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note「女子プロ野球クライシス」17


体制変更

 
女子プロ野球リーグ
設立5年目となる2014年。

 

2つの大きな組織的な変更をしました。
 

1つ目は

「株式会社日本女子プロ野球機構」を

「一般社団法人日本女子プロ野球機構」

へと移行したことです。

 

「株式会社」は法律上、

〝営利活動〟

をすることが目的の一つとされています。

ですが、「一般社団法人」であれば、

〝営利活動〟

に走りすぎる必要がなく、よりフラットに
これまでの活動が可能だからです。

また、ほかの企業も
参入がしやすくなると考えました。

新たに多くのスポンサー企業に
協賛してもらうことで、
女子野球の一層の発展を目指しました。
 

また、これにはもう一つ目的もありました。

 
今までどうしても起こっていた
コミュニケーションのミスを
解消したかったのです。

どうやら、
現場はどうしても私のことを

「社長」

として捉え、
無用な気づかいをする人もいたそうです。

「これは言わないでおこう」

と報告をしなかったり、

逆に

「これは社長が言っていたことだから」と、

私からの一疑問、質問を
決定事項のように説明したりと
行き違いがありました。
 

女子プロ野球リーグ、
女子プロ野球選手を思って
さまざまなアイデアをだしたり
実施したりしてくれる
片桐理事長や現場のスタッフと、

私も正面から向き合って
意見交換をしていたつもりですが、
どこかで気を遣わせてしまっていたのかもしれません。

 
それもこれも

「営利を目的にした活動をする
株式会社である」

という前提が、
無意識にあったからだと感じました。

そんな無用な忖度をなくすため、

女子プロ野球機構を
「一般社団法人」にしたのです。

片桐理事長に
一層の決定権を持ってもらうことで、
私はさらに一歩引くことができるのです。

 
ただ同時に、
この組織変革は
大きな問題もはらんでいました。

 

選手の給料・年俸を払うための
雇用の仕組みが変わってしまうのです。

 

一般的に「プロスポーツ選手」とは、
個人事業主として契約し、
自らのプレーで価値を高めて

「稼ぐ」

ものです。

しかし、
女子プロ野球リーグは
5年目までですでに50億円近い赤字でした。

 
チケットが売れていない、
グッズなども売れていない、
メディアから出演依頼、広告依頼がない。

要は選手たちが
市場から価値を感じてもらえていない、

ということです。
 

赤字はわかさ生活がカバーしているのですが、
一般社団法人化することで
そこの仕組みが変わってしまいます。

今までのようにスポンサード料、

すなわち
運営や選手の人件費などを払うことに
仕組み上の無理がでてきたのです。

 
そこで、私は彼女たちのためにもなると思い、
経営的発想からある方法を提案しました。
 

女子プロ野球選手たちを

「個人事業主」から

「わかさ生活の正社員」として雇用する、

という仕組みです。

 
これに対して
社内外からいろいろな声が上がりました。

「甘やかしすぎです。
腐っても〝プロスポーツ選手〟でしょう? 
私たちの仕事は野球の片手間でできるようなものなんですか?」

「利益を生まない人間を正社員に? 
そうすると野球みたいに
『来季構想外』通告は簡単にできませんよ。
ただでさえ、家賃補助、野球用具の提供というサポートをしているうえ、
タイトル料とかMVP賞で年俸に加えて
特別手当を払っているんですよ?
今年はその表彰手当だけでも
1000万円を超えます。
稼いでいない、
自分の価値をだせていない人間に
そんなに手当をあげるだけでもおかしいのに、
これ以上甘やかすんですか?」

「年間たった8ヵ月、
40試合くらいをするだけで
これだけ貰えるんですか?
年がら年中部活してるのと変わりませんね。
それで、普通の新卒と同じくらいの年収ですし、手当とか補助含めたらそれ以上ですよね?」

 
もっともな意見もたくさんありました。
 

実際、
彼らは企業経営のお金まわりや
人材まわりのプロです。

 
数字だけを見ると、
おかしな判断であるということは、

私も否定できませんでした。

 
しかし私は、
どうしても選手が
野球をやめた後の人生も支えたい
と思っていました。

正社員となってもらうことで、
引退後も女子プロ野球に関する
広報や指導者になる道を残すことができれば、
彼女たち自身も安心して輝けるし、
女子プロ野球の発展に
貢献してくれると考えたのです。
 

ところが、

なんと選手側からも
反対意見があがったのです。

「社員とか嫌だ。プロがいい」

「ひょっとして、
何か仕事しないといけないんですか? 
嫌です、野球がしたいから」

「〝プロ野球選手になる!〟
って地元をでてきたのに
〝わかさ生活社員です〟ってダサい」
 

などなど、

特に若手選手からの
意見が多かったそうです。
 

彼女たちからすれば、

自分たちが中高生のころから
女子プロ野球リーグは存在し、

「野球がうまかったら入れる場所」

くらいの認識だったのでしょう。

「野球をする女の子たちが、
当たり前のように目指す場所になっている」

 
その事実に対する
嬉しさはありましたが、

プロをつくった理由、
続けている想いや実態の部分を知らない
選手たちが増えているとも感じました。

そのような若手選手たちに
一期生・二期生といった先輩選手が

「どれだけありがたいことかわかるか」

と、厳しい指導をしたこともあったそうです。
 

片桐理事長は

「代表」、「社長」というよりは

「頼れるお兄さん」

といったポジションであったそうで、

このような選手たちの
リアルな反応をよく教えてくれました。

私にとっては
現場を知るうえで
とても頼りになる存在でした。

私は彼を

「〝兄〟ではなく、
〝親〟にならないといけないよ」

と焚きつけていましたが、
実はとても助かっていました。
 

若い選手が今後も増えていく中で、
定期的に今回のようなことが起こるのは
避けたいと思った私は

『女子プロ野球誕生物語』

というマンガをつくりました。



狙い通り、

これが若い選手に

「わかりやすかったです」

「リーグができた歴史、
知りませんでした。
これから頑張ります」

と好評で、
しっかりと想いを理解してもらえたと
感じました。

 

結果として、

株式会社からの一般社団法人化は実現し、

「経営支援」という形で

『わかさ生活』

が選手を雇用することとなりました。

 

2つ目は、

リーグの英語表記を
「GPB45《Girls Professional Baseball》」から

「JWBL《Japan Womenʼs Baseball League》」

へと変更したことです。

 
仕事でアメリカに行ったとき、
アメリカの女子硬式野球関係者や
メジャーリーグ関係者に話を聞きました。

「今日本でGPBという
女子プロ野球リーグをやっているのですが」
 

と話をすると、

「なんだそれは? 少女野球のグループか?」
 

といった反応ばかりでした。

欧米で

「ガール」

という響きは女性というより、
少女を指す言葉だったため、
そのように思われたようです。
 

選手たちは、
男とか女とかは関係なく
ただ野球が好きで、
環境的な逆境を乗り越えてまで、
野球を続けてきた人たち、
野球がやりたい人たち、
野球を愛する人たちです。

「女性だから」とか
「アイドルみたいに」とかではなく、

しっかりと野球を愛する気持ちを
伝えるべきなのです。

「GPB45」も、
最初こそ
現場も選手も喜んで
名前に乗っかっている様子でしたが、

ときが経つにつれて

野球を愛する自分たちと
言葉が持つイメージの違いや、
名前が独り歩きをして周りからされる
期待とのギャップを感じているようでした。
 

そんなこともあったので、

5年の節目に、

よりよい体制を目指して 

「法人体制の変更」と
「リーグ正式名称の変更」を行ったのです。
 

これは、全て良い方向に繋がりました。

野球人として、社会人として

 

2014年、
女子プロ野球リーグ5年目。

 
全61試合で
4万5126人の観客動員を記録。

 
昨年より12試合多く行い、
1万114人も多く観客動員ができました。

「試合数が増えれば、
観客数は増えて当然だろう」

と思われるかもしれませんが、

この試合数を増やす、

ということ自体が
とても大きな快挙でした。

 
女子プロ野球は、
認知度の低さや環境から、
まず球場を押さえることが難しいのです。
 

また、
それに伴う選手、野球用具の移動、
スタッフ、放送環境の手配など
とても多くの手間暇をかけて行う必要があります。
 

ついにそれらを、
現場の力で増やすことに成功したのです。
 

赤字の女子プロ野球リーグでは、
運営側に多くの人材は割けません。

よって球場での試合の準備、
グラウンド整備、球場の手配にバスの手配、
試合後のホテルの手配、食事の手配などの
運営業務を選手たちが各々やりはじめました。

 
中には
「わかさ生活」の社員や一般的な会社員より
テキパキと、完璧に遠征のスケジュールや
交通、宿泊の手配を整える選手もいました。

 
環境、状況の変化が選手たちを

「野球人」としても「社会人」としても

成長させてくれたと感じました。

選手たちを「社会人」として成長させたのは、
紆余曲折ありながら運営とともに成長した経験ももちろんありますが、

「被災地支援」と「選手会」

の立ち上げも大きかったと思います。
 

2014年8月17日、

観測史上最大の集中豪雨が
福知山市、丹波市を襲いました。

2011年の
東日本大震災の
復興支援ボランティアの経験もあり、
選手たちはとても積極的に
活動をしてくれていました。


女性であること、
野球選手であることなどを抜きにしても
人間として素晴らしい行動、活動をしてくれる彼女たちの姿を見て

私は心から感謝の念と、
素晴らしい人間になってくれていることに対する喜びを感じました。
 

また12月には、

選手たちの発案で

「選手会」
が設立されました。
 

毎年、数人は自分の人生を見つめ直したうえで

自主退団という選択をする選手もいます。

 
私としては、

自分の大切な人生を見つめ直したうえでの選択であればそれでいい、

という想いがあります。
 

しかし、
選手たちはまた違った感覚を持ったそうです。

「私たちが嫌な思いをさせちゃったかな?」

「この場所を好きになってもらえなかったのかな?」
 
という声が上がった結果、選手たちから、

「若い選手たちがもっと安心できるような
環境にするために選手会をつくりたい」
 

という提言があり、私は嬉しくなりました。
 

選手たちの気持ちは、
同じ選手が一番よくわかると思います。
 

与えられた場所で、
与えられたもので活動をしてきた選手たちが、
与える側になりたいと考えはじめてくれた、

ということは今後の女子野球にとって
必ずいい影響をもたらすだろうと
確信がありました。
 

リーグ設立5年目になった2014年は、

今までの

「わかさ生活」や「女子プロ野球機構」が

資金を投じて行ってきたプロモーションから、

選手たち発の、

女子野球の真の魅力を広げていく活動が
はじまった年になりました。

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note版特別コメント

【個人事業主】から【従業員】と
雇用形態が変更した2014年。

当時は女子プロ野球選手として。

8年間女子プロ野球選手として活躍し
昨年現役引退。
2020年からわかさ生活社員として働いている
三浦由美子さんへ当時のお話とこれからの意気込みをお聞きしました。

《三浦由美子さんコメント》

雇用形態が変更した当時は、まだ未成年だったので、個人事業主の時はさまざまな手続きなど不安が多かったですが、正社員になったことで、守っていただけることも多く、また社会経験もできで勉強できたので私は良かったと思っていました。

実際に社会に出る事で、挨拶や常識的なことを学ぶことができました。
当時は女子プロ野球の普及活動が主だったので、周りの人達に支えていただいて、野球ができているということを感じることができ、実際にグラウンドに立った時に感謝の気持ちを強く持ってプレーすることができました。

選手としては引退しましたが今はわかさ生活の従業員として、社会人として大事なことを、身につけてお客様を心から大事にできるようにしていきたいです。また、会社の取り組みとして、社会貢献活動など積極的に行っていて最も会社の好きな所なので、私自身も社会に貢献できる人に成長できるようになっていきたいです。
女子プロ野球リーグでは、選手達の魅力や一生懸命に取り組む姿を伝えられる尽力をしていきます!