見出し画像

note「女子プロ野球クライシス」23


不安は募る

 
2019年6月26日。

 
検査入院を終え、
自宅療養に切り替わりました。
 

社員や取引先から
「退院おめでとうございます」と、
お祝いの言葉や花までいただきましたが、

結局原因はわからず、
治療はこれから、
原因究明もこれからという状態です。

素直に喜ぶことはできませんでした。
 

視界の歪みを少しでも抑えるために、
退院後すぐに眼科に相談し

「プリズム眼鏡」

という特殊な眼鏡をつくってもらいました。
 

この眼鏡をかけている間は、
二重に見える範囲が減り、
なんとなく文字も読めるようになります。

しかし、相応の負担がかかります。

最初のうちは
数分も眼鏡をかけていられませんでした。
それでも、

これでなんとか仕事はできる、

と考えた私は、

「明日、東京のオフィスに行きます。
私の病気のことや、他にも大切なことを伝えたいから経営幹部は東京に集まってほしい」
 
と秘書に連絡しました。
 

翌日、まず私から経営幹部に
検査結果の報告や
プリズム眼鏡の話をしました。
 
その後、
入院中に会社で起きたできごとの報告を
受けました。
 

しかし、

なぜか女子プロ野球リーグからの報告は
ありませんでした。
 
芳しい報告もなく、
頭を悩ませることばかりでした。
 

私は、入院中に
女子プロ野球リーグの
エグゼクティブマネージャーの明石勇毅くん
たちから報告を受けました。
 
観客数や売上の報告を受けた後、

「本当に情けないけど、
今の身体じゃ私は陣頭指揮を執ることができない。1月にあんな会見をして、プレッシャーをかけてしまって申し訳ないけど、今季は任せます。よろしくお願いします」
 
と伝えました。
 

明石くんたちは、
覚悟を決めた表情で頷いてくれました。
 
会社をでると、雨が降っていました。
雨の中、杖をつき、
ズブ濡れになりながら帰る自分が
情けなくなりました。
 

次の日からは、
基本的に自宅から
タブレットのテレビ電話で
会社の会議に入り、
指示をする日々が続きました。

医師の言うことはやはり正しく、
3時間を超えると
本当に目の痛みがひどくなりました。
 
会社に行けるときには杖をつき、
タクシーを使って向かうのですが、
カーブなどの揺れも辛かったため、
次第に自宅から
テレビ会議への参加が増えました。
 
結局、
7月に入り2回ほど会社に行きましたが、
仕事ができるのは「3時間」だと伝えていても、会議や決裁の都合で7〜8時間ほど拘束されてしまいました。

それぞれの報告をする社員たちは
自分の用件が済むとサッと去り、
次々と別の報告が入ってきます。
 
痛む頭と歪む視界と、
次々とやってくる頭を悩ませる報告に
自分でも心が弱っていくのがわかりました。

「このままではまた倒れてしまう」
 
と思い、
毎日少しずつですが
杖を使った歩く練習もしました。
 
3000歩程度を、
何度も休憩を挟みながら、
数時間かけて歩きました。
 
歩いているときは
身体の不調、痛みが襲ってくるので、
逆に仕事のことは少しですが
忘れることができました。
 

全く回復はしていませんが
よくも悪くも身体と心が慣れてきて、
会社に行く回数を徐々に増やしていきました。



原点回帰

 

8月に入ったころには
医師からも安静は必須だが、
安定はしてきているので、
十分気をつければ新幹線に乗ってもいい、
と言ってもらえるようになっていました。
 
発病した5月10日から
丸3ヶ月経っていました。

 
私は新幹線に乗り、西に向かいました。
 

目的地は、丹波市にある祖母の墓です。
 
祖母の墓参りは、
私にとって
毎年絶対に欠かすことができない行事です。

祖母のお墓は、
どんなに辛くても、忙しくても、
私の人生の原点を思いだせる場所です。
 
墓の前に立ち、
今やっていること、今の気持ちを報告しようとしましたが、うまく言葉がでませんでした。

何も言えず、

ただただ墓石を見つめていました。
 

今までもいろいろなことがありましたが、
よいことも悪いことも
祖母には全てを報告していました。

しかし今回は、
なぜか何からどう話したらいいのか、
全くわかりませんでした。
 

気がつけば、汗が頰を伝い、
あごの先から落ちていました。

「おばあちゃん、とりあえず、
全部しっかりやって、また来るわ」
 
私はそれだけ言って、
祖母の墓を後にしました。
 

今回の病状がでてから、
100日が過ぎていました。
 
身体の方は慣れもあり
「辛さ」という感覚では
5割程度回復したように感じていました。
 

夏季リーグの最終試合は翌日に迫っていました。
 
結局、夏季は明石くんたちに任せっぱなしで、私は何もできませんでした。
 

秋季リーグは
2019年9月1日から2019年10月17日までの1ヶ月半なのですが、

本業である「わかさ生活」の決算月が
9月であり、10月には全従業員、取引先、
パートナー企業を招いてのキックオフミーティングがありました。
 
企業として、経営者として、
そちらの準備が何よりも優先されます。
 
ただでさえ
3ヶ月近くまともに仕事ができていなかったため、この1ヶ月はとにかく本業の数字と向き合い、人と向き合い、会社の未来のことに専念する必要があります。

(おばあちゃんにいい報告ができるよう、
今は前を向いて頑張ろう)

不安は尽きませんが、
そう考えてまた机に向かいました。

♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎

note特別コメント

今回の本編に登場した
女子プロ野球リーグ
エグゼクティブマネージャーの明石勇毅さんへ
当時の女子プロ野球リーグの状況や
明石さん自身の今後の想いをお聞きしました。

《明石勇毅さんコメント》

角谷社長は病床からも度々ご連絡いただき、
体調がすぐれない中でも
大変気にかけていただいておりました。

そんな中での報告も明るいものは少なく、

さらにご心配をかけてしまっている事を
ヒシヒシと感じました。

ただ、角谷社長の

‘熱い想い’と‘温かいお言葉’

には心を動かされましたし、
任されたメンバーで
なんとかこのシーズンを盛り上げ、
巻き返しを図ろうと心に決めました。

今シーズンも女子プロ野球が
一人でも多くの方に応援していただけるよう、さらには多くの方の心に響くものを魅せられるよう取り組んでまいります。

皆様、女子プロ野球リーグへ温かいご声援をよろしくお願い致します。
そして一緒に盛り上げていただきたいと思っております。