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手紙。

*このnoteは、ソーシャルワーカーとしての自分が今感じたり、考えたりしたことのほか、以前書いたものの中から残しておきたいものを整理しておく目的もあって始めた。
以下は、以前別なSNSにアップしていた記事の1つ。他の記事を探していた時に偶然見つけた。冒頭で「モモ」にちらっと触れているのだけど、多分この頃再読していたのだろう。(上の写真は、記事にある手紙が入っていた封筒)
内容は一部修正を加えてある。

2016年ーーーーーーーーー
「正しいこと」「こうあるべきこと」そういうものに囲まれていると、いつの間にかやらなきゃいけないことばかりになって、結局何も見ていない、感じていない状態になっていく。エンデが「モモ」で描いた時間泥棒は、現実世界では「正しいこと」の顔をしてやってくるような気がする。

そんな折、1通の手紙が届いた。10年以上前に支援に関わった人で、今も毎年、身辺の様子を伝えてきてくれるものだ。不義理な私は、いつも返事を書くのが遅れ、半年近く経ってから返信したりしていた。昨年はとうとう返信しないまま時が経ってしまい、職場のメールボックスにその人らしい封筒を見つけた時、「しまった、とうとう返事を書かなかった…」と、まず反省の気持ちが浮かんだ。
申し訳ない気持ちで開いた便箋には、先日入籍されたことが綴られていた。複雑な家族問題と様々な不適応行動に悩み続けていた最中に出会ったパートナーと10年近く共に暮らしてきた上での幸せなゴールだった。手紙の中には、姓が変わったことへの戸惑いと誇らしさのようなものがにじんでいた。
嬉しくなった私は、お祝いに小さなプリザーブドフラワーを送り、返信の手紙も(珍しく)すぐに出した。手紙の中で、彼女の支援に関わっていた頃のことに触れ、あなたがこうして回復を続けていることが、私にとっても力になっているというようなことを書いた。

大学で仕事をするようになって、若い人たちと接することが増えると、彼女と似た問題を抱える人に時々出会う。以前の手紙で、「同じ悩みを抱えている人がいたら、自分の経験を話してもらってもいい」と許可をもらっていたので、そうした若い人に出会うと、彼女の話をすることがある。「あなたと同じ問題を抱えていた人がいたんだけど、時間をかけて回復して、今は素敵なパートナーと幸せに暮らしているよ」と伝えると、悩んでいた人の目が輝くことがある。そこで「今も時々手紙を頂くんだけど、だいたい彼氏との惚気話なんだよね」と話すと、自然に笑顔が出てくる。
同じ問題を繰り返している彼らは、自分の未来が見えなくなっている。周りからは慰められたり、あるいは責められたりして、自分でもなんとかしようとあがいているのに、どうしようもなく同じ行動に陥ってしまう。周りの大人は理解してくれないし、理解してくれる同世代の友人たちがいても、日々前に進んでいく彼らとの差を感じ、取り残されてしまう不安を抱えている。
そうした人々にとって、実際に回復を続けている彼女のことは、未来への可能性を見せてくれるものなのだろう。詳しく話をするわけではないのに、明らかに安心したような表情が浮かぶことがある。
そして何より、私自身が今目の前にいる彼らの未来を信じることができる…そんな思いを込めて彼女への返信に感謝の気持ちを短い言葉で加えた。

数日後、再び彼女からの手紙が届いた。贈った花のお礼かなと思ったが、それにしても封筒が厚い。不思議に思いながら開いてみると、簡単なお礼の手紙の他に特別に書かれた便箋が入っていた。
それは、彼女と同じ問題を抱えている若い人々に向けた手紙だった。「もし、これから同じ悩みを抱えている人がいたら見せてあげてください」と書かれていた。そこには、どうしようもない日々に感じている辛さに対する深い理解と、辛さを抱えながら生きてみて解ったことや感じられた幸せ、そして今苦しんでいる人たちへの強い願いが書かれていた。

私は、その手紙を読んでいて、目の奥が熱くなった。
私に宛てた文章の中に、彼女の支援をしていた頃に私が「時間がくすりになることもある」と話してくれたと書かれていた。そんなことを言ったような気もするが、その時に今の彼女の姿を予想できていたわけではなく、おそらくどうにも先が見えない中での苦し紛れの一言だったのではないだろうか。しかし彼女は、今、自分が過ごしてきた時間を振り返り、その時間の中で、様々なことに出会い、乗り越え、幸せを感じられる場所を手に入れ、難しかった家族との関係も少しずつだが回復を進めてきたことを実感している。
彼女が、若い人たちに宛てた手紙には、その時間によって得られた重みが詰まっていた。改めて当事者の強さと彼らが積み重ねている時間の深さについて学ばされる思いがした。

それに比べ、私の時間はなんと薄っぺらいものだろうとため息をつきたくもなる。しかしそれは残念な感じではなく、むしろ彼女の意味ある時間を前に気持ち良く負けを認めさせられたような、不思議な嬉しさも含んだ感じでもある。
彼女の手紙には、これからの夢も書かれていた。彼女を苦しめていた症状によって一度は諦めた仕事を再びできるようになりたいというものだった。
きっといつかその日が来るに違い無いだろう。私もそれを信じ、楽しみにしたいと思った。

2024年ーーーーーーーーーーー
彼女からは、今も毎年のように手紙が届く。
パートナーとは、今も仲睦まじく暮らしている。
最も関係回復が困難だった親とは、病で亡くなる直前に関係を改善させていた。
身体的には、私が関わっていた頃よりもずっと大変なのだが、周りの人が驚くほど前向きに生きている。

そして私は、今年も返事を出すのが半年以上遅れたままになっている。


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