるよね。でも、女子プロ野球は、まだ、収益とかを問う段階ではないんだよ。
というか、そもそも女子プロ野球はビジネスを目的としていなかったよね」

「……そうでしたね。目先のお金が大きくて、戸惑っていました。すみません」

「不安に思うのも仕方ないよね。あなたがいてくれるから、会社がしっかりと続けていけるんだ。本当にありがとう」

このような会話を私は社内、社外問わず
数えきれないほどしました。

そして、事業の黒字化よりも

まずは認知度をしっかりと上げること

という優先順位を定着させたのです。

「まずは無料でもいい。女子硬式野球のよさを少しずつみんなに知ってもらおう」

こうして、無料客の招待が決まりましたが、これがまた問題となります。

初試合には2500人以上の観客が入りましたが、レギュラーの試合となると

1試合あたりの観客動員数はだいたい
1500人程度でした。

試合によっては無料招待した観客の方が多くなることもあったのです。

女子硬式野球を見てくれることは嬉しいのですが、お金をだしてまで見たいという人を増やすのは難しいことでした。

この先ずっと無料枠を確保し続けるわけにはいきません。
それでは本当の意味で女子プロ野球のよさをわかってもらえたとは言えない。

私は彼女たちに

自分の力で

本当に「野球で生活していけるようになってほしい」

と思っていたのです。

選手たちからも、

「片桐さん、どうやったらお客さんは増えるんですかね」

「私たちがもっとうまくならないとだめですね……」

「観てくれる人が少ないと寂しいね……」

など
ぽつぽつと声が上がっていたそうです。


選手たちは

「少しでも多くのお客様に来てほしい」

「メディアに報道してほしい」

といろいろと考え

取材に来た記者の人たちにバレンタインチョコをプレゼントしたりと、自分たちで考えた売り込み活動をはじめました。


9年経った今でも続く
女子プロ野球の活動の一つです。



そのような声を聞くたびに
実は私は嬉しく感じていました。

彼女たちが、希望を持てる
女子プロ野球にしなくてはいけない
と感じている。

そのためにも

もっと彼女たちが希望を持って
生活できなくてはいけない。

彼女たちが燃えている限り、
その火は消えない、
消させない、

と思いました。
 
 
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ここだけ! Note版 特別コメント

女子プロ野球リーグ運営1年目

実際に運営に携わっていた
現在女子プロ野球理事の片桐さんに
当時苦戦した事について伺いました。

《片桐さんコメント》

観る側と(運営)する側で
野球というものが全く違った。

ただ試合をするだけではなく、
お客様に観に来ていただく。

その視点での
球場の確保から、審判、
公式記録(選手の、リーグの財産)の手配
などから始まり・・・。

「女子野球を知ってもらいたい」
「応援してもらいたい」

という、大きな目標は一緒だが、
価値観や考えた方の違いが少しでもあると、リーグ内だけでなく、
女子野球全体(ファンの方も含め)で悩みました。

0(ゼロ)から、1(イチ)にするので、

「苦戦したことこと」を挙げるとなると、

正直キリがないかもしれませんね。