【連載】女子プロ野球クライシス

2019年11月の「女子プロ野球選手、36名一斉退団」ニュースの裏側を描いたノンフィク…

【連載】女子プロ野球クライシス

2019年11月の「女子プロ野球選手、36名一斉退団」ニュースの裏側を描いたノンフィクションドキュメンタリー。『女子プロ野球クライシス』の内容をnote限定で公開していきます!少しでも多くの人に、野球を愛する女性たちを応援してもらえますように―――。

最近の記事

note「女子プロ野球クライシス」最終回

エピローグ   週刊文春の記事が世にでてから、 いろいろなことが起こっています。   SNS上で記事が一人歩きをしたり、 選手たちに失礼なインタビュー依頼が来たり、 女子プロ野球リーグやわかさ生活に クレームの電話が入ったり、 とさまざまです。   今でも傷つくことはあります。 『わかさ生活』の社員も、 対応に困っていたりします。   女子プロ野球リーグのスタッフが 申し訳なさそうにしていることもあります。   私も申し訳ない気持ちになることもあります

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      ありがとうパーティー   2019年11月8日。   京都四条にある 「からすま京都ホテル」で 引退・退団選手たちを集めた 「ありがとうパーティー」を開きました。   退団選手36人、退団指導者5人と わかさ生活のスタッフのパーティーです。   私も参加したのですが、 実はパーティーが始まる前は、 少しの緊張と、怖さを感じていました。   あのような見出しの記事が世にでた後で、 選手たちは私のことをどう見るのか。   選手たちの中に、 あのようなことを考えている、

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      • note「女子プロ野球クライシス」28

        予想外の情報公開   2019年11月1日。   依然、 病状は回復していないのですが 慣れとは怖いもので、 この身体で動くことのコツを覚えていった私は オフィスに行く回数を増やしていました。   そんな中、 明石エグゼクティブマネージャーから 「選手たちのありがとうパーティーと 退団試合は11月8日になりました」   との報告を受けました。 「じゃあ、その日は 選手たちを盛大に送りだしてあげよう。 全従業員に試合に来てくれるよう 伝えておいてください。

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        • note「女子プロ野球クライシス」27

          36人の退団   キックオフミーティングから1週間、 彦惣理事長やほかのメンバーによって 各選手との面談が続いていました。   71人の選手一人ひとりと、 もう一度しっかりと向き合ってもらいました。   2015年に プロ選手が60人を超えてからは、 毎年10人から15人ほどの女の子たちが 新たにプロ野球選手になり、 ほぼ同数の選手に 「来季構想外」と伝えています。   誰もがプロ選手として 活躍できるわけではありません。 実力、将来性、ポテンシャル、 プ

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          選手たちの答え   2019年10月9日。   京都駅直結の 「ホテルグランヴィア京都」にて、 第24期キックオフを行いました。 毎年、ホテルの大広間を借りて全従業員、 全パート、全取引先、そして全選手に対し ご挨拶や前年のお礼、 今年の目標の報告などを行うイベントです。   午後には取引先、 パートナー企業を招いての事業方針説明会を 行い、夕方から女子プロ野球事業の関係者、 選手一同を集めての方針説明会を行いました。   一昨日伝えたことを、 女子プロ野球リ

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          7回裏ツーアウトからの逆転   秋季リーグも終わり、 来季も女子プロ野球を 存続させることを決めた私たちは、 はじめてわかさ生活の経営陣、 経理や財務のプロフェッショナルにも 加わってもらい、 一緒にこれからの制度を考えました。   選手たちに もっと「プロ」としての自覚を持ってもらい、成績に応じた給料を、 自分の手で勝ち取ってもらえるような 仕組みにしました。   それが、 本当の「プロ野球選手」だと思ったからです。   みんなが知恵をだし合った結果、 とても希望

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          追い打ちと決意   そんな中、 また私の身体が悲鳴を上げました。   オフィス内を歩いているとき、 突然右脚に激痛が走りました。 膝がズキズキと疼き、 爪先から膝まで痛みが駆け抜けました。   座っても、立っても、横になっても、 脚が折れそうなほどの痛みが襲ってきます。 その日は痛み止めを飲んで なんとかやり過ごしましたが、 翌日、とうとう耐えられなくなりました。   自宅まで残り100メートル、 といったところで 膝から「グキッ」と鈍い音がしました。

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          不安は募る   2019年6月26日。   検査入院を終え、 自宅療養に切り替わりました。   社員や取引先から 「退院おめでとうございます」と、 お祝いの言葉や花までいただきましたが、 結局原因はわからず、 治療はこれから、 原因究明もこれからという状態です。 素直に喜ぶことはできませんでした。   視界の歪みを少しでも抑えるために、 退院後すぐに眼科に相談し 「プリズム眼鏡」 という特殊な眼鏡をつくってもらいました。   この眼鏡をかけている間は、 二

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          勝負の1 0年目   2019年3月23日、土曜日。 春季リーグが開幕。   10年目のシーズン、 開幕戦が「わかさスタジアム京都」で 開催されました。   京都フローラのホームグラウンドです。   13時 京都フローラ対埼玉アストライア戦   15時半  京都フローラ対愛知ディオーネ戦   1日2試合のダブルヘッダーで 開幕戦がスタートしました。   全3球団が、同日試合をするのです。   今までは 2球団分のファンしか来なかった球場に 3球団のファンがやってくる

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            9年目の終わりに   2018年末のある日、 私は足早に会社へ向かっていました。   会社に到着し、 会議室に直行すると、 彦惣理事長や運営スタッフ、球団の責任者や 女子プロ野球を支えてくれている わかさ生活の仲間たちにも その旨を伝えました。 私が直接、 リーグの運営に関わっていくのは 2010年、2011年以来のことでした。   今まで任せきりになってしまっていた 各球団の経費や収支、計画や戦略、 試合のスケジュールや選手たちの年俸など、 細かい

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          野球少女たちの笑顔   2018年、 リーグ設立から9年目のシーズンです。   試合数は68試合、前年から3試合減りました。   観客動員数は9万6073人。 これは広告に莫大な費用をかけた 2シーズン目の観客数を超え、 過去最高を記録しました。 前年から 1万3580人増え、116%成長。   2013年から2018年まで、 毎年1万人以上、観客が増えていました。   これは、お金の力じゃない。 選手たちの、スタッフたちの、 純粋な応援者が増えた結果です。  

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          男子プロ野球ファンからの認知   2016年、 リーグ設立7年目。   この年の試合数は64試合と、 前年から 17試合も少なくなってしまいましたが、 観客動員数は7万193人と、 前年より1万1939人増加、 120%成長しました。   この年は、 ここまで女子プロ野球認知のために 蒔いてきた種の一つが、 理想的な形で実を結んだ年となりました。 それは、 男子プロ野球の 「オリックス・バファローズ」とコラボした、兄妹マッチが実現したことです。 2016年5月

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          理事長交代   この5年目には、 もう一つ大きな動きがありました。   2009年から 一緒に女子プロ野球リーグを立ち上げ、 ともに走ってくれた 片桐理事長が5月に体調を崩し、 倒れてしまったのです。   幸い大事には至らないものだったのですが、 このとき、 片桐理事長といろいろな話をしました。   今まで世界になかったものをつくることには、 想像を絶するほど、 周りからの反対意見や批判があり、 それを乗りきるには圧倒的な 努力と精神力が必

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          体制変更   女子プロ野球リーグ 設立5年目となる2014年。   2つの大きな組織的な変更をしました。   1つ目は 「株式会社日本女子プロ野球機構」を 「一般社団法人日本女子プロ野球機構」 へと移行したことです。   「株式会社」は法律上、 〝営利活動〟 をすることが目的の一つとされています。 ですが、「一般社団法人」であれば、 〝営利活動〟 に走りすぎる必要がなく、よりフラットに これまでの活

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          有名税   日本代表との強化試合の成果もあり、 4年目の2013年には 4球団目 「イースト・アストライア (現・埼玉アストライア)」が設立。 女子プロ野球選手は58人になりました。 2010年設立時の約2倍です。   年明け早々の1月17日に 新体制が発表されました。   西の「ウエスト・フローラ」、 「サウス・ディオーネ」。 東の「イースト・アストライア」、 「ノース・レイア」。   ついに、4球団。 東西体制を築くことができました。   こ

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          3年目の課題   2012年。 リーグ設立から3年目。   どんな事業でも、 3年目というのは一つの山場になります。   記念すべき3球団目 「大阪ブレイビーハニーズ (現・レイア)」 が加わり、 プロ野球選手数も前年から14人増えました。   またこの年、 リーグ名を 「GPB45《Girls professional Baseball》」 としました。   これはある選手が 「登録名を苗字じゃなくて、 名前にしてほしい」 と

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